石  山  寺

南草津駅まで親戚の方がお迎えに来てくれました。 まずは荷物もあるので、親戚の御宅にお邪魔します〜。 ちなみに今晩はそのまま親戚の御宅にお泊りさせて頂きます。 親戚の御宅で少しくつろいだ後に、いざ観光へ!  今回最初の観光地は「石山寺」です。 石山寺は琵琶湖から流れ出す「瀬田川」沿いにあります。 琵琶湖の南端に位置しますね。 こちらのお寺も非常に有名なお寺なんですよ。 でも何故か観光客が少ない・・・  まぁ時間がもう15:00頃で遅かったというのもあるのかもしれませんが、それにしても人が少ない・・・ 親戚の方によりますと、滋賀県というのは歴史的な建造物等が非常に多いのに、あまり観光には力をいれていないんだとか。  そういえばこの間国分寺連合BBTで行った茨城県もそんな感じしましたね^^; せっかくいいものがあるのにちょっと勿体ないです。


石山寺に到着しました〜。 到着時刻は15:10頃。 石山寺から一本道路を挟んだ目の前に瀬田川が見えます。 ちなみにこの「瀬田川」というのは滋賀県、京都府、大阪府を流れているのですが、滋賀県を流れているのが「瀬田川」で、京都府に入ると「宇治川」、大阪府に入ると「淀川」というように名称が変わっていくんだそうですよ。  いづれも有名な川ですが、1本の川だとは知りませんでした。

車でいきますと、近くに有料駐車場の他、無料駐車場もあるようですので、こちらを利用すると良いでしょう。 残念ながら今回は無料駐車場は満車でしたので有料駐車場にピットイン!  駐車場から徒歩2〜3分で石山寺の入口にあたる「東大門」が見えてきます。 すごく厳かな雰囲気がありますよね。

石光山石山寺は、琵琶湖から流れ出る瀬田川の西岸に位置する真言宗の大本山です。 境内には至る所に壮大な硅灰石(天然記念物)が突出し、巨大な堂宇もその上に建てられています。 『石山寺縁起絵巻』によれば、石山寺は天平19年(747)、聖武天皇の勅願により、奈良東大寺の別当である良弁僧正が創建しました。  平安時代には真言宗寺院となり、数多くの貴族や女流文学者が参拝する「石山詣」が盛んになりました。 by 石山寺HP


東大門

まずお出迎えしてくれるのが「東大門」です。 非常に立派な門ですね〜。 なんでもこちらの門は鎌倉時代の建立とのことですが、慶長期の淀殿の寄進による伽藍再興の際、新築に近い大規模な修理が行われたそうです。 両脇には仁王様が門を守っています。  ちなみに門の前に「西国十三番」と書かれていますが、これは「西国三十三所」の十三番目ということを示しています。 この「西国三十三所」は、近畿2府4県と岐阜県に点在する33か所の観音信仰の霊場の総称で、これらの霊場を札所とした巡礼は日本で最も歴史がある巡礼行であり、現在も多くの参拝者が訪れています。







「東大門」を潜り抜けますと、長い参道が現れます。 両脇にはモミジの木がずらりと並んでいますね〜。 今は青々とした葉をたくわえていますが、秋になると紅葉が綺麗でしょうね〜。
こちらの参道の途中には大黒天をまつった建物や、「○○院」と書かれた建物が並んでいました。 「○○院」って何軒もあったけど、これって何なんでしょうね〜。



大黒天

なんとか院


参道を歩くこと5分位で受付に到着します。 拝観時間は8:00〜16:00とありましたが、我々が受付に到着したのが15:30。 あと少しで閉まってしまうところでした。 


参道を抜けて受付に到着しました

こちらが入場券です。拝観料は600円です


受付を通り過ぎると、すぐ右側に大小様々な岩が連なった小山が見えてきます。 岩には苔が群生しており、一種異様な景色にも見えますよ。 多分これが天然記念物の硅灰石なんだと思います。 そのダイナミックな造形は圧倒されますよ。  見る角度によっても表情が変わるので、見ていて飽きませんね〜。 本堂なども全てこの岩山の上に建っていましたが、この岩と建物のコントラストもなかなか良い景色です。





本堂に行くにはこちらの階段を上っていかなければいけません! 最近管理人は坂を登ったりすると、すぐに心臓が破裂してしまうので結構心配・・・ 階段の脇には木で作った杖が用意されていましたよ。 それだけ上りがきついってことですよね^^;  杖を一本手に取り、さ〜上りますか!




