妙 義 山

妙義神社のページで、「妙義山」というのは、いくつかの山々を合わせた総称のことと申しました。 この妙義山というのは登山でも有名な山で、更に「日本三大奇景」の一つにも数えられているんだそうです。  確かに山と言うと、富士山のようにこんもりと中央部分が盛り上がった山を思い出しますが、妙義山は凸凹があったり、パワースポットのような不思議な造形をした岩があったり見た目が随分変っているんですよね。  本当は登山道を登って間近で見たいところですが、管理人もお嫁さんもそこまでは絶対に無理・・・ ということで、先程の「道の駅みょうぎ」の職員さんに伺った絶景スポッツに行くことにしました。

妙義山の中を走る県道沿いに、美術館があったり先程とは別の道の駅があったりしますが、それらの駐車場から見る景色がとても良いんだそうですよ。 ということでこのページでは途中で立ち寄った「妙義ふるさと美術館」・・・ の駐車場、そして「妙義公園」での景色をご紹介します。


〜 妙 義 ふ る さ と 美 術 館 〜

妙義神社から上毛パノラマラインという県道をひたすら登っていきます。 途中は結構な山坂グネグネ道で、知らず知らずの内にスピードを出してしまいます。 丁度「道の駅みょうぎ」から車で10分ちょっとでしょうか。  看板に「妙義ふるさと美術館」の文字が現れます。 上毛パノラマラインから少し横道にそれたところに、その美術館はありました。

美術館はシンプルで、それでいて何かおしゃれな感じの建物です。 ちょっと中に何が展示してあるのか、そのときは見もしなかったのですが、美術館のHPを見てみるとと「平成6年の創設で、昭和58年から続いている “妙義山を描く絵画展”の秀作を一堂に展示しています。 館は一階に常設展示室・企画展示室、二階に展示ギャラリー、三階に展望写生室があり、絵画を通して妙義山の四季に触れることが出来ます。」だそうです。  お近くに来られた時は是非お寄りください。 入館料は300円だそうです。


こちらが「妙義ふるさと美術館」です。


こちらが妙義ふるさと美術館の駐車場からの景色です。 目の前に凸凹の不思議な形をした山が並びますが、もう少し天気が良かったらな〜。 管理人のいつもの悪い癖で、また雲を呼び寄せてしまったようです・・・  今日の天気は晴れって言ってたのにぃぃぃ・・・ でもここの山々はホントに不思議な形ですよね〜。 180度見渡しても、どれとして同じ形の山はありません。

赤城山、榛名山と共に上毛三山の一つに数えられる妙義山は、白雲山・金洞山・金鶏山・相馬岳・御岳・丁須ノ頭・谷急山などを合わせた総称で、南側の表妙義と北側の裏妙義に分かれている。 特に下仁田側から 眺望できる金洞山(1,094m)は別名中之嶽と呼ばれ、親しまれてきた。 奇岩がいたるところに見られる妙義山の中でも中之嶽の景色は、中腹を巡る第1石門から第4石門を始め、ロウソク岩・大砲岩・筆頭岩・ユルギ岩・ 虚無僧岩といったユニークな名前の岩石群は日本屈指の山岳美と讃えられている。 石門巡りコースは中之嶽神社が発着点となっている。 妙義山東面中腹には、白雲山を御神体とする荘厳な妙義神社が建立されている。  江戸時代には火伏せや雷除けの霊験があると信じられていた。

妙義山はデイサイト溶岩、凝灰岩、礫岩で出来ている。 いまから300万年前までの本宿カルデラを形成した火山活動があり、南西側にある荒船山と同時期に形成した溶岩体である。 その後周囲の柔らかい堆積層が浸食され 溶岩の岩体が露出したと考えられている。 この険しい岩峰の尖った荒々しい山容の奇観から日本三大奇景の一つに数えられており、また国の名勝に指定され、日本百景にも選定されている。 by wikipedia





山の中腹に大きな大文字が!


