小 江 戸 ・ 川 越

さきたま古墳公園を出発したのは13:10頃。 ここから最後の観光地である川越に参ります。 ここから川越までは車で約1時間程。 昨日の長瀞や秩父はどちらかというと田舎道で車もそんなに多くなく信号もなく走りやすい環境だったのですが、 行田から川越に向かう国道は片側2車線でまっすぐな道が続き、信号も少な目。 こちらも非常に走りやすい道でしたよ。 横浜とか東京もこんな感じなら良いのにな。

さて、実はこれから行く川越は昨日と今日で川越祭りってのをやっているんだそうですよ。 そういえば川越祭りって聞いたことがありますね。 結構有名な祭りみたい。 でもこの祭りのおかげで川越の小江戸周辺の道は歩行者天国になり、車は軒並み通行止めに・・・  最初に車を停めようとしてた川越市役所の駐車場も通行止の先にあったため入ることができず・・・ 周辺を結構な時間グルグル回って、ようやく駐車場に入ることができました。 でも駐車場は川越駅の近くだったので、小江戸の最初の目的地「川越城」には1時間もかかりましたよ。  祭りで人が多くて、思うように進めない場面も多々ありましたね。 いや〜川越祭りってすごい賑やかなんですね〜。 びっくりした。


〜川 越 祭 り〜

駐車場から小江戸方面に歩いていくと、すぐに祭りの雰囲気が出てきましたよ〜。 細い路地の両脇には出店がズラリと並んでいます。 今日は朝食を宿で食してから、さきたま古墳公園でゼリーフライを1個食しただけなので、ちょっと腹が減り始めています。  でもなんだかちょっと値段が高いな〜っていうのと、もっと他に良いお店があるかもしれない!ってことで我慢しておりました。 途中には屋台村なんてのもありまして、ここは広い駐車場が全部出店になっておりました。 一体これだけの出店がどこから集まったのか。。。 すごい迫力でしたよ。

川越まつりは江戸の天下祭(神田明神、赤坂日枝神社の各祭礼の総称)の影響を強く受けて発展し、祭で曳き出される山車の形も天下祭の流行を敏感に感じ取りながら変化していった。  精巧な人形を乗せた絢爛豪華な山車が、小江戸川越の象徴である蔵造りの町並みを中心に、町中を曳行される。 何台もの山車が辻で相対し、すれ違うさまは、そのスケールの大きさに、見物客を圧倒する。

川越まつり最大のみどころは「曳っかわせ」。 向かい合う数台の山車が、囃子(笛、太鼓、鉦、踊り)で競演し、まつり人たちは提灯を高々と振り上げ、歓声を上げる。 とくに夜の「曳っかわせ」は最高潮の盛り上がりを見せる。

川越まつりは、江戸「天下祭」の様式や風流を今に伝える貴重な都市型祭礼として370年の時代を超えて守り、 川越独特の特色を加えながら発展してきた。 平成17年(2005)、「川越氷川祭の山車行事」として 国指定重要無形民俗文化財となった。by 川越まつりHP


更に前に進んでメインの通りにいくと、もう周囲は人・人・人・・・ すんごい混雑ですよ。 その中を所せましと御神輿??のような山車??のようなものが通りを練り歩いていきます。  後でインターネットで調べてみると、これはやっぱり「山車」なんだそうです。 川越祭りのHPによりますと、「川越まつりでは、江戸と川越の職人によって完成した華麗な江戸系川越型山車が数多く登場する。  山車の構造は二層の鉾と人形からなる江戸型が発展したもの。 鉾の前に唐破風か欄間を乗せた舞台(囃子台)があり、多くの山車はせいご台の上で360度水平回転する回り舞台になっている。  山車には、黒や赤の漆が塗られ、金箔も使われている。 勾欄や腰まわりの彫刻はけやき材で、はめこみ式。さらに上、下の鉾には金銀の彩りもあざやかな刺しゅう仕上げの幕を張る。」だそうです。  しかもこの山車は1基や2基だけではなく、いくつもあるようですね。 これは「頭」氏も言っていましたが、どうやら町内会毎にあるみたいですよ。 例えば「幸町の翁の山車」、「喜多町の秀郷の山車」、「元町二丁目の山王の山車」等々数えてみたら29もありました。