ゆっくりと階段を上っていると、階段の途中に小さな祠がありました。 こちらは「龍蔵権現社」と言います。 こちらの社は、宝治元年(1247)、勧進沙門祐円が再興したそうですが、天明の頃に朽損し、明和年間(1764〜1772)に再興されたそうです。




やりました〜。 ようやく階段を登りきりました。 すると眼前には大きな杉の木がっ! こちらが石山寺の御神木なんだそうですよ。 なんでも天平時代の石山寺草創当時からの老杉で千年杉と呼ばれているんだそうです。 すごくオーラが出ているような気がしますね。  寺院に行くと、大体杉の木が御神木になっているケースが多いような気がしますが、何か理由があるのでしょうか。。。 Yahoo知恵袋にそれらしい回答がありましたよ。 いくつか理由があるみたいですが、その中のいくつかをご紹介します。  ・杉の葉を練って抹香や線香に加工したので寺などに植えられた。 ・太古の昔、杉の大木が山陰の浜に漂着し、それで出雲大社の建て替えを行ったという「寄木之造営」という話があり、今も出雲大社などは総杉造りで、社寺の建て替えにふさわしい樹木として植林された。  ・杉の木は高く、天にそびえるので、神が降臨しやすいとの思想もあった。 ・杉の葉はよく燃えるので、護摩儀式、たいまつ着火に便利などので植えられた。 他にもありましたが、どれもそれらしい理由ですよね。 




御神木のすぐ横には「観音堂」がありました。 こちらは石山寺の本尊如意輪観音を中心に、西国三十三所観音霊場の観音様がお祀りされているんだそうです。 もしかして、ここにお参りしたら三十三所を廻ったことになる!? 




「観音堂」の横には「毘沙門堂」があります。 こちらは滋賀県指定の有形文化財なんだそうです。 こちらの御堂は兜跋毘沙門天・吉祥天・膳膩師童子を祀る堂宇です。 兜跋毘沙門天を深く信仰する紀州の藤原正勝が建立し、建立の由来や造営の組織、工匠、造営方式が判明する天で貴重な建物なんだそうです。 建造は安永2年(1773)です。




ついに本堂に到着しました〜。 本堂の建物はかなり大きくて、一枚の写真に収まらなかった^^; 本堂は山の崖に建てられているように見えました。 どことなく京都の清水寺と造りが似ているような気がしました。  こちらの本堂は滋賀県最古の木造建築物なんだそうです。 承暦2年(1078)の大火で焼失しましたが、内陣(正堂)は永長元年(1096)に再建され、外陣(礼堂)は慶長7年(1602)淀殿の寄進により増築されました。 

石山寺のご本尊は日本で唯一の勅封秘仏 二臂如意輪観音菩薩で、安産・福徳・縁結び・厄除けに御利益のある観音様として広く信仰されてきました。 観音が33の姿で人々を救済することにちなみ、33年ごとに御開扉が行われます。  平安時代には京都の清水寺や奈良の長谷寺と並んで三観音とされ、多くの方々の信仰を集めました。 by 石山寺HP







なんと! 本堂のすぐ横に平安時代の姿形をした人形が座っておりました。 実は、こちらの石山寺はかの有名な紫式部が「源氏物語」の構想を練った場所としても有名なんです。 この石山寺は文学作品とも縁が深いそうで、「枕草子」「蜻蛉日記」「和泉式部日記」などにも石山寺が登場するんだそうです。 





こちらは重要文化財になっている「経蔵」です。 経蔵は高床の校倉で、かつては国宝の淳祐内供筆聖教等を収蔵した建物です。 建物は、頭貫木鼻の意匠や桁や垂木に反り増しがあることなどから、桃山時代の16世紀後期頃の建立と考えられます。  八角の束柱上を頭貫でつなぎ、その上に台輪が乗り、校木は桁行・梁間方向とも同じ高さに十段組んでいます。 台輪は木鼻の部分で矧ぎ木をして1木のように見せています。 滋賀県における数少ない校倉造の遺構の1つで、また全国的にも類例の少ない切妻造の校倉として、更に石山寺にとっても重要な経典類が良好な状態で長く収納されてきた建築としても貴重です。





