ラーメン&唐揚げを食して膨満感の一行が次に向かいますのは、今旅行最初の観光地の「中津城」です。 「からあげ聖林」を出発したのが13:10頃、中津城に到着したのが13:25でした。
こちらの中津城は管理人が事前にリクエストしていた観光地なのですが、なななんとこちらは管理人の大好物の「日本100名城」「続日本100名城」の一つにして、「日本三大〇〇」の一つでもあるのです!
中津城は「続日本100名城」の一つに数えられていますが、「日本三大○○」としては「三大水城」の一つにも数えられているんです。 ちなみに他の「三大水城」は愛媛県の今治城、香川県の高松城です。
今回の中津城にご来城したことで「三大水城」はコンプリートになりました〜。 ドンドンドンドンパフパフ。 「日本三大〇〇」は全国に散らばっていることが多いので、コンプリートするのは難しいんですよね〜。
今回は見事コンプリートできて感無量です^^
こちらのお城は「三大水城」の一つ。。。とばかりに思っていましたが、中津城のホームページを見ますと、「唯一の花城」とも書かれていました。 令和8年に中津城公園内に中津城庭園というものがオープンしたそうですが、ここには様々な花が植えられており365日花が見頃なんだそうですよ。 城の中に資料館とか記念館、和風の庭園などがあるのはよく見ますが、花の庭園がある城ってのは確かに見たことがないですね。 丁度春の暖かい時期にご来店することができましたので、きっと数々の花を愛でることができるのではないでしょうか。 これは知らなかっただけに非常に楽しみですね! |
こちらの中津城には無料の駐車場が完備されております。 本丸前には数台しか停められない小さな駐車場があり、すぐそばにも第一駐車場という広い駐車場があるようです。
別の場所にはバス専用の駐車場もあるようで、車で来城する人にはとてもやさしい環境となっております。 しかも無料だしね^^ 地方にいくと結構駐車場が無料なところが多いのでホントにありがたいですね〜。
今日は平日だからか、あまり車は停まっていませんでした。
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![]() 中津城「第一駐車場」前にそびえる鳥居 黒御門跡に建てられています |
中津城は「中津城公園」という公園の中にありまして、その公園の中には複数の神社が併設されています。 天守閣は再建天守なので新しめでしたが、神社のほうもそんなに古くはない印象でした。
天守閣は明治の廃城例などで取り壊されたり、目立つので戦争で標的になって焼けたりするケースが多いのですが、神社は戦争で焼けることはあっても廃城例などは関係ないから残っているケースが多いような気がしますね。
古い神社が残っているのはそういうことなのかもしれませんね。 ただこちらは大正時代に移転したこともあって、建物自体はそんなに古くはないみたいです。
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![]() 中津城公園マップ 公園内には城の他、複数の神社がありました |
今回ご来城した「中津城」ですが、天守も石垣も何か歴史を感じるような丁度良い古さを醸し出していました。 第一駐車場に停めて、まずは鳥居をくぐってから城に入ろうとしましたが、丁度その脇にお堀がありました。
石垣が野面積みで綺麗に積まれておりました。 積まれた石にはコケのようなものが張り付き、一層古いもののような雰囲気になっていますね。 石垣は城の四方を囲んでいるようですが、石の色や形状が良い意味で不揃いなのも良い感じですよね。
中津城に残る黒田官兵衛が普請した石垣は、天正16年(1588年)に普請された現存する近世城郭の石垣としては九州最古のものです。 本丸上段北面石垣(模擬天守北面下)は、黒田家の石垣に細川家が石垣を継いだ境が見られます。 また、本丸南の堀と石垣は、中津市によって修復、復元されています。 ここにも黒田・細川時代の石垣改修の跡を見ることができます。 扇状の旧城下町には、今でも築城した黒田官兵衛にちなんだ「姫路町」や「京町」などの町名が残っています。 |
![]() 第一駐車場近くのお堀です |
![]() こちらが中津城の石垣 野面積みですね |
このような城に来ますと、かなりの確率で何かの記念碑が立っていることが多いんですよね。 そしてこちらの公園内にもしっかりありました。 写真は撮り忘れてしまいましたが、「西南戦争中津隊の碑」があったり、写真のような「独立自尊碑」などがありました。
