妻 沼 聖 天 山 (歓 喜 院)

旅行も2日目になりました。 1日目は秩父を中心に観光して廻りましたが、2日目は熊谷市⇒行田市⇒川越市と埼玉県の名だたる都市を巡りたいと思います。 

お宿の梁山泊を出発したのが9:15。 今日最初の観光地は熊谷市にある「妻沼聖天山」です。 昨日も秩父神社や宝登山神社などを観光しましたが、埼玉県の観光地は寺社が結構多いんですね〜。 昨日観光した神社もとても良かったので、妻沼聖天山も非常に楽しみです。  梁山泊がある秩父から熊谷市までは国道140号線で向かいます。 妻沼聖天山への到着は10:20でしたから、丁度1時間位で到着いたしました。


妻沼聖天山に到着〜。 近くに無料の駐車場が沢山あったので、ここに駐車していざ妻沼聖天山に。 駐車場の近くに寺社のような建物があったので、妻沼聖天山はここかな!?  正面入口は趣のある門があります。 門の横にかかっていた看板を見ると「聖天山歓喜院本坊」って書いてある。 実はこちらは一般的には「妻沼聖天山」って呼ばれることが多いのですが、正式名称は「歓喜院」っていうんですよね。  じゃぁ間違いない! 中に入りますか!

歓喜院は、埼玉県熊谷市妻沼にある高野山真言宗の仏教寺院です。 日本三大聖天の一つとされます。 「埼玉日光」とも呼ばれ、参拝客や地元住民からは「聖天様」などと呼ばれているそうです。 でた〜また「日本三大○○」! あとで追加しておかなければっ!  ちなみに他の2つは「東京都台東区の本龍院」「奈良県生駒市の宝山寺」なんだそうです。 これもいつか制覇しなければっ!

妻沼聖天山は治承3年(八百数十年前)この地方の庄司斎藤別当実盛公が本尊聖天様を総鎮守としてお祀りし、民衆の祈願所として開創されました。 本坊は実盛公の二男良応僧都が聖天行者の修行所として建立されました。 聖天様は仏法の守護神ですので、多くの密教寺院では、寺院を守るために祀られています。  妻沼聖天山では直に祈願を篭める人を守る本尊様として祀られています。 開運・厄除け、縁結びのご利益が頂けます。 聖天様は秘仏ですが、その雄型は宇宙の真理、仏法の悟りをお示しになっています。 信者は自らの信仰によって心理を体得すれば、心眼で御姿を拝することができます。


本坊本堂への入り口の門です

門をくぐると・・・ なんとかわいらしい猫がいるじゃないですか〜 管理人は犬は最高に苦手ですが、猫は大好きですよ。 飼い猫なんでしょうかね〜。 すごく人に慣れていますよ。 人がしゃがんだら、寄ってきて身体をこすり付けています。  身体がかゆいんでしょうかね〜。 歩くとついてくるし、とてもかわゆい猫でした^^ あ〜癒された〜


猫は猛烈にかわゆいですね〜

本坊の門をくぐりますと、正面に「本坊」が見えてきました。 確かに立派な建物ですね〜。  でも日本三大聖天の一つって割にはこれで見るところは終わり!? まぁ広ければ良いってものではないですが、もうちょっと何か他にないのかな〜。 と外に出てみると、「国宝本殿は200m先」と書かれた看板を発見!  そうか〜やっぱり他にもあったのね。 境内の案内図を見てみると、今見た「本坊」は妻沼聖天山のほんの一部で徒歩3分位歩いたところにポツンと佇んでいるのでありました。




「本坊」を後にし、矢印の方向に進んでいくと「国宝聖天山本殿」の文字が見えました〜。 更に前に進んでいくと立派な「仁王門」が見えてきましたよ〜。 門の両側には仁王様が仁王立ちしています。  地図によりますと、どうやら妻沼聖天山の途中に出てきたみたいですね。 ホントは一番最初の入口の門「貴惣門」から入るべきなのですが、すぐそばに本殿が見えていたので、まずは本殿のほうを見に行きました。  今まで様々な寺社の観光をしてきましたが、駐車場から寺社に入ると途中に出てしまうってことが結構多いような気がしますよ。 できたら駐車場も入口付近に作ってくれると嬉しいのですが・・・^^;

この仁王門は国登録有形文化財に登録されているそうです。 1658年(万治元年)の創立と伝えられています。 明治24年台風によって倒壊したため、明治27年に再建されました。





仁王門をくぐりますと、正面に国宝の本殿が見えて参りました。 境内はとても広々としていますね〜。 本殿に行く途中にはいくつかの建物がありました。 そういえばここにも七五三っぽい方々がいましたね。 


