妙 義 神 社

富岡製糸場を観光した後に我々が向かったのは、富岡市のお隣の安中市にある「妙義山」です。 妙義山までは上信越道の富岡ICから松井田妙義ICまで行き、その後は一般道で山道を登っていきます。 管理人は 「妙義山」という名前は聞いたことあったのですが、てっきり「妙義山」という名前の山があるものだと思っていたのですが、実はいくつかの山々を合わせた総称のことを言うんですね〜。 今回ご来店した 「妙義神社」はそんな妙義山系の麓にあります。 結構山の中で非常に厳かな神社です。 山の中にある神社故に階段が多い・・・ また階段かぁ・・・ グフゥ・・・ でも観光地に来て見れないところがあると 我慢できないという面倒臭い性癖であるため、絶対に登りたいと思います!


〜 道 の 駅 み ょ う ぎ 〜

妙義神社から徒歩2分のところに「道の駅みょうぎ」がありますので、ここに車を停めて妙義神社に向かいます。 ちなみにここの道の駅にはトイレや売店だけでなく、簡易観光案内所がありまして、そこの職員さんが 妙義神社や妙義山について色々教えてくれます。 とてもお話好きなほんの少し年配のご婦人でしたが、妙義神社の歴史や、皇族との関係、神社に縁のある歌まで歌ってくれました。 なんと優しい方でしょう。  富岡製糸場でもそうでしたが、やはり最初に知識を入れておくと、実際に見たときの感動が大分大きくなりますよ。

また売店では、既製品のジュースやお菓子だけでなく、土地の野菜や、名産の野菜で作ったお菓子なども販売しております。 もちろんソフトクリームも売っていますが、さっき食したばかりなので、今回は勘弁してやることに しました。










〜 妙 義 神 社 〜

「道の駅みょうぎ」から徒歩2分県道を歩きますと、妙義神社の大鳥居がお迎えしてくれます。 それにしても大きな鳥居ですね〜。 これ以上下がって撮影したら、後ろの山から落ちてしまいます。

妙義神社は上毛三山の一つである妙義山の東麓に鎮座し、妙義山信仰の中心となっている神社である。 江戸時代は関東平野の北西に位置し、江戸の乾(戌亥)天門の鎮めとして、家運永久子孫繁昌を願って歴代の 徳川将軍家に深く信仰された。 境内は上部の神域と下部の旧寺域に分かれており、これらは明暦から元禄年間に長清法印により基盤が造られたのち、宝暦年問から安永年間にかけて大造営が行われてさらに整備されたものである。 

近年は、たびたび大河ドラマのロケ地として使用されている。 2005年の「義経」における鞍馬寺、2009年の「天地人」における雲洞庵のシーン撮影は、当社で行われた。




こちらが神社の様子です。 「神社の様子」と言っても、「妙義神社」は結構奥行きがあるので、まだまだ本殿まで10分の1位のところしか来ていません。 そして結構急こう配な坂道です・・・  もうすでに試練は始まっているのでありました・・・ 参道には売店などもあります。 参道の両脇は青々とした森が広がっており、マイナスイオンが飛びまくっています。 こういう自然の中にくると本当に癒されて、 坂道の大変さを忘れてしまいそうです。(実際は忘れない。。。)




お土産屋さんを通り過ぎ、しばらくすると立派な門がお出迎えしてくれます。 こちらは「総門」と言います。 こちらは安永二年(1773)の建造、三間二間単層切妻道の大規模な門で、 もとは白雲山石塔寺の仁王門だったんだそうです。  門の両側には仁王様が守っています。 







総門の横を見ると、見事な石垣を見る事ができます。 これほどの石垣も持った神社はあまり見たことがありません。 さながら城の城壁のようですよ。  この石垣は高さ十メートルあり、江戸時代半ばに妙義山の安山岩を用いて築かれたものなんだそうです。




