吉 野 ヶ 里 歴 史 公 園

いや〜しかし「鯉」料理なんて初めて頂きましたが、なかなかにまいう〜でしたね。 それではお次は今回の旅行の最後の観光地に参りたいと思います。 最後に参りましたのは「吉野ヶ里歴史公園」です。  先ほどのお店からは30分位で到着します。 名称に「遺跡」とついているので、古墳とか縄文時代の竪穴式住居などを思い浮かべてしまうと思うのですが、なんとこちらは「100名城(88番目)」の1つに数えられているのです。  旅行に行く前に今回の行先の大分県や佐賀県の100名城、続100名城を探しておりましたら、「吉野ケ里遺跡」という名前があるではありませんか! このような遺跡も100名城になるんですね〜。  「城」と言うと戦国時代や江戸時代の天守ある立派なお城を思い浮かべますが、前にも行ったことがある秋田城や多賀城などもかなり昔の遺跡だったですもんね。 でもこの吉野ケ里遺跡はこれまでの100名城で一番古いものかもしれません。  今回の旅行では100名城、続100名城が「中津城」「唐津城」「吉野ケ里遺跡」と3つも行くことができました。 これまで九州の城は他の地域に比べて訪問した数が少なかったですが、今回で一気に盛り返しました!


公園を中心に駐車場が東西南北に設置されているようです。 我々はその中でも一番キャパシティが多いと思われる東口駐車場に車を停めました。 事前調査によると城郭などは、ここの駐車場が一番近いみたいですからね。  今回吉野ケ里遺跡には初めて参りましたが、何かテーマパークのような雰囲気ですね〜。 入口付近にはゆるキャラ!?みたいなのもいましたし、園内は昔の様子が再現されていました。 


こちらが東口駐車場です かなりの台数停められます


入口付近に園内マップがありましたので、少し拝見してみますと、結構園内は広いですね〜。 広大な敷地は8つのエリアに分けられており、それぞれのエリアに復元された「ムラ」や復元された「建物」がありまして、復元された建物は全部で98棟もあるそうですよ。  今回の見学時間は40分位を予定しておりましたが、とてもじゃないけど全部は見れないね^^; なので、今回は一番城郭に近い「内郭」や「ムラ」を中心に廻ってみたいと思いますよ。


こちらが園内MAPです。 かなり広いですね


こちらに来る前は、公園の名称が「吉野ケ里遺跡公園」と書いてありましたので、誰でも入れるような普通の公園なのかな。。。なんて思っておりましたが、入口などもしっかりしたテーマパークそのものです。  つい昨年に大阪万博に行ってきましたが、あれと同じような感じですよ。 入口ゲートのど真ん中にはキャラクターの置物もありまして、一緒に写真を撮れるようになっています。  こちらのキャラクターのお名前は「ひみか」というそうです。 そういえばこの吉野ケ里遺跡は、古の邪馬台国ではないか!?という説もありましたからね。 おそらくそこからネーミングされたものではないでしょうか。  なかなかに良いアングルでしたので、記念撮影もしておきましたよ。


こちらが公園への入り口です


チケットをご購入〜


弥生時代の人みたいなイメージね


ひみかと記念撮影です


ゲートくぐり、園内に入りますと、その広さに圧倒されますね。 入口ゲートからは広い橋(?)を渡り園内に入っていきますが、橋から景色を眺めるとず〜〜っと吉野ケ里遺跡の敷地が見えますね〜。  多分ここの小川とか草村なども当時のものを再現しているのではないかと思います。 


こちらから公園内に入場します


ものすごい広い橋です


これはもう草原だね


向こうの方に建物が見えるね!


