諏訪大社 下社 秋宮

「諏訪大社 下社 秋宮」の次は、少し離れたところにある「秋宮」に参ります。 「春宮」から「秋宮」までは地図で見ると大分近いように思えていたので、最初は徒歩で・・・なんて思っていましたが、実際は結構離れていました。  自動車で10分少々走りましたからね。 歩いたら30分以上かかったと思いますよ。

秋宮に近づくにつれて、少し道路も街並みも綺麗な感じになってきましたよ。 綺麗なっていうのは、「新しい」って感じね。 周囲には新し目のお土産屋さんも建ち並んでいましたし、道路もちゃんと整備されていました。  それ以上に春宮に比べて全然人が多いような気がしますよ。 秋宮のほうが有名なんでしょうかね〜。 隠れ家的存在の春宮とは正反対のいでたちですね。

そしてここも駐車場は無料。 というかお土産屋さんの駐車場に停めちゃいました。 だって「無料駐車場」って書いてありましたから。 観光地に行くと、駐車場に停めても良いけど、後でお土産買ってねっていう店も多いけど、 ここはそういうのもないみたいです。 



駐車場から徒歩30秒で立派な鳥居に到着します。 こちらも春宮と同様に厳かな雰囲気を醸し出していますよ〜。 さてここらへんで諏訪大社について説明します。

諏訪大社は長野県の諏訪湖の周辺に4か所の境内地をもつ神社です。 信濃國一之宮。 神位は正一位。 全国各地にある諏訪神社の総本社であり、国内にある最も古い神社の1つとされています。 (ちなみに管理人の家のそばにも諏訪神社がありますよ)  諏訪大社の歴史は古く、古事記の中では出雲を舞台に国譲りに反対して諏訪までやってきて、そこに国を築いたとあり、また日本書紀には持統天皇が勅使を派遣したと書かれています。 諏訪大社の特徴は、諏訪大社には本殿と呼ばれる建物がありません。  代わりに秋宮は一位の木を春宮は杉の木を御神木とし、上社は御山を御神体として拝しています。 古代の神社には社殿がなかったとも言われています。 つまり諏訪大社はその古くからの姿を残しているということです。  諏訪明神は古くは風・水の守護神で五穀豊穣を祈る神。 また武勇の神として広く信仰され、現在は生命の根源・生活の源を守る神としてご神徳は広大無辺で、多くの方が参拝に訪れます。 by 諏訪大社HPより



鳥居の横には非常にきれいな看板があって、デカデカと「下社秋宮」と書いてありましたよ。 なんだかこれ見よがしに掲げられちゃうとちょっと厳かさが低減したような気も・・・ 個人的には春宮のほうが雰囲気があって良い感じだったな〜。 ちょっと観光地化しすぎて浮ついているような感も・・・

鳥居をくぐりぬけると、少しだけ上り坂の石の廊下が続きます。 ちょっとだけ日光東照宮を思い出しました。 この石畳の廊下を30m位進みますと、境内に到着します。 



石段を登っていくと、でた〜! またまた杉の木です。 きっとこれも御神木なのかな!? でも先ほどの説明だと秋宮の御神木は「一位の木」って書いてあったな〜。 これじゃないのかも。 木の前の看板を見てみると、これは「根入り杉」というそうです。  この杉の木は樹齢が500〜700年で丑三つ時になると、枝先を下げて寝入りいぎきが聞こえ、子供に木の小枝を煎じて飲ませると、夜泣きが止まると言われているんだそうですよ。 不思議ですね^^



石段を登り切りますと、目の前に春宮にもあった「神楽殿」が現れます。 なんでもこちらは国の重要文化財なんだそうですよ。 神楽殿の正面上には大きなしめ縄がありますね〜。  出雲大社もこんな感じでしたが、大きさは出雲大社の比較にもならないですね。 でもこのしめ縄、地元の下諏訪町の氏子有志による大しめ縄奉献会の方々が出雲から職人を呼び作らせたものなんだそうですよ。  こちらは長さが13メートル、重さは500キロくらいといわれています。 しかし神楽殿の参拝者は並んでいますね〜。 管理人たちが並んだときは、建物まで20メートルは並んでいたかな。 でも一応神楽殿にもご挨拶しておきますか! 

