武 田 神 社

円右衛門さんでほうとうを食し、さらに途中の休憩所で絶景富士山を見れて大満足です。 お次は山を下りて武田神社に向かいます。 やはり甲府に来たら武田信玄ゆかりの地を訪れなければいけません! 本当は甲府駅前にある 武田信玄の銅像の写真を激写したかったのですが、この銅像は駅前にあり車を停められなさそうだったので、目に焼つけて次に向かうことにしました。 有料駐車場に停めたとしても、この銅像以外にめぼしいものはなかったし。。。 残念!

武田信玄の銅像は撮り損ねちゃいましたが、武田神社はしっかり観光できました。 現在は武田神社という神社になっていますが、どうやらここは武田氏の居城だったんだそうですよ。 NHKの大河ドラマでは武田信玄を題材に したドラマが何度か放映されていますが、管理人もよく見てましたよ。 一番最近だと2007年に放送されていた「風林火山」でしょうか。 こちらは武田信玄役を市川亀次郎さん(当時)、山本寛助を内野聖陽さんが熱演されて いました。 そのときの映像で躑躅ヶ崎館(武田信玄の居城)から騎馬武者が出陣していく光景をよく見たものです。 管理人も武田信玄は本当に好きな武将の一人ですので、その居城に来れて大興奮です。




武田神社に到着しました〜。 甲府駅から車で約10分少々で到着します。 神社の前に駐車場がズラリと横に並んでいますが、結構混んでまして停めることができませんでしたが、皆さんが空きスペースを見つけてくれて なんとかトメルことができました。 結構駐車している車が多い割には、神社はそんなに大賑わいという感じではなかったですね。。。 目的外利用の人もいそうですね>_<

さてこの武田神社、山梨県甲府市古府中町にある神社。 躑躅ヶ崎館の跡地(武田氏館跡)に建てられており、武田信玄を祭神とする。 戦国時代の永正16年(1519年)に甲斐守護・武田信虎により居館(躑躅ヶ崎館、武田氏館)が築かれ、 家臣団が集住して武田城下町が形成された。 以来信虎・晴信(信玄)・勝頼三代にわたって武田領国の中心地として機能し天正10年(1582年)3月の武田氏滅亡後もしばらくは政治的中心地であった。 豊臣大名時代には南方の 甲府市丸の内に新たに甲府城が築城され、江戸時代にかけても甲斐統治の政治的中心地となったため、武田氏館は破却された。 館の破却時期は不明であるが、『甲斐国志』によれば要害城が慶長5年(1600年)に破却されている ことおから、同時期であると考えられている。 これにより城下町も南方に移動し、武田城下町は甲府城下町の一部として吸収される。 江戸時代に武田氏館跡は「古城」「御屋形跡」と呼称され、武田氏時代を偲ぶ名所の ひとつとして旅行者が訪れる程度であったが、明治期には史跡保存運動が起こる。 by wikipedia




大正4年、大正天皇のご即位に際し信玄公墓前に従三位追贈(じゅさんみついぞう)が奉告されたのを契機に、ご遺徳を慕う県民に武田神社ご創建の気運が沸き上がり、官民一体となった「武田神社奉建会」が設立され、 浄財によって大正8年には社殿が竣工、4月12日のご命日には初の例祭が奉仕されました。 爾来、甲斐の国の総鎮護として祟敬を集め、平成11年にはご創建80年を迎え、祈祷殿「菱和殿(りょうわでん)」のご造営を始めとして 各種記念事業が展開されています。



拝殿の横には「宝物殿」がありました。 せっかくなので皆さんでご入場〜。 中に入りますと、当時の躑躅ヶ崎館の模型や、風林火山の旗、甲冑、刀剣、直筆の書簡など様々な貴重な展示物が陳列されています。 武田家の 家系図などもありましたよ。 ちなみにNHKの大河ドラマのタイトルにもなった「風林火山」ですが、「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」(疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、 侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し)の通称でです。 そしてこれは元々は『孫子』軍争篇第七で、軍隊の進退について書いた部分にある文章を、部分的に引用したものなんだそうです。