一たび城門をくぐりぬけますと、そこは昔の城郭の中の雰囲気です。 堀がめぐらされていたり、柵も立っています。 また敵の侵入を防ぐための「逆茂木(乱杭)」も見られました。  この「逆茂木(さかもぎ)」というのは、今でいうバリケードのようなものだそうです。 米作りが盛んになると、水や土地を奪い合う争いが起こるようになります。 人々は自分達の集落を守るために、集落の入り口など特に重要な区域には、 尖った木の枝や幹でバリケードを築き、より厳重に守っていたそうです。 こういうのが100名城に選ばれている理由の一つなんでしょうね。


柵や堀や逆茂木が設置されています


ここは逆茂木だらけです^^;


先程こちらの遺跡は「100名城の1つ」と申しました。 お城と聞きますと戦国時代や江戸時代の城を想像される方も多いかと思いますが、実は今回の「吉野ケ里遺跡」のようにかなり古の時代のものもあるのです。  今まで管理人が見た中でいくと、秋田城や多賀城などは奈良時代、平安時代のものなんです。  それでもかなり古いな〜と思っておりましたが、今回の吉野ケ里遺跡が100名城に選ばれた理由としては弥生時代に巨大な環壕集落であり、後の城郭の原形となる防御施設(堀、柵、物見櫓)や、権力者の居住・祭祀空間が完全に備わっていたからなんだそうですよ。  弥生時代ってのがすごいですよね。  


木材や枝などでで作られたイノシシ


さてさて、それでは城郭の更に中心部に進んでいきたいと思います。 少し歩きますと、そこで高い建物が見えてきます。 こちらは「櫓門」と言います。 こちらの櫓の上には四方に盾が置かれ、平氏が出入りする者を見張っています。  このような造りの櫓は、戦国時代や江戸時代の城郭にも見られますよね。 正に戦国時代の礎がここあるって感じがしますよね。   


こちらが櫓門です 結構高さがありますよ


吉野ヶ里遺跡は、脊振山地南麓から平野部へ伸びた帯状の段丘に位置しています。  佐賀平野東部には段丘が多く発達し、そのいずれにも遺跡が多く立地していることが、古くから知られていました。  紀元前5世紀から紀元後3世紀までの弥生時代は、日本で稲作の文化が始まり、定住文化が根付いた日本の文化の原点ともいえる時代です。  弥生時代の遺跡の中でも吉野ヶ里遺跡は、佐賀県神埼郡の旧神埼(かんざき)町・旧三田川(みたがわ)町・旧東脊振(ひがしせふり)村の3つの町村にまたがった我が国最大の遺跡で、 弥生時代における「クニ」の中心的な集落の全貌や、弥生時代700年間の移り変わりを知ることができ、日本の古代の歴史を解き明かす上で極めて貴重な資料や情報が集まっています。  また、有柄銅剣やガラス製管玉等の出土品は国の重要文化財に指定されるなど、高い学術的価値を有するものです。 by 吉野ケ里歴史公園ホームページより  


門の先が邑のようになっており、様々な建物がありました


弥生時代前期、標高1,000m前後の背振山地南麓の吉野ヶ里丘陵一帯には小規模なムラが分散していましたが、次第に統合拡大され、弥生時代後期には集落がさらに北部へと広がり、約40haを超える国内最大級の環濠集落へと発展しました。  V字形に掘削された総延長約2.5kmの外環濠の内外に土塁、逆茂木などを築き、物見やぐらを複数配置し、さらに北内郭、南内郭が設けられた「城のルーツ」ともいうべき環濠集落です。  現在は吉野ヶ里歴史公園として整備されていますが、復元整備対象とされているのは紀元三世紀ごろ(弥生時代後期後半)の遺構です。 1989年に吉野ヶ里遺跡が大々的に報道されたとき「魏志倭人伝に記載された邪馬台国に関係する遺跡ではないか」と、注目を集めましたが、現在は九州北部にあった複数のクニの一つという見方もされています。 by 日本100名城ガイドホームページより  