更に階段を上がって、石山寺の最上段に上って参りました。 最上段には日本最古とも言われる多宝塔が鎮座しています。 もちろんこちらも重要文化財です。 多宝塔というのは寺院建築のうち仏塔における形式のひとつです。  初層が方形、二層が円形で、相輪のある方形屋根を有する塔のことを言います。 確か以前高野山に行ったときにも同じような様式の塔がいくつも建っておりました。 そもそも多宝塔はどんな由来があるのかをwikipediaで調べてみたのですが、 「多宝塔は、「法華経」見宝塔品第十一に出てくるもので、釈迦が霊鷲山で法華経を説法していると多宝如来の塔が湧出し、中にいた多宝如来が釈迦を讃嘆し半座を空け、二如来が並座したとされることに由来する。」と書かれていました。 難しくてよく分かりません>_<

多宝塔の本尊は大日如来座像です。 ご本尊は建久5年(1194)に塔と同時期に制作され、像高120cm、寄木造り。 表面に漆を塗って(金箔張り)玉眼や写実的な頃身には切金文様がほどこされ、また左肩からヤスキ上の条帛、衣のひだも洗練され、典型的な鎌倉様式の風格を備えた見事な像になっています。









石山寺の境内には色々な建物がありますよ。 どれも歴史を感じるものばかり。 年代を見ても鎌倉時代とか平安時代、室町時代のものが多いですね。 屋根のつくりなどを見ても木の組み方や装飾が現代のもととは違うような気がします。

多宝塔から階段を下りて下山してまいります。 すると、今度は鐘楼が現れました。 鐘楼というのは寺院や教会などにおいて鐘を設置するために設けられた施設のことです。 この鐘楼は桁行三間、梁間二間、重層で袴腰を付け、屋根は入母屋造り、檜皮葺となっています。  昭和28年(1953)からの解体修理によってかなり復元され、袴腰は白漆喰壁に、棟は短くなって全体的につりあいのとれた美しい姿になりました。 縁下と上層の軒下には三手先木組をもっていますが、特に斜めにでる尾垂木のないのは珍しい特徴です。  源頼朝の寄進と伝えられていますが、様式や木材の風触から、鎌倉時代後期のものと考えられています。 





大分下りてきましたよ〜。 周るのに40分位かかっていますが、後で境内の地図を見てみたら更に外周を廻る道があったみたい。 外周のほうにも貴重な建物があったようですよ。 そっちも見たかったけど、この後「三井寺」にも行きたかったので、今日はこれくらいで勘弁してやることにしました。

こちらの建物は「石山寺御影堂」といいます。 こちらの御影堂は室町時代の建立で、正面三間、側面三間、宝形造、檜皮葺で、背面に一間の張出を設けます。 堂内は中央間後方一間を板壁で囲って内陣とし、内部の須弥壇には、弘法大師、良弁、淳祐の遺影(御影)を安置しています。  建立当初は、中央一間に須弥壇を置く形式でしたが、慶長期に堂全体の修理が行われ、江戸中期に虹梁を加え、後方を内陣とする改造がなされました。 柱は全て円柱とし、外観は正面および両側面の中央を板堀とし、半蔀を吊って障子を立てます。  室町時代の軸部を残し、慶長期の洗練された外観をもつ建築として、平成20年(2008)12月、国の重要文化財に指定されました。





いや〜しかし石山寺は見応え抜群でしたね。 確かに滋賀県で有名な観光地を探すと、石山寺って出てきますもんね。 でも↓の写真は東大門前にあるお土産屋さんなんですが、他の有名な寺に比べてお土産屋さん街の規模が小さい・・・  控えめな感じは管理人的には好感が持てるのですが、もう少しだけ商売っけを出しても良いのでは!? 前に行った善光寺などは仲見世は土産物屋だらけでしたよ^^