広 島 城

平和記念公園の次は、広島城にやってきました。 平和記念公園から広島城までは徒歩で約10分位のところにあります。 ちょうど市電の 線路を通り越して反対側といった感じでしょうか。 こちらの広島城も初日に訪問した岡山城と同じく、新たに建て直されたものですが、 岡山城のようにウルトラ警備隊のようなアレンジもされておらず、当時のままの姿に再現されています。 管理人が前回ここを訪れたもの 30年前位でしょうか。 当時はまだ壁の板なども修復したばかりのように綺麗な「黒」の板だったような気がしますが、今回見たときは、 いい意味で古さを感じられるようになってきました。 ちなみにこの広島城は原爆投下までは、昔のまま残っていたそうですが、原爆により 壊滅的な打撃を与えられてしまったそうです。

そういえば今日はまだソフトクリームを食していないなぁ。。。 先ほど平和金公園に行ったときも探したのですが、平和記念公園には ソフトクリームは売ってませんでした。 期待をこめて広島城に入るとーーー! おー! ソフトクリームの置物が売店に見えます!!  喜び勇んで売店に駆け込みましたが、ここのソフトクリームはカートリッジをパカッとはめ込んで自分でやるタイプのソフトクリームでした。  これあんまり美味しくないんですよねぇ。。。 ということでソフトクリームはあきらめました(;_;)

広島城は、広島県広島市中区基町にある城郭。 鯉城(りじょう)とも呼ばれ、国の史跡に指定されています。  広島城全域が広島城址公園となっており、復元された大天守は歴史博物館として利用されています。 

広島城以前の毛利氏の居城・吉田郡山城は、尼子氏の大軍を撃退した経験を持つ堅固な山城であり、また山陰・山陽を結ぶ場所に 位置するため、領土の争奪戦を伴う戦国時代の毛利氏には適した位置でした。 しかし、天正末期になり、天下が 安定する頃になると、中国地方9か国120万石の太守であった毛利氏に吉田郡山城は政務所としても手狭なものとなり始めました。  また吉田郡山城は山間部にあり、商業の中心地としては不適切であったことから、海上交易路である瀬戸内の水運が生かせ、 城下町の形成が可能な平野がある海沿いへの拠点を移動するとの構想が出されたそうです。
築城にあたっては、同時期に進行しつつあった豊臣秀吉の朝鮮征伐の後方基地としての期待もあり、秀吉は築城技術の サポートとして側近の黒田如水を派遣し、自らも建設中に広島城に滞在したという話も残っているそうです。

完成当初は当時の大坂城に匹敵する規模の城だったそうですが、福島正則による改築があり、築城当時の広島城が どのような姿であったかについての詳細は不明だそうです。

浅野藩政時代の広島城は内堀・中堀・外堀のある約1km四方の広大な城でしたが、明治維新後には1911年(明治44年)に外堀が埋められ、さらに原爆の瓦礫で中堀が埋められて、 現在の規模になりました。 広島市内の「八丁堀」、「薬研堀」などの地名は堀があった名残です。
近代においては、明治27年(1894)8月、日清戦争が始まると、明治天皇と共に大本営が広島城内に移り軍事拠点としての役割を担うようになりました。  これは、明治22年(1889)に、大型船が利用できる宇品港が開港していたこと、明治27年(1894)6月10日、山陽鉄道が広島まで開通し、広島と宇品を結ぶ仮設軍用鉄道が開通したことで、 軍事輸送が容易になったことが挙げられます。
大東亜戦争中には江戸時代から残っていた建物には、天守閣と東走櫓・裏御門の一部・中御門・表御門・二の丸の平櫓・多聞櫓・太鼓櫓などがありました。 しかし昭和20年(1945)8月6日の原子爆弾の投下で、 広島城の天守閣は倒壊し、門や櫓は焼失してしまいました。

昭和28年(1953)には、城跡が国の史跡指定を受けるなど、天守閣再建の機運は高まり、広島の復興を内外に伝えるために開催される広島復興大博覧会の一環として鉄筋コンクリート製の天守閣を外観復元することに なりました。 昭和33年(1958)3月26日に総事業費約3,600万円で完成、4月には博覧会の会場としてオープンしました。 また、原爆で焼失した二の丸の表御門・平櫓・多聞櫓・太鼓櫓は、戦前の写真・図面や発掘調査の成果を元に 平成6年(1994) までに、木造で江戸時代の姿に復元されています。

〜広 島 城 の 展 示 物〜
(一部は展示物ではありません)

広島城の中の展示品をご紹介します。 荷物が多かったので1Fの受付の方が荷物を事務所に置いてくれました。  ここは岡山城と違って、エレベータなどの近代設備はありません。 でも階段はやっぱりコンクリート製でしたね。  まぁここは正確には「広島城」ではなく「広島城址」ですからね。 建築基準法などもあるのでしょう。。。



















〜天 守 閣 か ら の 眺 め〜

天守からの眺めはいいですね〜。 広島市街を一望できます。 しかし広島は大都会ですね。











〜 広 島 電 鉄 白 島 線 〜

広島城の見学も終わり、観光地巡りも残すところラストになりました。 この次に向かうのは、新しくなった広島市民球場です!  球場に移動するには、一度広島駅方面に戻らなければなりません。 広島駅から原爆ドームに向かう際に使用した路線は、紙屋町や 八丁堀を通るいわば本線にあたる路線でした。 広島城からの最寄りの駅は、支線である白島線の「家庭裁判所前」という電停です。 

駅に到着すると、なななんと! 昔ながらの車輌が走っているではないですか!! これはもう写真に収めなければいけません。  白島線は「白島 ⇔ 八丁堀」間の4駅足らずの路線です。 こういう支線ではまだ昔の車輌が残っているんですね。  あともう一つ驚いたのが、白島線は広島駅までの直通はなく、かならず八丁堀で乗り換えなければいけないのですが、普通の路線バスなどで 乗り換えをすると、乗り換え先のバスでまた追加で料金を払わなければなりませんが、ここの路線は、白島線を降りるときに、 ICカードを渡してくれて、乗り換え先の市電に乗り換えするときに、カードを提示すれば、差額分だけ払えばいいようになっています。  これはいいシステムですね〜。


1900系です。


旧京都市電からの買い取りです。


車内からの風景


白島線の軌道