〜川 越 城 本 丸 御 殿〜

川越での最初の目的地にやってきました。 こちらは川越城本丸御殿です。 駐車場から歩くこと約1時間。 「西」氏がスマートホンで道案内をしてくれたので無事に到着することができましたが、この文明の利器がなかったら多分着いていないね。  それほど道が複雑で、細い道なんかも通りましたからね。 なんとか無事にたどり着けてよかったです。 ちなみにこちらの川越城は100名城の1つに数えられています。 先程は続100名城の1つ忍城も見れましたし大満足です。  もっと人がいないところで写真を撮りたかったのですが、なんと本丸御殿の前にも山車が・・・ 山車が邪魔で正面からの写真も撮れなかったし、ものすごい人が多くて色々な人が写り込んでしまいました>_<

川越城は、扇谷上杉持朝が長禄元年(1457)に太田道真・道灌父子ら家臣たちに命じて築城させた城です。 当時、持朝は山内上杉房顕と連合し、古河公方足利成氏と北武蔵の覇権を巡って攻防を繰り返していました。  築城は扇谷上杉領の北端の拠点とするためと考えられます。 小田原を拠点に武蔵への進出を図る後北条氏は、天文6年(1537)に川越城を攻め落としました。  天文15年(1546)、扇谷上杉氏は当時対立していた山内上杉氏・古河公方と共に、川越城奪還を図りましたが、後北条軍の奇襲にあって大敗(川越合戦)し、後北条氏は北武蔵への支配を固めていきました。  天正18年(1590)、豊臣秀吉の関東攻略に際し、川越城は前田利家らに攻められて降伏しました。 同年8月、徳川家康が江戸城に入ると、江戸に近い川越城には重臣酒井重忠を置き、その後も幕府の有力な大名たちが川越に配置されました。  寛永16年(1639)、川越城主となった松平信綱は川越城の拡張整備を行い、本丸・二の丸・三の丸・追手曲輪・新曲輪などの各曲輪、3つの櫓、13の門からなる総面積約9万9千坪余りの規模をもつ巨大な城郭になりました。



なんと川越城の本丸御殿は中も見学できるということで、早速突入しておきました。 入館料はなんと破格の100円! とてもリーズナブルです。

江戸時代初期の川越城の姿は17世紀後半に制作されたと考えられる「江戸図屏風」に垣間見えることができます。 屏風には川越城として、本丸と二の丸が堀で区画された2つの郭として描かれています。  川越城は鷹狩などで度々将軍の「御成り」があった記録があり、本丸御殿は将軍のための「御成御殿」であったと考えられています。 元禄15年(1702)に写された「武州河越御領分明細記」には、「二之丸御屋形」とあるため、城主御殿は二の丸に置かれ、本丸に関する記述がないことから、本丸の御殿は解体されていたと考えられます。  江戸時代末の弘化3年(1846)、二の丸御殿が火災で焼失してしまいました。 そこで御殿を再建することになりましたが、当時空き地になっていた本丸が用地に選ばれ、嘉永岩塩(1848)、新たに本丸に御殿が建てられました。  新しい本丸御殿は建物の数16棟、1025坪にも及ぶ広大な建物で、城主の住まいだけでなく、城主が政務をおこなう場や家臣たちが常駐する部屋なども設けられており、文字通り城の中心となる建物でした。 


こちらが本丸御殿の入口です


使番の詰所です


物頭の詰所、このような部屋が沢山あります


廊下も趣がありますね


見事な庭園がいくつもありました


外からの建物も趣がありますね〜


縁側で一休み

明治になると、城としての役目を終え、本丸御殿をはじめとする多くの建物は移築・解体されました。 明治4年(1871)、廃藩置県により、川越県に続いて入間県ができると、川越に県庁が置かれ、本丸御殿の玄関と広間部分はその庁舎として利用されることになりました。  また、この頃「広間」の南西側に建物が増築されましたが、これは南側にあった「大書院」などの部材を再利用して建てられたものと考えられます。 入間県はすぐに熊谷県、埼玉県と変ったため、県庁は移転し、本丸御殿は「入間郡公会所」として利用され、大正7年(1918)、「専売局淀橋専売支局川越分工場」として煙草工場になりました。  昭和8年(1933)には「初雁武徳殿」として武道場になり、戦後は私立第二中学校(現川越市立初雁中学校)の仮校舎・屋内運動場として使われ、その後は再び武道場になります。 昭和42年(1967)には大規模な修理工事を実施し、屋根の修理や間取りの復元を行い、現在のような公開施設となりました。


渡り廊下を渡って別の建物へ


鎧兜も飾ってありました


こちらの庭園もいいな〜

川越城の見取り図はこんな感じ

いやいや川越城の本丸御殿はすばらしかったですね〜。 では次は小江戸に向かいますか! すると、途中に「川越城中ノ門掘跡」というものがありました! これも川越城の一部なんですね〜。 「岡」氏と「西」氏は先にいっちゃったけど、「頭」氏と管理人は撮影タ〜イムッ!

多加谷家所蔵の絵図によりますと、中ノ門は2階建ての櫓門で、屋根は入母屋、本瓦葺、1階部分は梁行4.605m、桁行9.183mほどの規模でした。 棟筋を東西方向に向け、両側に土塁が取り付き、土塁の上には狭間を備えた土塀が巡っていたそうです。


中ノ門の入り口

門の先には土塁がありました



〜小  江  戸〜

川越城から20〜30分歩くと小江戸に到着します。 大昔にお嫁さんと来たことがあるけど、もう大分忘れていますね。 今日は小江戸の道も歩行者天国になっているので古めかしい建物などを激写することができそうです・・・ でも人があまりに多すぎて写真撮るの大変でしたよ^^;

小江戸というのは、「江戸のように栄えた町」「江戸時代を感じさせる町」といった意味合いで使われる言葉なんだそうです。 川越の他にも、千葉県香取市の佐原や、栃木県栃木市の栃木宿も「小江戸」と呼ばれるそうです。 









〜唐   麺〜

小江戸の街を歩いていると、なななと! ラーメン屋さんを発見! 今日はまだ昼飯食ってないから一同大分空腹状態です。 さっきつけ麺屋さんを見つけたんだけど、丁度店じまいの時間で目の前で店が閉まっちゃったんだよね・・・  それではここで昼飯でも食っときますか! 全然関係ないけどこの店は小江戸っぽくない出で立ちですね^^;


お店の外観

現在の時刻は15:30頃。 それにしては結構お客さんいるね。 まいう〜な店なんでしょうかね〜。 メニューを見ると、赤ミソラーメンってのが一番お薦めのようですね。 他にも醤油、塩ラーメンがありますし、つけ麺もありますね。  今日は「岡」氏「頭」氏、管理人は「赤ミソラーメン」を、「西」氏は「みそつけめん」をご注文しました。

ご注文から約10分弱でラーメンが到着〜。 一見しますと普通の昔ながらの味噌ラーメンって感じですね。 ナルトなんかも入っていますよ。 ではではスープを一口・・・ うん、味がしない>_< なんだか失敗しちゃったのかな!?  それとも舌がバカになっちゃったのかな!? 味噌の味がしないというより、出汁の味もしない・・・ 麺は若干柔らかめ・・・ 管理人だけなのかと思ったら、店を出た後に皆さん同じ意見。。。 今回はお店の名誉のため、当HPのラーメンコーナーには掲載しないようにします。


赤ミソラーメン

みそつけめん


〜芋のソフトクリーム〜

ちょっとラーメンは残念だったですが、口直しにソフトクリームを食しますか! 前にテレビ番組で、川越の芋のソフトクリームがまいう〜ってやってたんですよ。 ソフトクリームを探しながら歩いていると・・・ あった〜!  4〜5人並んでいるけど、これくらいだったらすぐだね〜。 カウンターの上の方にはソフトクリームのメニューが垂れ下がっていますよ。 最初はメニューが綺麗過ぎるのでスジャータか!?と疑ってしまいましたが、中を見ると、ちゃんとアイスクリーマーでやってました。 

ソフトクリームの味は全部で5種類。 「川越紫いもソフト」「川越いもソフト」「抹茶ソフト」「川越いも抹茶ミックス」「川越いも紫いもミックス」です。 今日は「西」氏と管理人が「川越いも紫いもミックス」を、「岡」氏は「川越いも抹茶ミックス」を、「頭」氏が「川越いもソフト」をご注文〜。  しっかり芋の味がしててまいう〜でした。