正面に見えるのが国宝の本殿です


こちらは石舞台


相撲の土俵もありました


祈祷などの受付をする社務所



「弘法大師」と書かれていました
高野山真言宗だから空海上人を祀っているんですね〜


仁王門からずいずいと前に進みまして本殿が目の前に現れました! これが国宝なのか〜。 でも何かで見た写真では、もっときらびやかな装飾が施されていたような気がするのですが・・・ 実はきらびやかなほうは、有料(700円)になっておりまして、本殿の左手のほうから入るようになっていたんです。(本殿の裏側がきらびやかな装飾で飾られていたんですね)  最初はそれとは知らずに、そのまま戻ってしまったんですよ。。。 結局どこを探しても見つからなかったのですが、最初の入口からもう一度本殿のほうに行ってようやく発見した次第。 これはちょっと分かりづらいよね^^;

斎藤別当実盛公が聖天宮を開創されてから何度も修復・再建されて来ましたが、江戸時代初期、災火のため中門を残して焼失。 現存する御本殿は、江戸時代中期に再建されたものです。by 妻沼聖天山HP


本殿の正面です


正面は無料で誰でも見ることができます

後でもう一回戻ってきて、カメラマンの「頭」氏と管理人の2人で有料ゾーンに入りました。 本殿の裏側は本当に綺麗な彫刻と装飾ですね〜。 係員の方が説明をしてくれていました。 

御本殿は拝殿・中殿(相の間)・奥殿からなる廟型式権現造の建物である。 大工棟梁は妻沼の名工林兵庫正清で幕府作事方棟梁の平内政信の子孫に当たり、子の正信の代まで享保20年(1735年)から宝暦10年(1760年)にわたる二十数年をかけて再建されたものである。  奥殿は入母屋造、桁行3間・梁間3間、正面向拝付き、中殿は両下造、桁行3間・梁間1間、拝殿は入母屋造、桁行5間・梁間3間で、これらを接続して1棟とし、屋根はすべて瓦棒銅板葺きとする。  奥殿は内外ともに彫刻、漆塗、彩色、金具等を華麗にほどす装飾性の高い建築である。 奥殿向拝南面羽目板の「鷲と猿」の彫刻は伝説的な彫刻職人の左甚五郎作とも伝承されるが実際の彫刻棟梁は石原吟八郎(吟八)と関口文治郎である。  奥殿は柱、長押などの部材に地紋彫をほどこし、内法下の大羽目板には七福神、縁下には唐子遊びを題材とした彩色彫刻をほどこす。 彫刻にはそれぞれ中国の故事にちなむ主題が見られ、唐破風下に「三聖吸酸」及び「司馬温公の瓶割り」など、拝殿正面唐破風下には「琴棋書画」がある。  2003年から2010年にかけて屋根葺き替えと彩色修理を中心とする修理が実施され、当初の彩色がよみがえった。 2012年、国宝に指定。by wikipedia








有料エリアの中は本殿だけでなく、小さな庭園風の広場があったり、何故か井戸があったり、他にも小さな社や神社もありました。


国登録有形文化財「聖天山三宝荒神社」


国登録有形文化財「聖天山五社大明神社」


国登録有形文化財「聖天山天満社」


正殿の横に井戸がありました


本殿を見学し終わって戻ろうとすると、あれあれあれ、横の方に道があるぞ〜。 こっちも行ってみますか! こちらは庭園のようになっておりまして、小川が流れていたり、平和の塔が建っていたり、境内の中でも少し雰囲気の異なる場所のようですね。 


こちらは夫婦の木と言います
欅と榎の木が寄り添って立っています
縁結びのご神木なんだそうですよ


「軍茶利(グンダリ)の滝」って書いて
ありましたが、滝を見つけられなかった〜
軍茶利ってのは密教の明王の一つです


平和の塔です
そういえば前に高野山に行ったときも
このような塔をいくつも見ましたね


銅像が立っていましたよ
残念ながら誰の銅像だか分からず・・・
情報求ム!!!


さ〜それではまだ行っていない、正面の参道入り口のほうに行ってみましょう〜。 結構参道は長いですね。 途中にいくつか門もありました。 




参道入り口から約50m位歩くと、貴惣門が見えてきます。 こちらも国指定の重要文化財に登録されています。 貴惣門は妻沼聖天山参道の1番目の門です。 妻沼聖天山聖天堂の正門として建てられた雄大規模の八脚門で、 側面に破風を3つ重ねた類例の少ない奇抜な形式に特徴があります。 寛保2年(1742)幕命で、利根川大洪水の復旧工事に妻沼を訪ねた周防国(山口県)岩国吉川藩の作事棟梁長谷川重右衛門に聖天堂の大工棟梁林正清が設計を依頼したもので、 約100年後の嘉永4年(1851)正清の子孫、林正道が棟梁となり完成しました。 総欅造の精緻なつくりに、多様な技法の彫物で要所を飾るなど、江戸末期の造形芸術の粋が発揮されているうえ、主要部材に寄進の名を残すなど、郷民信仰の証を伝える貴重な建造物である。

この門にさしかかったときに、境内の案内係をしている年配の方が色々説明をしてくれました。 前述のようにこの建物は非常に珍しい造りで、正面から撮影をするのもいいけど、是非横から撮影してみては? とのアドバイスを頂きました。  確かに横に回ってみると、3つの屋根が組み合わさっているのが良く見えますよ。 今まで門って正面からしか見たことがなかったですが、こういう見方もあるんですね〜。