柵に覆われた集落のようなエリアが出現します


南内郭の案内図です


左の高い建物が物見櫓 右のは誰かの住居だったかな

こちらは先ほどの写真にもあった「物見櫓」です。 先ほどの櫓門もそうでしたが、こちらの物見櫓も四方に盾が置かれ、兵士が高台から周囲を見張っています。 実際に登ってみましたが、かなり高く、遠くまで見渡せますよ。  戦国時代もこういう物見櫓ってありましたが、やはりその原型なのかもしれませんね。  


こちらが物見櫓です


上に登ると周囲をグルリと見渡せます


物見櫓の横には住居らしき建物が複数建っておりました。 それぞれ「大人(だいじん)の妻」の家や「王」の家などがありました。 実際に中も入れるようになっているのですが、「大人の妻」の家も、「王」の家もあまり中は変わらなかったような気がしますよ。  もしかしたらこれよりも大きな住居というのは当時の技術では建てられなかったのでしょうかね。 どの住居も下は土を固めたような床になっており、その上に人が座るような台座が置かれています。 周囲には土器などもありました。  どの住居の中を見てもそんなに大きな差はなかったような!? もしかしたら住居自体には身分の差はあまり関係なかったのかもね。  


「王」の住居です


こちらは王の寝室かもしれませんよ


こちらは「大人の妻」の住居です


人形が置いてあってちょっと不気味^^;


このエリアには色々な建物がありました。 「集会の館」と呼ばれる建物では「王」や「大人」たちが集まり、儀式や話し合いをしていたそうです。 また食事の準備をする「煮炊屋」では釜や調理器具なども展示されていました。  また高床式倉庫になった「稲穂の蔵」には壁もあり、雨風や小動物の侵入などを防ぐようになっています。 先人の知恵はすばらしいですね〜。 中でも一番立派だったのが、「市楼」という建物でした。  市楼というのは、ここで開催される「市」を管理する建物なんだそうです。 下の階で市に参加する許可をもらうようになっているそうです。 上の階には市の開催を知らせる旗と太鼓が置いてあり、兵士が見張っているそうです。  弥生時代からこのような仕組みがあるって結構文明高いですよね。

こういう建物たちって、以前にも国分寺連合の旅行のときに見たよね。 確かそのときも屋根だけの住居とか、高床式倉庫などがあったような記憶があります。 あれはどこだったのか調べてみると、青森県に旅行に行ったときに最後に寄った「三内丸山遺跡」でした。  「三内丸山遺跡」は縄文時代の建物などを復元していましたが、見比べてみると、今回の建物と似ているような気がしますね。 まぁ縄文時代と弥生時代の境目などは明確なものはないのでしょうから、大きな違いはないのかもしれませんね。  


こちらが「集会の館」です


食事を作る「煮炊屋」です


煮炊屋の中には調理器具もあります


こちらは兵士の詰所です


こちらは稲穂の蔵


一番立派な建物「市楼」と言います


今日は時間の制限もありますので、ここらへんで仕舞にしましょうかね。 でも100名城ということで参りましたので、古代の城郭を見れて非常に良かったと思いますよ。  他のエリアは王の墓とか、子供の遊び場などがあるようですが、それはあまり100名城とは関係ないもんね。

先程入ってきたゲートに戻りまして、少しだけお土産物屋を見たところ、そこにソフトクリームの置物が〜〜! これは頂かねばなりません。 カップが結構ゴージャスなやつだったので、スジャータかどうかを確認せずに購入したら・・・  な〜んと! 見慣れたカップのような容器を持ってきている・・・ そして機械に固定して・・・ あ〜〜〜スジャータでした>_< 管理人ほどのソフトクリーム達人が人生最大のミスをしてしまいました!  ただカップは美味しかったです。 またクリームの部分も味はまいう〜なんだよね。 ただやっぱりクリーム部分がひび割れている。。。 これが改善されればちょっとはいいのですけどね〜^^;   


カップに騙された スジャータでした・・・