ちなみに「西南戦争中津隊」というのは増田宋太郎を中心とした旧中津藩士によって結成された部隊で、西郷隆盛側についた隊となっています。 西郷側に着くということは旧武士の集まりということですね。
また写真の「独立自尊碑」は福澤諭吉の偉業を称え、明治37年(1904年)7月8日、福澤家のご意思に沿って中津城公園に記念碑を建立されたものです。 そういえば福沢諭吉の名前は中津城の展示物の中でも何度も出て参りましたね。
ちなみに中津城の建造物の破却を進言したのも福沢諭吉と言われています。
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![]() 「独立自尊碑」です |
![]() 歯科医師第一号「小幡英之介先生」の像 |
お城を見る前に、いくつかある神社でお参りしてから参りましょう。 駐車場から一番近いところにあったのが「中津大神宮」です。
中津大神宮は、伊勢の神宮の大神様の御分霊を奉斎し、「豊前の国のお伊勢様」として親しまれています。 御祭神は「天照大御神」「豊受大御神」「倭姫命」「天宇豆売命」となっています。
また、今回写真を撮り忘れてしまったのですが、「中津大神宮」とは別に「中津神社」というのが駐車場の反対側にありまして、こちらは松の御殿跡に鎮座しています。
夏には、中津を代表するお祭りのひとつである中津祇園祭が執り行われます。
「中津大神宮」の御本殿は伊勢の神宮と同じ、神明造りとなっています。 奉拝殿は、勇壮、かつ豪壮にして、近郷では珍しく妻入り縦長型の大型拝殿です。 内部は、上・中・下三段の間を設け、明治の日本を代表する書道家、宮小路康文謹書の『大哉神徳』の大扁額が掲げられています。 また、格天井には、創建当時の崇敬者等の手による天井絵の二百十六枚もの書画は、創建当時の崇敬者により奉納されたものです。 by 中津大神宮、中津神社HPより |
![]() 「中津大神宮」の入り口にやってきました |
![]() こちらが「中津大神宮」の社殿です |
![]() 日露戦争記念碑 上部は砲弾です! |
![]() こちらが中津大神宮の狛犬様です |
こちらは先ほどの「中津大神宮」のすぐ斜め後ろに鎮座しておりました「扇城神社(せんじょうじんじゃ)」と言います。 先ほどの「中津大神宮」は立派な建物でしたが、こちらの「扇城神社」の社殿はこじんまりとしていますね。
個人的にはこのような社殿も結構好きなんですよ。 大きな神社に行くと摂社とか末社がこのようなタイプで祀られていますが、このこじんまり感がたまりません。
天正16年(1588年)宇都宮鎮房公従臣は、庶子空誉上人は合元寺に留め置かれ、鎮房公は小姓松田子吉を伴い、中津城内の館で謀殺されました。 異変を知った家臣群は次々に城中に駆け入り、龍が荒れるように戦いました。 小姓松田子吉は19人に手傷を負わせ京町筋で討死、野田新助・吉岡八太夫は手傷を負い、広津広運寺まで切り抜け切腹、その他2士は合元寺門前にて討死、その他はことごとく討死しました。 家老渡辺右京進は7〜8人を薙ぎ伏せたそうです。 松田子吉は子吉稲荷として京町に、野田新助・吉岡八太夫は広運寺にそれぞれ埋葬され、その他の従臣の遺体は寄せられて城内乾の上段、この地に埋葬されました。 宝永2年(1705年)小笠原長円公は広運寺追腹の2士を子吉稲荷大明神とともに祀りました。 その後、城井神社再興後、大正9年(1920年)4月20日、鎮房公従臣45柱を境内末社として祀ったのでありました。 |
![]() 「扇城神社」の入り口の鳥居です |
![]() こちらが「扇城神社」です ちょっとこじんまり^^ |
こちらは↑でご紹介した「扇城神社」のそばにありました神社で「城井神社」と言います。 中津城で参拝した神社の中では一番建物が古かったと思います。 神社の前の石標なども相当古いものではないでしょうか。
新しい神社も良いですが、やはり伝統ある建物のほうが、歴史を感じると言いますか、厳かな雰囲気がしますよね。
こちらの御祭神は先ほどの「扇城神社」の説明の中でも出てきた「宇都宮鎮房公」です。 城井谷城主宇都宮家は信房公より真房公に至る18代およそ400年の間、豊後前国守として徳政を布いてきました。 天正15年(1587年)7月 豊臣秀吉は九州平定にあたり豊前6郡を黒田孝高に、2郡を毛利勝信に与え、鎮房には四国今治(12万石)移封の御証判を与えたといいます。 鎮房は累代の墳墓の地に安堵を願い、このご朱印状を返上したため、宇都宮一族は黒田孝高、長政と豊後の地で死闘を繰り返すこととなり、黒岩山合戦では長政を敗退させました。 そこで秀吉は孝高と謀り、所領安堵を条件歳て長政と鎮房の息女千代姫(鶴姫)との婚を約し和睦しました。 天正16年(1588年)4月20日鎮房は中津城に招かれ、酒宴の席で謀殺されました。 宝永2年(1705年)小笠原長円は小社を建て城井大権現として崇め、そののち幾度かの変遷を経て、城井神社として改められたとのことです。 |
