熊  野  古  道

那智の滝のお次は本来の目的地「熊野古道」にやってまいりました。 実は昨日の天気予報だと、今日の午前中は雨予報・・・ 雨の中で山道を歩いていくのは大分大変だろうということで、 雨が酷かったら熊野古道はスキップする予定にしていました。 でも朝起きてみると、青空が広がっているではありませんか〜。 「西」氏と管理人の雨男ブラザーズも汚名返上です。  今年のBBTの福島旅行でも同じようなことがありましたが、もしかして雨男だったのは今年のBBTもFGTも欠席している「頭」氏だったのでは!?

那智の滝から車で少し坂を下ったら熊野古道用の大きな駐車場がありました。 ここに車を停めて熊野古道に向かいます。 駐車場で準備をしている人たちを見ると、結構本格的な装備を 施していましたよ。 GパンにTシャツというなめた恰好をしているのは我々だけ・・・ 整備されている道を歩くのに、そこまでする必要があるの〜!? ・・・ありました。。。



熊野古道の入口にやってきました


熊野古道も世界遺産なんですね〜


こちらが熊野古道の入口「大門坂」です。 駐車場から徒歩2分位でしょうか。 まだここはアスファルトの道で民家もあります。 あれ〜テレビで見た雰囲気と違うぞ〜。 こんな感じの道なら結構いけるかも! 

熊野古道は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる参詣道の総称。 熊野参詣道ともよばれる。 紀伊半島に位置し、道は三重県、奈良県、和歌山県、大阪府に跨る。  熊野古道とは、主に以下の6つの道を指す。

紀伊路(渡辺津 - 田辺)
小辺路(高野山 - 熊野三山、約70km)
中辺路(田辺 - 熊野三山)
大辺路(田辺 - 串本 - 熊野三山、約120km)
伊勢路(伊勢神宮 - 熊野三山、約160km)
大峯奥駈道 (吉野 - 熊野三山)


これらの多くは、2000年に「熊野参詣道」として国の史跡に指定され、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産における「遺跡および文化的景観」)として 登録された。なお、その登録対象には紀伊路は含まれていない。 by wikipedia

なるほど〜、そうだったのですね〜。 今回我々が歩いたのは「中辺路」というルートだそうです。 そういえば今回我々が行った熊野古道以外にも、別の場所でも熊野古道って書いてあったところを車で通り過ぎましたよ。  


すぐに鳥居をくぐります まだここら辺は楽チンです

那智山には見所が多いですね〜


大門坂を通り過ぎ、ものの3〜4分で「大門坂茶屋」というところに到着します。 提灯に店名が書いてありますが、一体何屋さんなんでしょうね。 茶屋ってくらいだから、喫茶店みたいな感じ!?  でも外から覗いただけなので、詳しくは分かりませんが、中にはちょっと古そうなお土産品くらいしか置いてなかったような・・・ 他にも何かあったのかなぁ。。。


茶屋って書いてあったけど、何やらお土産屋さんのような!?


大門坂茶屋を過ぎてしばらく歩くと、両脇に佇む大きな杉の木がありました。 これが夫婦杉かな!? ちょっとスタートしてそんなに経っていないのですが、もう既に疲れてきてしまいました。  ちなみに写真は行きに撮ったものではなく、帰りに撮った写真です。 行きはもう坂と階段がきつくて目線を上げて歩けませんでした。。。>_<



熊野周辺は、日本書紀にも登場する自然崇拝の地であった。 熊野三山は、天皇から貴族、庶民に至るまであらゆる階層の人々の信仰を集め、皇室で参拝したのは、908年(延喜7年)の宇多法皇の 熊野御幸が最初と言われる。 熊野御幸とは、上皇の熊野詣のことで、1281年(弘安4年)の亀山上皇の熊野御幸まで、その期間は374年間、94回行われた。 

熊野三山への参詣が頻繁に行われるようになったきっかけは、1090年の白河上皇の熊野御幸からと言われている。 白河上皇はその後あわせて9回の熊野御幸を行った。 これにより京都の貴族の間に 熊野詣が行われるようになった。 その後、後白河上皇も33回の熊野御幸を行っている。 源氏や平氏にも信仰され、平安・鎌倉時代の僧侶であった一遍や文覚も参詣した。

また、主に12世紀から13世紀にかけて九十九王子が設けられた。 これは、熊野古道(特に紀伊路、中辺路)の大阪の基点であった淀川河口の渡辺津(窪津、九品津)から熊野三山までに、 100近くの熊野権現を祭祀した末社である。 参詣者は、九十九王子で休憩しながら熊野三山まで歩いた。 現存するものは少ない。 by wikipedia



もう結構きつい・・・ 周囲は最初にイメージしていた熊野古道の雰囲気になってきたのですが・・・ 坂は急だし、階段も歩幅と合わないし、もうかなり疲れてきましたよ。  スタートしてから約30分位ですが、こんなにもきついとわっ! 何度も立ち止まっては歩いてを繰り返しました。 健脚の「岡」氏と「西」氏はドンドン登っていきまして、 途中から2人の姿が見えなくなるほどに・・・ 一体この道はどこまで続いているんだろう・・・>_< 後ろを振り返るとこんな感じ。。。 これは帰りも大変そうです;_;)


室町時代になると、貴族のほかに武士や庶民の間でも熊野詣が盛んになり、「蟻の熊野詣」とまでいわれるほど、凄まじいほどの参拝者の大群であったといい、熊野三山の繁栄も頂点に達し、 熊野参詣道も広域道路として整備された。

江戸時代に入ると、伊勢詣と並び、熊野詣は、広く庶民が行うようになったといわれている。

1906年(明治39年)末に布告された「神社合祀令」により熊野古道周辺の神社の数は激減。 熊野詣の風習も殆どなくなってしまった。 

熊野古道自体は、大正から昭和にかけて国道が整備されるまで、周囲の生活道路として使用されつづけた。 現在は、和歌山県観光振興課が中心となり、ルートが整備されスタンプラリーなども できるように観光化も進んでいる。 by wikipedia




道の途中(まだ入口に近い付近)で、登山客用に杖が置いてありました。 この杖のおかげで随分楽にはなりましたが、それでももう虫の息・・・ 「岡」氏と「西」氏の姿はもう全く見えず・・・  途中休み過ぎて、後からきたご老人にも抜き去られる有様に・・・ う〜んシム〜。

追い抜いて行った老人の姿も見えなくなったところでギブア〜ップ! もうむ〜り〜。 スマートフォンを取り出し「岡」氏と「西」氏に「ギブアップ」のメールを発射〜っ! 踵を返して 大門坂に戻っていきました・・・(;_;)

「岡」氏と「西」氏はちゃんと一区切りの地点まで到着しました〜。 到着したのは、先程までいた那智大社の駐車場付近だったそうです。 すでに行ったところでありますが、 ゴールできなかったのはちょっと悔しいですね>_< 「岡」氏も「西」氏も登り切ったのですが、結構足がわなわなしていたようですよ。 それだけ厳しい道のりだったということです。