景 福 宮


青瓦台をチラ見して公園を散策したあとは、また自動車に乗って歴史的建造物の「景福宮」にやってきました。 駐車場に入って少し歩くと門にたどり着きます。 ここの正面の門って、 日本のテレビで韓国を映すときに、正面に門があって、車がすごく渋滞している映像が流れることがあるのですが、まさしくそのときに映る門です。 この門は光化門という門です。  今回はあまり事前調査をして出発しなかったので、あまりこれが何だか分からずに行ってしまったのですが、歴史的意味深さや背景などを調査してから行けばよかったと後悔しました。  それだけ壮大で趣深い建物です。 敷地は相当に広く、景福宮での滞在時間は1時間30分位でしたが、今回見れたのは全体の半分位だそうです。 先ほどご紹介した大統領官邸の青瓦台も この景福宮の敷地内にあるそうです。 ガイドの「羅」さんによりますと、景福宮を全部見るには半日は要するそうです。 第二回目の韓国旅行で残りを見学したいと思います。

景福宮(キョンボックン)は、李成桂により1395年に置かれた朝鮮王朝の王宮です。 近代では、大日本帝国に併合された後に朝鮮総督府の庁舎が置かれ、大韓民国が建国された後は、 敷地の一部に先ほどご紹介した青瓦台が置かれています。 現在は景福宮の中心部に1867年に興宣大院君によって再建された勤政門や勤政殿などが現存し、建物の復元事業が行われています。  



こちらがテレビでもよく映る「光化門」といいます。 光化門(クヮンファムン)は王宮の城門の遺構です。 最初は李成桂による漢陽遷都(1394年)の際に、景福宮の正門として建設されました。  1553年の大火で焼失、豊臣秀吉の文禄の役(1592年)の際、朝鮮民衆に放火され再び焼失するなど、何度かの消失・移動・復元工事を経て、2010年8月に最新の門が一般公開されました。


ガイドさんの「羅」さんがチケットを買ってくれている間に、プラプラしていると、何やら光化門のほうからドンドンパフパフと祭りのような音が聞こえてきました。 慌てて横の門から中に入ると、民族衣装というのでしょうか、 恐らく李朝時代の衣装なんだと思います。 様々な色の服や旗を持った行列が音を鳴らしながら行進して参りました。 これは衛兵の行進なんだそうです。 観光客の目の前まで来てくれますので、シャッターチャンスも豊富です。
こちらは勤政殿(クンチョンジョン)といいます。 景福宮の中心部にある正殿で、1867年に興宣大院君によって再建されました。 勤政殿は文武百官からの朝賀を含んだ国家の大きな儀式を挙行することや 外国からの使臣を接待するなど、景福宮の正殿でありながら同時に法殿だったそうです。 名称は高麗末期、朝鮮王朝初期の政治家、学者であった鄭道伝が名付けました。 勤政殿の勤政というのは「世の中の事柄は勤しむとうまくできる」という 意味なんだそうです。 

この景福宮には、このような建造物が多々ありますが、やはりこの勤政殿が一番厳かです。 色はどの建物も緑色やオレンジ色をしています。 何かどことなく、沖縄の首里城にも似ているような気がしませんか!? やはり同じルーツを感じずにはいられません。


勤政殿の天井に描かれた「双竜」です。「竜」は
縁起の良いもので君主の象徴となります。竜顔
(君主の顔)、竜袍(君主の服)など君主と関係した言葉。


勤政殿の「玉座」と後ろの絵が「日月五嶽図」
といいます。「太陽と月」は王と王妃を象徴し
「5つの峰」は王が治める広い国土を表す。


勤政殿の正面には少し高くなった道路のようなものがあり、ここは王だけが通れるようになっているそうです。 そして勤政殿正面の両脇には写真のような石碑のようなものが立ち並んでいます。  この石は大理石でできてまして、正1品から正12品までそれぞれ12個ずつの品石が並んでいます。 これは品階石というもので、官職の地位を区分して立つ場所を表したものなんだそうです。 勤政殿に近いほど地位が高い官職になっているそうです。 
各建物の横のほうに写真のような穴があります。 これはオンドルなんだそうです。 ここで火を焚き床を温めるんだそうです。 建物は各季節に対応できるようになっており、夏の暑い時期は北岳山側の扉を開放することで、北岳山からの風が入って涼しさを 確保し、服の寒い時期はこのオンドルで火を焚き床を温めるそうです。 また床から天井までの高さも少し低めに設計されているそうですが、これはオンドルによる熱気で早く部屋が温まるように工夫されているとのことでした。

この景福宮や「風水」を相当に意識して建設されているそうです。 無学大師の風水に基づき漢江の北、北岳山の南にあたる「陽」の地が選ばれたんだそうです。 この地だけでなく風水は敷地内の花壇に至るまで意識されているそうです。 
こちらは慶会楼(キョンフェル)という昔の迎賓館です。 慶会楼は国王と臣下が参席する重要な宴会や外国使臣を接待する宴会場でしたが、誰もが自由に出入りできる場所ではありませんでした。  慶会楼は国王と臣下が出会いを楽しむ場所という意味からつけられた名前で、看板の字は太宗(テジョン・李朝第3代国王)の王世子だった譲寧大君(ヤンニョンデグン)が書いたものだそうです。  池の真ん中には2つの島があり、東側にある四角い島に慶会楼があり、景色もとてもいいです。 1412年に太宗の命令によって創建された慶会楼は文禄慶長の役で焼失。 その後1867年、興宣大院君によって現在の姿に再建されました。

上の階は建物の外側がすべて額のように作られていて、まるで風景画を見ているようなんですって。 慶会楼の背後に聳え立つ山の麓に、現在の青瓦台が見えます。 また、昔はこの池で船に乗って夕涼みを楽しんだということで、 建物から船に乗るときのための石の階段もちゃんとあります。 ちょうど管理人が行ったときも、舟が池に浮かんでいました。

〜 その他の建造物(前朝) 〜


興礼門


勤政門


思政門


思政殿


千秋殿


万春殿


〜 その他の建造物(後廷) 〜


康寧殿


迎生殿


交泰殿


含元殿