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こちらが勾当台公園の景色です。ここら辺は仙台市役所、宮城県庁、青葉区役所、その他企業さんのビルが立ち並ぶオフィス街といった感じですが、そんな中にこの公園が都会のオアシスのように存在します。(うまい表現!) 「勾当台」の名称は、仙台藩藩祖伊達政宗が寵愛した盲目の狂歌師・花村勾当の屋敷があったこと、また、広瀬川の河岸段丘により、江戸時代の仙台城下町の中心部(芭蕉の辻)側から見て園内の一部がやや高台になっていることに由来するそうです。 |
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江戸時代に仙台藩藩校「養賢堂」があり、仙台の学問の中心地でした。明治時代になると、廃藩置県で養賢堂は初代・宮城県庁舎として使用されるようになり、他に現園内には宮城師範学校、宮城書籍館(現・宮城県図書館)、商品陳列所、仙台衛戍病院、隣接地には仙台市庁が設置され、仙台の行政関連の中心地となったんだそうです。 写真は「谷風」という第4代の横綱の銅像です。今の仙台市若林区の出身なんだそうです。この他にも当園には「志賀潔胸像」がありました。この方は現在の宮城県仙台市出身の医学者・細菌学者で赤痢菌の発見者なんだそうです。 |
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この公園に住み着いているハト達は、普通のハトとは異なります。普通ハトは人間がそばに来ると飛んで逃げていきますが、こちらのハトは人間が来るほうに寄ってきます。公園内を歩いていても、周りをチョコチョコ飛びながら追いかけてきます。よほど人間にエサを与えられているものと思われます。 ここで、いきなりいつもクールな「岡」氏が、奇声を発してハト達と戯れ始めました。写真の「岡」氏の左下に逃げ惑うハトが写っています。おおおお岡氏。。。一体何があったのでしょうか!? 今回バードウォッチングはお預けです。 |
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定禅寺通りは、仙台市青葉区にある「杜の都・仙台」を象徴する並木道の1つで、仙台で開催される都市イベントの会場となることも多い道路です。
定禅寺通りは、仙台市都心部を東西に貫き、西公園通りとのT字路から駅前通りとの変則四叉路までに及びます。
江戸時代より沿道にあった「定禅寺」から名をとった「定禅寺通」および「定禅寺通櫓丁」が存在していましたが、
戦後にそれらを整備して「定禅寺通り」との愛称名が付けられたんだそうです。 勾当台公園から仙台市民会館にかけては、ケヤキの街路樹が通りの両脇の歩道にそれぞれ1列ずつ、中央分離帯に2列の計4列に並んでおり、 枝葉が通りの上部の全てを覆っています。道路標識や信号機が葉に隠れないようケヤキは下枝が刈られており、 葉の生い茂る高さは周辺ビルの3〜4階辺りとなっています。 このため、冬季以外は「天井の高い緑のアーケード」のような状態となり、少々の雨では歩いていても濡れることもありません。 また、冬季のSENDAI光のページェントの際には「光のトンネル」のような状態となり、その景観の美しさから、日本の道100選に選にも選ばれています。 |
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東一番丁通りより西側には、中央分離帯の2列のケヤキ並木の間には遊歩道が整備されています。
遊歩道の舗装は、東一番丁通りから国分町通りまでのブロックはウッドデッキ様、それより西のブロックは土です。
この遊歩道沿いにはベンチが設置されている他、定禅寺ストリートジャズフェスの際に使われる小さな舞台が複数設置されています。
この遊歩道には、他に3体の彫刻(ヴェナンツォ・クロチェッティ作「水浴の女」、ジャコモ・マンズー作「オデュッセウス」、
エミリオ・グレコ作「夏の思い出」)が設置され、西端には噴水が設置されています。
両脇の歩道には特別なものは設置されていませんが、ケヤキを囲む柵がパイプベンチとなっています。 観光ガイドでは新緑の見事なケヤキ並木が写っていましたが、やっぱし冬はこんなんですよね。葉っぱが一枚もありません。 |