![]() 「城井神社」社殿です |
中津城は水城というだけあって、すぐわきには中津川が流れています。 また場所としては中津川の河口にほど近く、すぐ先は海になっています。 現在は埋め立てされて海まで少し離れた場所に城が建っていますが、
もしかしたら戦国時代にはすぐそばが海だったのではないかと思います。 他の城でも埋め立てられて海や湖が遠くなっているところが多いです。 以前織田信長の安土城に行ったときも、城は琵琶湖のすぐ脇にあったらしいのですが、
今行ってみると、琵琶湖は結構遠くにありますもんね^^;
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![]() 土手の上にも神社(?)がありました |
![]() 建物の中には鯉(?)の置物が・・・ |
![]() 中津川の景色Part1 |
![]() 中津川の景色Part2 |
3つの神社にお参りを済ませましたので、次は中津城に参りたいと思います。 最初に停めた駐車場の脇道を進んでいくとものの30秒で中津城の入り口に到着します。
ここの入り口で入場料を購入して中に入りますよ。 お城だけの見学ですと1,000円、三館共通観覧券もついたチケットだと1,500円になります。
三館共通観覧券というのは「中津城、中津市歴史博物館、福澤諭吉旧居/福澤記念館」を廻れるチケットです。 今回は時間もなかったので中津城、中津市歴史博物館に入れる1,000円のチケットを購入して中に入りました。
園内に入りますと。。。これが花の庭園なのかな!? 思ったほど花は多くないようですが、後ほどご紹介しますが、城の中がすごかった^^; 花の量は少な目ではありましたが、天守前の庭は非常に綺麗に手入れをされていてとても良い感じでした。 |
![]() 中津城の入り口に到着しました |
![]() こちらが入場チケットです |
![]() 入場口から見た天守方面 |
![]() 天守まで色々な花が植わっていました |
道を歩き、あと少しで天守の入り口に差し掛かろうとしたときに。。。 な〜〜んと! 国分寺連合恒例の顔出しがあるではありませんか! 旅行先でこれがあったらまず間違いなく顔出していますよね。
でも顔出しって結構久しぶりのような気がしますよ。 前回の北陸旅行のときやその前の湯河原旅行でも顔出ししていないような!? そんなこともあって、「岡」氏も「西」氏も吸い込まれるように顔をはめておりました(爆)
管理人も久々に顔出しの写真を撮影できて感無量であります!
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![]() 出た〜久々の顔出し発見! やっときますか! |
さてさて、顔出しの儀式もつつがなく執り行われましたので、ここでじっくり天守の出で立ちを見学するとしましょう。 天守の周囲には塀がめぐらされておりまして、塀には狭間もちゃんと掘ってありました。
また建物としては、天守とそのすぐ脇に櫓も建っていおりました。 なかなか良い構図ではないでしょうか。 天守も白壁に黒い板で外壁を囲んでおりまして、なかなか管理人好みの建物に仕上がっていますよ。
残念ながらこちらの天守は現存天守ではないため、中身は普通のマンションとかアパートの感じですが、外観はかなり良い雰囲気ではないかと思いますよ。
今日は有料エリアに入場して、天守入口の正面から撮影した写真と、一度外に出て堀の周囲から天守を撮影しましたが、なかなか写真映えのある天守閣だと思いました。 これはお気に入り!
あと管理人の好きな黒田孝高が手掛けた城というのも、また気持ちの高ぶりにつながっているのではないかと思いますね。
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![]() 天守正面からの撮影 |
![]() 入口付近からの天守と櫓の写真 |
![]() 堀の外に出たところでも天守と櫓を撮影しました |
それでは早速天守の中に入っていきましょうか。 階段を上がっていきますと・・・ なんと中がジャングルのよう・・・ 前述で「唯一の花城」と記載いたしましたが、まさかこれのこと!?
