松 山 城

なんと、ホテルから松山城までは、徒歩で約15分程で到着します。 ホテルを出る前に受付の方に 「松山城は何時から観光できますか?」って聞いたら、8時半にならないとロープウェイが動かない、 とのこと。。。 ロープウェイ!? そんなに山の上にあるの!? まずは行ってみましたが、 こりゃー徒歩では厳しい。。。 ウォーキングが趣味の人にはいい散歩コースかもしれませんが、 お土産や荷物を両手に持っている旅行者だと、山道を歩くのは厳しいかもしれませんね。  松山城はかなり広く、一つの山がすべて城壁といった感じ。 非常に雄大な城でありました。

また今年は四国大ブレークの年。 松山と言えば「坊ちゃん」ですが、今年は「坂の上の雲」もあります!  我々の中ではあまり知名度はないらしく「雲の上の坂」などという方も・・・(ププッ)  この坂の上の雲を 特集した展示会なども催されていました。 今、松山城は熱いです!!



高松城は、日本の香川県高松市玉藻町にあった城である。別名・玉藻城(たまもじょう)。国の史跡に指定されている。 別名「玉藻城」は、万葉集で柿本人麻呂が讃岐国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことに因み、高松城周辺の海域が玉藻の 浦と呼ばれていたことに由来するとされている。

高松城は、豊臣秀吉の四国制圧の後、天正15年(1587年)讃岐1国の領主となった生駒親正によって、「野原」と呼ばれた港町に築かれた。  現在見られる遺構は、江戸初期に徳川光圀の兄で常陸国から12万石で高松に移封された松平頼重によって改修されたものである。

近世城郭の海城としては、最初で最大の例である。 本丸に建てられた天守は、最下重が萩城や熊本城の天守のように天守台より出張り、 最上重が小倉城や岩国城の天守のように「唐造り」であった。

現在は、三重櫓や門など一部の建物と一部の石垣、堀が現存し、城跡は「玉藻公園」として整備されている。  城郭の形式は輪郭式平城で、本丸を中心に二の丸、三の丸、北の丸、東の丸、桜の馬場、西の丸が時計回りに配置され、 3重に堀が廻らされていた。 かつては城壁が瀬戸内海に直接面し、外濠・中濠・内濠の全てに海水が引き込まれ、 城内に直接軍船が出入りできるようになっており、水軍の運用も視野に入れ設計されていた日本初の本格的な海城である。  縄張りは黒田孝高が手掛けたといわれ、細川忠興、小早川隆景、藤堂高虎などによるとも言われている。  高松城をはじめとする海城は海上封鎖が難しく、水攻めや水断ちといった攻城手段が使えないため戦争時の篭城や物資の搬入、 脱出ができ、近世の縄張りとしては有利であった。

しかし、版籍奉還以後廃城になった高松城は明治以降の都市化の波に呑まれ、現在では海側に新しい水城通りが通り、 ほとんどの建物が取り壊され、内堀と中堀の一部を除いて埋め立てられている。 最盛期には66万u(約20万坪) あった城の総面積も、現在では約1/8の7万9587u(約2万4千坪)にまで減少した。  しかし現在でも外堀と内堀には海水が引き込まれており、往時の名残を残している。  そのため、堀には牡蠣などの貝が生息し、養殖の鯛も放流されている。

本丸は城のほぼ中央に位置し、周りを内堀に囲まれ他の曲輪とは完全に独立している。 外部とは、長さ約30メートルの 木造の鞘橋一本だけで繋がっており、この橋を落とせば内部にいる人間は逃げ場を失う造りである。  本丸の面積は狭いため御殿などの居住施設はなく、多聞櫓で囲まれた天守があるのみである。  その天守台は本丸の東端に突き出し、三の丸の方から見ると天守が海上に浮いているように見えたという。

天守は独立式層塔型3重4階、地下1階、初層平面が東西13間2尺(約26.2m)×南北12間2尺(約24.2m)、 高さ13間半(約24.5m)にもおよんだといい、現存している3重5階の高知城天守(高さ約18.6m)や 松山城(高さ約20m)の天守を凌ぎ四国最大の規模であった。また、4階平面が3階平面より大きい、いわゆる唐造で、 1重めも天守台から外には張り出させて石落しを開いていたと考えられている。 ほかに、1重めと2重めの比翼入母屋破風と唐破風、 4階の華頭窓などの特徴があった。創建時の天守は下見板張の黒い外観であったが、寛文11年(1671年)の松平氏による大改修の際に、 白漆喰総塗籠の天守に改築されたと見られている。