この石垣の上には宮様御殿という建物があります。 なんでもこの建物には明治天皇のお子さんか、お孫さんかの1人が病気がちで、ここに養生しに来たこともあるとのこと。  このようなすがすがしい中で暮していれば、本当に病も飛んでいきそうですよ。 管理人も少しの間ここにいたなぁ。。。







総門をくぐりぬけ、更に石段を上がって「銅鳥居」を過ぎると、右手のほうに「波己曽社社殿」があります。 波己曽社社殿は「本殿、幣殿、拝殿からなり、旧本社と言伝えられ、明暦二年(1656)の建造と考えられる。  最近まで本殿は波己曽社に、拝殿は神楽殿になっていて、幣殿は失われていたが、先年新材を補足して移築大修理、建立当初の姿に復原された。」by妙義神社HP




しかし階段の多い神社です。 でも興味深いのは階段を構成する石なんですよね〜。 場所によりますが大小様々な石が整然と並べられています。 この石も妙義山の石を使用しているのでしょうか。 更に歴史を感じるのは 階段の石が人々の往来で削れていることなんですよ。 どの石もちょうど人が足を降ろすあたりがうっすらとくぼんでいます。





ようやく階段を上りきったと思ったのも束の間、我々の前にものすごい階段が現れました! 本日最大の難関です! この階段は何段あるのでしょうか。 数えるだけでおかしくなってしまいそうですよ。  でもここを上らないと本殿にはたどり着けませんので、上をなるべく見ないようにして黙々と上りました。 この階段は結構な急こう配で手摺などもないため、もし万が一落ちてしまったら、 一人バックドロップでは済まなさそうですよ>_<





後ろを振り返るとこんな感じ。。。 手すりもないし結構怖い・・・


どりゃ〜〜〜! 階段上りきったぞ〜〜〜! どうじゃ〜〜〜! 階段の最上部で「随神門」という門がお出迎えしてくれます。 先程の「総門」では仁王様が出迎えしてくれましたが、こちらは鬼?夜叉?が お出迎えしてくれます。 これは頭に角があるから鬼かな!? あと前に日光に行ったときにもあったのですが、門のところに弓を持ったおじさんの人形が鎮座していることがあるんですが、 インターネットで調べてみると、あれは「平安武将」でご祭神の警護をしているんだそうですよ。 仁王様は「心のゆがんだものを通さない!」という意味なんだそうです。 知らなかった〜^^


こちらが「随神門」です。









また階段〜!? でもそんなに段数がないから許してあげよう! 階段を上がると、そこには「唐門」と呼ばれる門があります。 「唐門は妻を唐破風にした銅茸平入りの門で、これらの建物の周囲は彫刻でもって 埋められ、そのすばらしさは著名である。 宝暦六年(1756)の建造である。」by妙義神社HP




いや〜本当に長かった・・・^^; ようやく本殿に到着しました。 しかしこちらの建物も非常に美しいですね〜。 壁や屋根の下に施された彫刻など非常にすばらしいです。 こちらの建物は本殿・幣殿・拝殿が 一つになっているそうです。 「本殿、幣殿、拝殿は代表的な権現造りである。 本殿は、拝殿と共に黒漆塗銅茸入母屋造りであり、拝殿は正面に千鳥破風をおき、その前に唐破風の向拝屋根を張り出している。  宝暦六年(1756)の建造である。」だそうです。by妙義神社HP







これはなかなか見応えのある神社でしたね〜。 本殿を見学し下山しようとしたところ、本殿の脇から下に降りる事ができる別の小路を発見しました。 先程の何百万段あるか分からない階段を降りて、足を滑らせて一人バックドロップしては、 この先の旅にも支障が出ますので、こちらの小路から下山することにしました。 こちらの小路は、また行きの道とは違う趣がありますね〜。 大きな岩がオブジェのように佇んでいたり、途中に綺麗な花が群生していたり、 何より階段が急じゃないのがいいですね〜^^;