身 延 山 久 遠 寺

いや〜富士五湖も湖によって色々な顔があってよかったですね〜。 さ〜続いての観光ポイントは、身延山久遠寺です! 富士五湖からの距離は約70km位。 地図で見ると近そうに見えますが距離あるんですね〜。  まぁ自然も綺麗だし、結構富士五湖で大分歩いたので、車でドライブも良いものですね〜。 ちなみに道中は山道が多かったですが、逆に信号もないので、ナビで表示されている所要時間もみるみる縮まったいきました。

さて身延山久遠寺って何か聞いたことはあるのですが、どんなところか全く知りませんでしたよ。 「岡」氏が事前に購入した「るるぶ」では、結構大々的に紹介したので、有名な観光地に違いありません!  しかも「るるぶ」の写真を見ると、かなり建物自体が厳かでしたよ。 これは見応えありそうですね〜。 なんでもこの久遠寺というのは日蓮宗の総本山なんだとか。 日蓮宗といえば「南無妙法蓮華経」というお経のやつ ですよね。 敷地はかなり広く本殿以外にも様々な建物が建ち並んでいます。 こちらも見応えがありそうですよ。


〜 身 延 山 久 遠 寺 〜


『久遠寺(くおんじ)は、山梨県南巨摩郡身延町にある日蓮宗の総本山。 山号は身延山。 

弘安4年(1281年)に十間四面の大坊が整備され、日蓮によって「身延山妙法華院久遠寺」と名付けられたという。 日蓮は弘安5年(1282年)9月に湯治療養のため常陸(加倉井)の温泉と小湊の両親の墓参りに 向かうため身延山を下ったが、途中、信徒であった武蔵国の池上宗仲邸(現在の東京都大田区本行寺)にて病状が悪化したため逗留し、6人の弟子「六老僧」を定めて、同地において同年10月13日に死去した。

「いづくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」との日蓮の遺言に従い、遺骨は身延山に祀られた。 当地では足かけ9ヵ年の生活であった。  日蓮の身延山での生活は日蓮遺文に記されており、「人は無きときは四十人、ある時は六十人」とあるように、大人数で生活をしていたと考えられている。 各地の信徒より生活必需品が多く届けられ、 日蓮はこの身延山をインドの霊鷲山に見立て、信仰の山として位置づけている。 遺文の3分の2は身延山での生活する中で執筆されており、日蓮真筆の曼荼羅もほとんどがここ身延山で手がけられている。

身延山は日蓮教団における最高の聖地であると位置づけられており、日蓮の遺骨は歴代の法主(住職)により、日蓮の遺言通り今日まで護られている。  室町時代の文明7年(1475年)には、11世法主日朝により、手狭になった西谷から現在地に伽藍が移転され、戦国時代には甲斐国守護武田氏や河内領主の穴山氏の庇護を受け、門前町が形成された。  江戸時代には日蓮宗が徳川氏はじめ諸大名の帰依を受け発展し、宗門中興三師と賞される日重・日乾・日遠のころ、身池対論を経て対立する不受不施派を排斥して確固たる地位を確立した。 

その後、日脱・日省・日亨の三師で壮大な伽藍を整えて盛期を迎える。 文政4年(1821年)には火災で諸堂を焼失。 その後復興されるも、明治8年(1875年)1月に西谷本種坊からの出火により再び伽藍や寺宝を 焼き尽くしたが、74世日鑑の尽力とその後の法主等の力により現在に至る。

久遠寺には数多くの経典や典籍・書籍、聖教や古文書類(身延山文書)が所蔵されており、「身延文庫」として一括され身延山宝物館に所蔵されている。 身延文庫には「諸宗部」に分類されている他山・他衆により 筆記・書写された典籍類も含まれている。 現法主は92世内野日總法主(台東区瑞輪寺より晋山、潮師法縁)』by wikipedia


始めて久遠寺にきましたが、その規模は非常にデカイです。 敷地と言ってよいのか、本殿に行きつくまで車で5分以上走りましたよ。 途中で山門があり、しばらくするとまた何やら大きな門が現れます。 その間、 お土産屋さんがあったり普通に家があったり。。。 一体どのような作りになっているのでしょうか。。。 いやはやそのスケールででかさにまずはびっくりしたなぁもう。 びっくりしたなぁ。

写真の「総門」は「28世日奠上人建立。36世日潮上人の書による「開会関」の扁額は全ての人々が法華経のもとに救われる関門という意味。 また「空」「無相」「無願」の三解脱をあらわす三門には、79世日慈上人の筆による「身延山」の扁額がかかる。」だそうです。 by 身延山久遠時HPより