現在、高松市立玉藻公園として有料で開放されている。 天守は現存せず、重要文化財には月見櫓、艮櫓、 水手御門、渡櫓が指定されており、毎週日曜日、月見櫓と渡櫓の中が一般公開されている。  また、城内にある桜の馬場は桜の名所として知られ、春になると多くの花見客が訪れる。



〜ロープウェイ乗場に到着〜


こちらがロープウェイ乗場の入り口です。
中に入りチケットを購入したら、エレベータで3階まで
上がります。 そこがロープウェイとリフト乗場になっています。


なんとここでも観光地にある顔を出すやつ。
こちらは「坊ちゃん」役の「頭」氏


多分、普通40過ぎたおっさんはやらないかも。
こちらは「うらなり」役の「西」氏


でも我々は羞恥心が0なので大丈夫なのです。
「赤シャツ」役の「岡」氏


ちなみに我々以外の人はやっていませんでした。
「山あらし」役の「増」氏





こちらがロープウェイです。 地上にある「東雲口駅」から約3分位で「長者ヶ平駅」に到着します。 「長者ヶ平駅」から城までは 徒歩約10分位で到着します。 料金は往復で1,000円です。 今回写真は撮らなかったのですが、松山のこのような施設の 女性の店員さんは、皆明治時代の学生さんの格好をしています。 営業時間は季節によって異なりますが、冬のこの時期は8:30〜17:00 までとなっています。 





行きはロープウェイで行きましたが、帰りはリフトを使ってみました。 ロープウェイだと3分位ですが、リフトだと 5分位だったでしょうか。 本日は天気がよかったので、リフトも非常に気持ちいいです。  写真左は、リフトに乗っていて普通に景色を撮影したつもりでしたが、どーも派手な服の方が乗っているなぁ。。。と 思ったら、近くにきてみると(右の写真)・・・ のわーーー。本当にサンタクロース(の人形)でしたっ!! (ちょっと怖い・・・)  なぜこんなものが乗っているのか、意味は分かりませんが、所々に「松山へようこそ」と書いてある花束が リフトの椅子に置いてあったり、いろいろありました。



国分寺連合4人で記念撮影です。



ここでも恒例ソフトクリーム。
高級伊予柑ソフトクリーム← →栗ソフトクリーム


何か分かりませんが、マスコットみたいです。





ここが城の入り口です。我々は写真には
写っていませんが、右の入り口から入ります。
ちなみに右の入り口らしきものは
城主のみが使用できる入り口なんだそうです。


城の中は色々なものが展示されています。



刀、槍、薙刀などの展示もあります。 
刀に美しく彫られた龍の彫刻が目を引きます。


城から敵に向けて鉄砲を撃つ穴から撮影です。



天守閣からの景色です。
奥のほうは海が写っています。




〜路 面 電 車〜

高知市内に引き続き、またまた路面電車を発見しました! しかも高知では路面電車を外から写すだけでしたが、 今回は、松山城近くの駅から松山駅まで実際に乗ってみました。 ガタゴト、ウーンと独特のモーター音が 懐かしさを感じます。 料金は全区間共通で150円です。 有名な道後温泉のほうにも行きます。  いや〜、路面電車は10年前位に広島で乗った以来だったので、感激もひとしおです。

伊予鉄道株式会社は、愛媛県松山市に本社を置く、民間の鉄道事業者である。  鉄道事業のほか、松山市中心部で軌道事業、中予地方をエリアとして路線バス・貸切バス事業を展開している。  地元では伊予鉄(いよてつ)の愛称で親しまれている。 また、百貨店、旅行代理店、観光関連、自動車整備、 人材派遣などを含む伊予鉄グループの中核企業である。 鉄軌道及びバス事業のすべてが単体でも黒字であり、 “地方公共交通の優等生”であると言える。


路面電車の軌道です。


我々が乗ったのと同型の車輌です。


路面電車の中からの風景です。


新型車輌も走っていました。