自 由 の 橋


ムンサン駅で下車した我々は駅で待ってくれていたマイクロバスに乗り込み、一路「自由の橋」に向かいます。  移動時間を重ねる毎に、商用施設や住宅の数が減っていきます。 何か空気までもが変わっていくような気さえしました。  これから行く「自由の橋」というのは、イムジン川に架かる橋のことです。 元々は京義線の鉄橋で、下り線の鉄橋を道路橋に 改造して使用していたものです。 かつては民間人統制区域、板門店へのアクセス道路として「南北を結ぶ道」として 使用されていましたが、新たに北側に「統一大橋」が開通したことにより、再び京義線の鉄橋として改造され、現在に至っています。  1953年に休戦協定が結ばれた後、捕虜1,3000人余りが橋を渡る際、「自由万歳」と叫んだことから自由の橋と 呼ばれるようになったんだそうです。



北朝鮮へ向う唯一の鉄道の「自由の橋」

「望拝壇」

第二次世界大戦後、朝鮮半島は日本の統治下を脱し、北緯38度線を境界として南側はアメリカ合衆国軍が、 北側はソビエト連邦軍が占領することになりました。 これが朝鮮半島の南北分断の始まりです。  その結果、離散家族が生まれることになります。

お話を伺っていると「金」さんのお父さんも北朝鮮にいらっしゃるそうですよ。 なので法事のときなどには 北朝鮮に取り残された家族に一番近づけるこの地で法要などを行うんだそうです。  このような悲劇を再び繰り返さないようにするのが我々の責任なのでありましょうか。
「機関車」

この機関車は韓国戦争の最中に被弾し、脱線後、半世紀を超えて非武装地帯に放置されていた南北分断のシンボルだそうです。  2004年、歴史の証拠品として文化財に登録され、POSCOの保存処理技術の支援を受けて錆びをはがし、国民の歴史教育の資料として 活用しようとする京畿道の強い意志により現在の展示場に映されました。

当時、この列車を運転していた機関士の証言によると、軍事物資を運ぶために開城から平壌に向かっている途中に中国軍に介入され、平壌にたどり着けないまま 破壊されたそうです。 機関車の車体には1020余りの銃弾痕があり、ねじれた車輪は残酷な当時の状況を伝えています。



「自由の橋」のプレート


南北統一の祈りを込めたリボン











今日お世話になったガイドの「金」さんです。


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