大 和 ミ ュ ー ジ ア ム

山陽自動車道を降りて、一般道を走ること約40分で「大和ミュージアム」に到着します。  途中の一般道を走っていると、呉に近づくにつれ、家々の屋根瓦の色が変わっていくのが分かります。  家は昔ながらの家って感じで純日本風です。 屋根は瓦のタイプで色は茶色に統一されています。  かなり特徴的なのは、どの屋根にも鯱みたいな瓦があるんですよ〜。 この3日間、岡山や広島の 色々な土地を訪れましたが、このような光景は初めて見ました。 きっとこと土地の古くからの 伝統なんでしょうね。 秘密のケンミンSHOWに出したら皆驚きますよ。

さてさてそうこうしている間に、呉に到着しました。 管理人が子供の頃の呉のイメージってのは、 あまり栄えていない古い町(失礼!)、というイメージだったのですが、今の呉はすごいですね〜。  駅から海側には「ゆめタウン呉」という大型商業施設もありますし、これから行く「大和ミュージアム」 「てつのくじら館」、他にも建設中の大きなビルなど、大都会に成長していました。 でも近くを走る JR西日本の呉線は、相変わらず単線でした(;_;)


〜 大 和 ミ ュ ー ジ ア ム 〜




呉市海事歴史科学館は、広島県呉市にある科学館。今回初めて知りましたが、大和ミュージアムって愛称で、正式名称は「呉市海事歴史科学館」っていうんだそうですよ。  明治時代以降の造船の街あるいは軍港・鎮守府としての呉の歴史や、基幹となった製鋼や造船などの科学技術を展示することを目的に、日露戦争・日本海海戦から100年目、 太平洋戦争終戦60年目にあたる2005年4月23日に開館しました。 開館から668日目の2007年5月20日に来館300万人目を、1443日目の2009年7月4日に来館500万人目を迎えました。  呉市は自衛隊と在日アメリカ軍の施設が現役で稼働しています。 現在も安全保障問題の現場となっている土地柄、修学旅行生の平和学習の場としても活用されています。

構想あるいは建設に関しては、戦争責任について様々な意見が存在したが、開館以来盛況を続けており、呉市の歴史的観光資源を再発見するきっかけとして呉市を全国的観光地に一躍押し上げた 立役者でもあります。 館の方針としては、当館を平和学習の場として開放するため、実物の兵器や当時の映像フィルムなどの歴史的資料を淡々と提示するかたちで余計な注釈は一切ないそうです。 

入口を入ってすぐの『大和ひろば』には、実物の1/10サイズの戦艦大和の模型が展示されています。 この模型は、戦艦大和の海底調査や発見された資料により判明した最新の情報に基づいて 制作されており、新たに判明した史実や資料があれば随時それに合わせて改装されています。 また映画『男たちの大和/YAMATO』の撮影の際、尾道市向島町にあった戦艦大和実寸大オープン ロケセットの不足部分を補うため、CGの合成用素材として使用されました。 映画撮影後に解体されたロケセットの一部は呉市へ寄贈され、2006年6月29日、大和ミュージアムの資料修復 保存施設に搬入され、第2駐車場ビル2階に展示されています。 

大和の模型の他、戦艦陸奥や重巡洋艦青葉に実際に搭載されていた主砲身、戦艦金剛の英ヴィッカース社から輸入した当時のボイラーや、戦艦陸奥の錨、航空戦艦日向のマストに掲揚されていた 軍艦旗、零式艦上戦闘機六二型、“人間魚雷”回天10型(試作型)、特殊潜航艇「海龍」を展示の主体として、海軍兵器の実物が数多く展示されています。 その他、実物の水中翼船である 「金星」の屋外展示など、戦後の海事史についての展示物も充実しています。

1階「展示室 呉の歴史」では、日本の幕末から太平洋戦争終結までの戦史と呉海軍工廠の歴史、戦艦大和について、当時の記録映像の上映、海軍兵器の実物、戦没者の遺品などの歴史的資料の展示を 通じて解説。 呉軍港空襲や広島市への原子爆弾投下に関しても、呉の人々の視点から見えた当時の様子などが詳細に展示されています。 随時、ガイドや学芸員による解説を受けながら展示物を 閲覧する機会も設けられています。
3階「船をつくる技術」では、船を中心とした科学技術の原理を紹介しており、操船シミュレータなど、実際に体験ができるようになっています。 また「未来へ」では、名誉館長の一人である 松本零士の作品『宇宙戦艦ヤマト』関連の展示品やミニシアターなどがあります。
4階には、「資料室」が設けられており、安全保障問題に関する書籍やビデオ教材などを閲覧することができます。



〜 大和ミュージアム屋外の展示物(戦艦 陸奥) 〜

主砲





スクリュー




〜 ミュージアム内の展示物 〜
「大和1/10サイズ模型」

この大和1/10サイズなので、乗合漁船位の大きさになっていますが、非常に精巧に作られていますね。 主砲塔や艦橋は本物を髣髴とさせるくらいです。  また艦の下にももぐることができまして、スクリュー部分やバルバスバウなども間近で見ることができます。 この大和の模型は大和ミュージアムのの建物の 中心に位置しており、中心部分は吹き抜けになっているため、階を上がっていくごとに、様々な角度から艦を眺めることができます。 ここだけで多分写真50枚以上撮っていますね。  でもちょうど艦首のほうから撮影すると、逆光になってしまうため、少し暗く写ってしまいました。。。


左舷後方から撮影


艦橋 左舷


艦橋 右舷


第一番、二番主砲


第三番主砲、二番副砲


後部カタパルト部


大和護衛の布陣


機関室部

「零式艦上戦闘機六二型」

通称「ゼロ戦」と呼ばれる旧日本帝国海軍の艦上戦闘機です。 大東亜戦争初期、空中戦でゼロ戦に勝てる航空機はなかったそうです。 しかしゼロ戦がアメリカに鹵獲され、 その技術を更に昇華させた航空機が出始めると、ゼロ戦の優位性にもかげりが出始めます。 しかしながら戦争初期〜中期を支えた名機の一つと言えるでしょう。

ちなみにこのゼロ戦は本物だそうですよ。 本物のゼロ戦見れるなんて、感動ものです!! エンジン部分や、翼、コクピットなど綺麗にレストアしてあるようです。  翼に描かれた日の丸を見ていると、当時の激戦を想像せずにはいられません。 このゼロ戦の上方も吹き抜けになっているため、階を上がるにしたがって様々な角度のゼロ戦を堪能することができます。  しかしやはりこの時代の戦闘機は美しいです。
「回天10型」

大東亜戦争末期、神風特攻隊という名称は誰でも聞いたことがあるでしょう。 片道分の燃料のみを積み込み、敵艦船に体当たりをした特別攻撃隊です。 でも神風特攻隊に比べて、 人間魚雷による特別攻撃隊はあまり知られていないと思います。

回天10型は九二式電池魚雷を中央部で切断し、操縦室を挿入した簡易型回天。 航続距離、速力とも低く航行中の艦船を襲撃することは不可能だったが、酸素魚雷転用の1型では不可能な機関停止による待機や、逆転による後進が可能で運用の柔軟性が増すと期待されていた。  生産が間に合わず、実戦に参加することなく終戦を迎えた。
「特殊潜航艇「海龍」(後期量産型)」

海龍は、大日本帝国海軍の特殊潜航艇の一種で、敵艦に対して魚雷若しくは体当りにより攻撃を行う有翼特殊潜航艇・水中特攻兵器である。 SS金物とも呼ばれた。  本土決戦用の特攻兵器として開発され、飛行機の部品などを使って横須賀の海軍工廠などで、1945年(昭和20年)に200隻が建造された。 通常の潜水艦と異なり、翼を有し、飛行機のように上昇と下降を行うため、 構造が単純で建造を短期間に行うことができた。 終戦により、本土決戦が回避されたため実戦に投入されることはなかったが、海龍が攻撃された例は存在する。

〜施 設 情 報〜

「大和ミュージアム」