ちなみに写真の順番は総門⇒三門と掲載していますが、実際は久遠寺の営業時間(?)が迫っていたので、先に本堂を見てから帰りに総門、三門を撮影しました。


こちらは「総門」と言います。


こちらは「三門」と言います。


三門の付近には竹を斜めに切ったものが
敷き詰められていました。

三門のすぐ下にはパイプ椅子なども置いて
あったので、これから何か行事があるみたい。

始めて久遠寺にきましたが、その規模は非常にデカイです。 敷地と言ってよいのか、本殿に行きつくまで車で5分以上走りましたよ。 途中で山門があり、しばらくするとまた何やら大きな門が現れます。 その間、 お土産屋さんがあったり普通に家があったり。。。 一体どのような作りになっているのでしょうか。。。 いやはやそのスケールででかさにまずはびっくりしたなぁもう。 びっくりしたなぁ。

山門を車で潜り抜け、ひたすら山を走っていくと、ようやく終点が見えてきました。 途中、お参りに来た方々の列と何度もすれ違いましたが、皆さん同じような服装(制服??)をしておりました。  久遠寺の本殿は身延山の中腹にあるということですが、車で上った感じだと、かなりの標高まできた感じがしますよ。

終点には大きな駐車場がありましたので、我々もそこに車を停めました。




さ〜、車を降りて、本殿を観光しますか! と少し脇のほうを見てみると、大きなロープウェイのような乗り物が・・・ そうそう、るるぶに身延山のロープウェイがあるって書いてあったっけ〜。 やっぱり国分寺連合としては ロープウェイは外せませんよね! 乗り込め〜! と目の前まで来ると・・・ あれあれ、ロープウェイじゃないな・・・ モノレールだ。 乗り場の説明書きを見ると「エレベータ」って書いてある。 どうやらこれは 駐車場から本殿に行くためのエレベータなんだそうですよ! こ〜れ〜にはビックリです。 しかもモノレールタイプのエレベータ。 これってどう考えても受注生産ですよね。 うわ〜金持ってるな〜





エレベータを降りると、厳かな建物が並んでいますよ。 どの建物も非常に大きく威厳があるような感じですね。 さすが日蓮宗の総本山! しかも外観だけを観光するだけでなく、中に入ることもできます。 もちろん お堂の撮影は禁止ですが・・・^^; 中の本殿は非常にゴージャスです! 建物が横に何戸か並んでいるのですが、全て渡り廊下で繋がっています。 建物によって少しづつ造りが違うような感じですが、 やはり豪華さを感じずにはいられません。



こちらはエレベータ(?)を降りてすぐのところにある五重塔です。 ちょっと天気が悪いのと、若干暗くなりはじめていることもあって、発色が悪いですが、実際の塔は鮮やかな朱色をしています。  管理人はなんか五重塔って好きなんですよね〜

2009年5月、明治8年の大火による焼失より134年ぶりによみがえった宝塔。 木材は全て国産を使用し、設計から工法にいたるまで400年前に建てられた元和の塔を復元・再建した。


こちらが本殿になります。 1985年、日蓮聖人700遠忌の主要記念事業として再建された。間口32メートル、奥行51メートル。一度に2,500人の法要を奉行できる。


なんと大盤振る舞いなことに、この本殿の中には無料で入ることができます。 本殿の中央には今まで見たこともないような仏具などが広々とした広間に並びます。 天井からも何だかよく分からない巨大法具がぶら下がっています。  残念ながら中の撮影は禁止なので風景をご紹介することはできませんが、これは一見お価値ありです!


こちらは「祖師堂」といいます。 本殿のすぐ横に建っています。 本殿は黒を基調とした色で統一されていましたが、こちらの祖師堂は五重塔と同じく鮮やかな朱色で統一されています。 ちなみに本殿と祖師堂は渡り廊下で 繋がっており、本堂から祖師堂、更にその先にも中を通って移動することができるんです。 我々もちょっと失礼して祖師堂まで入ってみました。 ついで厠をお借りしました。

日蓮聖人の神霊を祀る堂閣。「棲神閣」と称する。明治14年、江戸にあった寺院のお堂を移築、再建した。


こちらは「拝殿」といいます。 この建物の上には「御真骨堂」という八角形をした八角堂があり、ここには日蓮聖人の御真骨を奉安しているんだそうですよ。 写真の拝殿は日蓮聖人に拝するためのものなんですね〜。


こちらは仏殿と思われます。


立派な「鐘楼」ですね〜。


「祖師堂」の渡り廊下から庭を撮影しました。


こちらの木も何か霊的なものを感じざるを得ません!