妙義ふるさと美術館の売りは、この妙義山の景色だけではありません。 美術館の駐車場のすぐ脇にある花畑に大量の菜の花(?)が咲いていました。 一面黄色い花で埋め尽くされています。 今の時期は菜の花(?)ですが、 季節が変わるとコスモスなども咲くそうですよ。 これだけでも一見の価値ありです。





愛車と花畑〜^^



〜 妙 義 公 園 〜

先程の「妙義ふるさと美術館」から更に上毛パノラマラインを進みますと、妙義公園に到着します。 近くには中之岳神社という神社もあります。 近くにはパラグライダーのスポッツもあるそうで、ここ 妙義公園からもパラグライダーを見る事ができるとのことでしたが、今日はあいにくの強風でパラグライダーの飛行は中止となっていました。

この「妙義公園」は地形的に言いますと、先程の妙義神社から南西の方角になります。 先程までは曇っておりましたが「妙義公園」に来たら先程よりも雲が薄くなったような。。。 ここから見る妙義山は先程の 「妙義ふるさと美術館」からの景色とは大分異なり、異形の岩岩の連なりが非常によく見えます。




表妙義縦走路は岩稜帯が連続し、こぶ岩・鷹戻し・奥の院の鎖場等で多数の死亡・重傷等遭難が繰り返し起こっており、山と高原地図では難路の登山道(初級・中級・上級の分類の中で分類外の最上級に分類、富岡市作成の 妙義山登山まっぷでは上級登山道、と紹介されているんだそうですよ。 これは管理人の手におえる山ではありませんでしたm(_ _)m まぁでも確かにこの凸凹山を見る限り、管理人のようなぶ〜で〜が太刀打ちできそうもありませんもんね。







〜 中 之 岳 神 社 〜

こちらの妙義公園のすぐそばには神社もありました。 道路を挟んで反対側で徒歩1分位のところです。 実は当初この神社にも寄ってみようと思っていたのですが、時間的にちょっと無理かな〜と思って工程から 削除していた神社だったんです。 こんなに近いのであれば、是非行ってみようと行ってみたのですが、残念ながらお嫁さんは先程の妙義神社で足が終わってしまっていたので、管理人一人で行ってみました。  あまり待たせるとご機嫌斜めになってしまいそうなので、走って行って主要な建造物だけを激写してきました。

中之岳神社は往昔元『波胡曽神』を山の主と祭られていましたが、倭建尊(日本武尊)が勅命に依り関東御巡行の際に妙義山に登嶽したと伝えれております。  大和時代の第二十九代欽明天皇(在位539〜571年)の御代に妙形氏が社殿を建立、平安末期、第八十二代後鳥羽天皇の寿永二年三月(1183年)藤原祐胤卿が鍛冶の名工を得て神剣を奉斉いたしました。  江戸時代に入ると、第百八第後水尾天皇の元和二年丁巳月(1616年)、加藤長清(道士)が登厳し中興の開山主として神器を守り奉斉し、諸大名が崇敬を寄せ、小幡藩主織田筑前守信久侯が社殿を改築、 中之嶽奉行を設け地所を寄進いたしました。 第百十四代中御門天皇の享保五年五月(1720年)、嵯峨御所より十六葉菊御紋付の幕、提灯を下賜せられ、小幡藩の鎮守社として奉斉され、 織田家の後に入封した松平家の崇敬も篤く親祭されました。by中之岳神社HP





こちらの神社の一番の特徴はこのだいこく様でしょう。 普通だいこく様は木槌を持っているのが一般的ですが、こちらのだいこく様は剣を持っているんです。 この剣が厄や悪霊を払ってくれるんだそうですよ。  ちなみに大きさは高さ20m、重量が8.5tだそうです。 でもな〜んかちょっとあやしい感じがしてしまうのは管理人だけでしょうか。。。(罰当たり!)


なんじゃこりゃ〜、ちょっと怪しい・・・

また階段がっ! もうさすがに無理です>_<


だいこく様よりも後ろの切り立った山の方がパワースポットっぽいです^^;