こちらの神楽殿は、御神前に神楽を奉納するための建物です。 ちなみに「神楽」というのは、神を祭るときに奏する舞楽で、和琴(わごん)・大和笛(やまとぶえ)・拍子(ひょうし)の三つをいうのだそうです。  話は戻りまして、こちらの神楽殿は、天保6年(1835)に上社本宮幣拝殿を手がけた立川和四郎、二代目棟梁富昌により落成しました。 三方切妻造と呼ばれる様式で幣拝殿のような彫刻は見られません。 正面の大注連縄は御柱祭毎に新しく奉製されるんだそうです。



神楽殿でお参りをして、更に奥に進んでいくと、神楽殿の真後ろに幣拝殿が現れます。 なんだか先ほど行った、春宮の幣拝殿とすごく良く似ていますよね。 こちらも国の重要文化財だそうですよ。  秋宮の入口付近は浮ついていましたが、やはり幣拝殿は厳かです。

この建物は御幣を奉ずる幣殿と拝殿が一体となったものです。 これは二十楼門造と呼ばれ、二階は跳勾欄(先のとがった欄干)を回し、全体に見事は彫刻が施されています。  諏訪高島藩の命により安永10年(1781)に立川流の初代棟梁立川和四郎富棟によって造営されました。


こちらが秋宮一之御柱です。

こちらが秋宮二之御柱です。

さ〜こちらにも御柱がありましたよ〜。 春宮には2本の御柱がありましたが、こちらにも2本の御柱がそびえ立っておりました。 ここまで来たら、今日は上社本宮や上社前宮の御柱も全部見てやろうと思いますよ。  この御柱を使用してどんな祭が開催されるのか。 wikipediaを調べると次のように掲載されていました。 

正式名称は「式年造営御柱大祭」と言います。 寅と申の年(7年毎に開催)に行なわれる式年祭なんだそうです。 諏訪大社での開催年を中心に、全国の諏訪神社や関連神社(小宮)でも同様の祭(小宮祭)が開催されるんだそうです。  細かい作業はわかりませんが、祭が開催されるまでは、4月初旬から6月中旬にかけて次の手順で行われるそうです @「上社山出し」 A「下社山出し」 B「上社里曳き」 C「下社宝殿遷座祭」 D「下社里曳き」 E「上社宝殿遷座祭」



いやいや、秋宮もなかなか良かったですね。 今日は割とゆっくり目のスケジュールなので、行くところ行くところでゆっくりしていられます。  ど〜も観光地に行くと、あれも見たい、これも見たいとなって、スケジュールを詰め込んじゃうのですが、この諏訪周辺はそんなに観光地は多くないので、丁度良い感じになりました。 

駐車場に戻る前に、お嫁さんはお土産探しに旅立っていきました。 管理人はお土産には関心度0なんですよね^^; でもお嫁さんは関心度2億・・・ ここで放牧してあげないと、機嫌が悪くなっちゃいます^^;  外でただ待っているだけってのもつまらないので、もう一度秋宮の鳥居のほうを見てみると・・・ なんと、鳥居の右手のほうに、小さなお社があるではありませんかっ! 諏訪大社の横にあるんだから、きっと関連のお社ですよね。 

近くまで行ってみると、形の異なる2つのお社が佇んでいました。 このうちの1つは説明の看板がありました。 これによりますと、1つのお社は「秋宮恵比寿社」と言うそうです。 こちらは諏訪大神の御父神大國主神と御兄事代主大神をお祀りしているんだそうです。  この二柱の大神は農漁業の開祭・商工業の発展に誠にあらたかな神様で、また家繁栄の守護神として世に福の神大國様 恵比寿様ととその御神徳を称え、殊に諏訪大神と御縁深い神様だったので、御本社出雲大社、美保神社から御分霊を受けて昭和23年11月20日に諏訪大社の末社として奉斎しているんだそうです。 看板の言葉をほぼそのまま書いてのですが、難しくてよくわからない部分もありますね^^: