信 長 の 館

いや〜安土城はホントにすばらしかったですね〜。 管理人は本当に感動しましたよ。  でも現在時刻は14:45、あっという間に時間が経ってしまいますね〜。 帰りの新幹線の時刻が18:30頃なので、草津駅に17:30には着かないといけないんです。  近江八幡から草津までは1時間位かかるそうなので、今回は琵琶湖1/4周までとし、このまま近くの信長の資料館に行くことにしました。  資料館の名前は「信長の館」と言います。 なんでも安土城の天守上2段(5階、6階部分)を完全再現したものが展示されているんだそうです。 ちょっとこれは見てみたいですね。


安土城を出発して、車で15分位で信長の館に到着しました。 こちらの施設は公共機関なんでしょうかね〜。 信長の館以外にも、公会堂のようなものがあったり、スポーツグラウンドがあったり、色々な施設が集合していました。  最初はどの建物が「信長の館」なのか分からず、迷子になってしまいましたが、なんとか到着〜。 受付で入場券を購入して中に入ります。 入場料は600円です。




こちらが入場券です。 こちらの資料館はフロアーの中心に天守を再現した建物があり、その周囲に信長の肖像画だったり、当時の料理だったり、歴史的な史料が展示されていたり、安土城をロイスフロイト目線で解説したVRシアターがあったりします。  VRシアターもバッチリ見ましたが、非常に分かりやすく、今まで知らなかったことも沢山解説されていました。



入口を入りますと、正面に天守が鎮座していますよ。 ものすごく豪華な装飾ですね〜。 これは原寸大なんだそうですよ。 こちらの復元した天守は1992年に開催された「スペイン・セビリア万国博覧会」の日本館のメインとして展示されていたんだそうです。  万博終了後、その「天主」を安土町が譲り受け解体移築し新たに追加復元された部分を含め、保存・展示しているんだそうです。 「幻の名城」を復元した原寸大が見れるとは感激です。 先程の安土城跡と、ここの天守を見て初めて安土城を見たって感じになりますね〜。



こちらは信長の甲冑ですね。 左側の甲冑はよくテレビドラマなどでも見かけますよね。 甲冑の下には「天下布武」と書かれています。 weikipediaによると、「信長は美濃攻略後に井ノ口を岐阜と改名した頃から「天下布武」という印章を用いている。 訓読で「天下に武を布(し)く」であることから、「武力を以て天下を取る」「武家の政権を以て天下を支配する」という意味に理解されることが多いが、その真意は、軍事力ではなく、中国の史書からの引用で七徳の武という為政者の徳を説く内容の「武」であったと解釈されている。 」 説明はもっと長いのですが、管理人も勘違いをしていたようです。 深い言葉だったんですね〜。



こちらは天守の5階部分の内部の様子です。 5階部分は正八角形をしていますが、内部も同じように正八角形をしています。 城で八角形の部分があるのってなかなか珍しいですよね。 壁には金色の絵画が描かれていますね。 どうやら仏様を描いているもののようです。  5階は天界をイメージしたものになっているそうです。 正面にはお釈迦様が弟子に教えを説く図柄なんだそうです。 フロアーの中心は一段高くなっており、畳が敷いてありました。 周囲の柱は朱色に塗られており、部屋の中の金色とのコントラストがとても良いですね。



天守の脇には階段が設置されており、天守の6階部分を見学することもできます。 6階の外装は金ピカですよ。 5階と異なり6階は正方形をしています。 外装に対して内部は黒漆塗りとなっています。 5階は金と赤のトントラストでしたが、 6階は金と黒のコントラストです。 こちらも重厚感があり、非常に良い雰囲気ですね。 こちらも壁に絵が描かれています。 道教・儒教の教義を描いているんだそうですよ。 老子や孔子、七賢人などが描かれています。





なんとっ! 織田信長の肖像画が展示されていましたよ。 この肖像画は管理人は初めて見ました。 織田信長のイメージといえば小学生の教科書などに載っている絵のような肖像画ですもんね。 その絵と比べると、大分本物に近そうな感じがしますよ。  説明書きによりますと、この肖像画は、当時の宣教師が描いたもので、信長に最も似ていると天童織田家に伝えられてきたものなんだそうです。 これはすごい! なんだか目鼻立ちがくっきりしており現代人のような顔立ちをしていますよね。




信長の肖像画の反対側には、いくつもの御膳が並んでいました。 こちらは信長が家康の武勲を讃えた「本膳料理」なんだそうです。 これは武田氏征伐の武勲を祝すための饗宴で、安土城に招いた家康を天正10年5月15〜16日の両日にわたり総計120品にも及ぶ料理で歓待しています。  このときの接待役だった明智光秀が信長から叱責され、役を降ろされた、そしてそれが本能寺の動機になったのでは!?という話は有名ですよね。 本能寺の変の動機は諸説ありますけどね^^;
写真は2枚だけ掲載していますが、このような御膳が10台位展示してありましたよ。