なんと天守の中に入ると壁や天井にご覧のような花々が。。。 しかもこれって造花でしたよ。 人によって感じ方は異なるかと思いますが、管理人のインプレッションでは、ジャングルの森の中に入った感じね。
中に入ると川口浩探検隊になった気分ですよ。 これが1階だけなのかと思ったら、最上階までこんな感じでしたね^^; 最初に言っちゃいますと、天守に展示されていた展示物はとても興味深いものだったのですが、このジャングルが全然城っぽくなかったよね。
このジャングルなくても良いのでは!?
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![]() この造花のジャングルは少し邪魔なような・・・ |
こちらの天守は5階建て位になっていたでしょうか。 特に1階、2階、3階付近には色々な展示物があって非常に興味深かったですね。 城の展示では鎧や刀剣、生活用品などが展示されることが多いですが、もちろんこちらの中津城の展示にもそのようなものがありました。
でもこちらには豊臣秀吉の書状や、当時の軍配、装束、長篠の合戦屏風等々、様々な展示物がありました。 これはなかなかに見応えがありましたね。
中津城または中津川城は、大分県中津市二ノ丁(豊前国中津)にあった日本の城です。 黒田孝高(如水)が築城し、細川忠興が完成させました。 大分県指定史跡に指定されています。 築城を開始したのは有名な黒田孝高(如水)。 この名前だと知らない人もいるかもしれませんが、黒田官兵衛と聞くとご存じの方も多いのではないかと思います。 大河ドラマでもやっていましたしね^^ 黒田官兵衛は言わずと知れた、豊臣秀吉の軍師ですが、天正15年(1587年)に黒田官兵衛が豊臣秀吉より豊前国6郡12万3千石を与えられ、当初、馬ヶ岳城に入城しましたが、翌年から中津城の築城を開始しました。 秀吉が没した後は、関ケ原の戦いで長男の黒田長政が徳川家康側につき、その軍功により筑前52万石に加増され、名島城に転封となりました。 ここで中津城の築城は一旦中断されますが、この後、豊前、豊後に入封した細川忠興によって大修築を開始することになりました。 ちなみに細川忠興は明智光秀の娘の「たま(ガラシャ)」の旦那さんです。 中津城が完成したのは元和7年(1621年)のことでした。 |
![]() 奥平家当主の鎧兜 |
![]() 大横綱双葉山の化粧まわし |
![]() この槍先、ものすごく痛そう・・・ |
![]() 立派な陣羽織です |
寛永9年(1632年)にはその細川家も肥後熊本藩転封となり、小笠原長次が8万石で入封し事実上の中津藩が成立しました。 以後、中津城は中津藩藩主家の居城となっています。
享保2年(1717年)に 奥平昌成が10万石で入封し、それ以降、明治維新まで奥平家の居城となりました。
明治2年(1869年)に版籍奉還によって府藩県三治制下における中津藩の藩庁が置かれ、その翌年福沢諭吉の進言によって、中津藩士は御殿を残してその他建造物が破却されました。
こちらの地に模擬天守が建てられたのは昭和39年(1964年)、旧藩主奥平家当主奥平昌信が中心となり、市民らの寄付を合わせて模擬天守が建造されました。 続日本100名城(191番)に選定されたのは平成29年(2017年)のことです。
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![]() こちら軍配でしょうかね |
![]() 当時のチラシみたいなものでしょうか |
![]() 鳥居強右ヱ門磔図 かわいそうです |
![]() 徳川家康公掛け軸 |
中津城は周防灘(豊前海)に臨む中津川河口の地に築城された梯郭式の平城で、堀には海水が引き込まれているため、水城(海城)ともされ、今治城・高松城と並ぶ日本三大水城の一つに数えられています。
本丸を中心として、北に二の丸、南に三ノ丸があり、全体ではほぼ直角三角形をなしていたため扇形に例えて「扇城(せんじょう)」とも呼ばれていました。
櫓の棟数は22基、門は8棟、総構には、6箇所の虎口が開けられました。 中津城は、冬至の日には、朝日は宇佐神宮の方角から上り、夕日は英彦山の方角に落ちる場所に築城されています。
また、吉富町にある八幡古表神社と薦神社とを結ぶ直線上に位置し、鬼門である北東には、闇無浜神社(くらなしはま)が鎮座します。
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![]() 右側は徳川家康の金ピカ鎧です |
![]() 奥平伯爵の椅子 色々なものがあるね |
![]() 途中の階から櫓を撮影 |
![]() こちらは昔の鬼瓦ですね |
最上階に到着しました。 実は管理人は便意をもよおしてしまいまして、一人階段を駆け上がり急いで最上階からの景色を撮影し、すぐに折り返し1階のトイレに駆け込んでおりました。 今回は大小合わせてトイレばっかり行っていた気がしますね。
江戸時代の絵図には天守は描かれておらず、「中津城下図」には、中津川沿岸の本丸鉄門脇に三重櫓が描かれているのみだそうです。 しかし、黒田官兵衛の手紙には「天守に銭を積んで蓄えた」とあります。 その後、元和5年1月5日細川忠興書状に、小笠原忠真(忠興の三男忠利の義兄弟)へ中津城の天守を譲るとあり、当時忠真が築城中だった明石城へ送られましたが、実際の明石城には天守はなく、他の建物に転用されたと考えられています。 また、文禄2年(1593年)に亡くなった小河信章の跡を継いだ小河之直へ長政が発した3月3日 付書状に、天守の欄干が腐った旨の記述があるそうです。 現在の模擬天守は昭和39年(1964年)、本丸上段の北東隅櫓跡(薬研堀端)に観光開発を目的として建てられました。 奥平昌信が中心となって構想し、小倉城や名古屋城などの天守外観の復興に携わった、東京工業大学教授の藤岡通夫が設計を手がけました。 鉄筋コンクリート構造で、外観は萩城天守をモデルとして外壁仕上げは下見板張りを模し、外観5重内部5階(5重5階)構造で高さは23メートルあります。 |
![]() 最上階に到着もずっとジャングル |
![]() 中津川方面の景色です |
![]() 最上階の周囲はこんな感じ |
![]() 櫓方面をのぞみます |
中津城は水城ですが、豊臣氏政権時代から徳川氏政権初期段階において九州地方に入部した大名は海城を居城としていることが多かったそうです。 物流などを考えると船が使えた方が良いですもんね。
豊臣政権時代に豊前国に入部した黒田氏が中津城を築城し、徳川氏政権初期段階には細川氏が入城しましたが、細川氏はこれまた海城である豊前小倉城を同時使用しています。
細川氏がそれ以前に居城としていた丹後宮津城(京都府宮津市)も海城であり、細川氏の海城に対する執着が窺えます。
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![]() こちらの方角は結構都会ですね |
![]() お堀を見下ろすとこんな景色です |
天守からは「大鞁櫓」が良く見えますよ。 この櫓もなかなか良い形をしていますし、天守との位置関係も良いですね。 何か独立した櫓というより松本城のように櫓が天守と一体になった感じにも見えますよ。
こちらの櫓は望楼型の二重櫓で「城主の馬具等を格納するところ」という意味で大鞁櫓(だいひやぐら)と呼ばれています。 かつてこの場所には南東隅櫓があり、層塔型で多門櫓を続櫓として付属させている姿が写る古写真があるそうです。
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![]() 櫓の写真 |
天守と並ぶように立っているのは「奥平神社」です。 中津城は1700年代から明治維新までずっと奥平家が治めておりましたので、その関係でここに「奥平神社」があるのですね。
ここでもお参りを済ませ、次に無料の資料館に参ります。
奥平神社の御祭神は奥平中興の祖を祀る、第一代貞能公(智勇)第二代信昌公(仁徳)第三代家昌公(義気)仙丸君霊神となっています。 祭神の偉大なる人格は戦国の兵乱を鎮め、世の太平を来たす力があったとされています。 |
![]() こちらが奥平神社の社殿です |
こちらは黒田官兵衛資料館です。 こちらはなんと無料の資料館になっています。 ここには管理人の大好きな武将「黒田孝高(黒田官兵衛)」にまつわる史料が展示されています。
NHKの大河ドラマでは、岡田 准一さんが黒田官兵衛を演じていまして、非常に面白い時代劇になっておりました。 昔は「軍司」というと竹中半兵衛が好きだったのですが、あの大河ドラマ以降は黒田官兵衛が好きになりましたね。
豊臣秀吉の名軍司です。 そのような思い入れもあるので、資料もとても興味深く拝見することができました。 あと全然関係ないけど、この資料館の中にペットボトルのお茶や水が無料で提供されていました。 これはとてもありがたかったですね〜。
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![]() 黒田官兵衛資料館 無料なんです |
![]() 官兵衛さんの有名な兜です |
![]() 展示利用が多く充実しています |
![]() お金とっても良いレベルだと思いますよ |