世界遺産の証です! 今日5つ目の世界遺産! |
唐招提寺の看板です。 |
こちらが金堂です。この2日間で見た金堂の中でも一番厳かな感じがしました。 奈良時代建立の寺院金堂としては現存唯一のものです。2000年から解体修理(「平成の大修理」)が行われ、2009年11月1日〜3日に落慶行事が行われました。寄棟造、本瓦葺きで、大棟の左右に鴟尾を飾ります。このうち西側の鴟尾は創建当初のもので、東側は鎌倉時代の元亨3年(1323年)の補作でしたが、いずれの鴟尾も劣化が甚だしいため、平成の大修理に伴い、屋根上から下ろして別途保管することになり、屋根上には新しい鴟尾が飾られているんだそうです。 |
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こちらが講堂です。 入母屋造、本瓦葺き。正面9間、側面4間。平城宮の東朝集殿を移築・改造したもので、天平宝字4年(760年)頃、平城宮の改修に伴って移築されました。東朝集殿は、壁や建具のほとんどない開放的な建物で、屋根は切妻造でしたが、寺院用に改造するにあたって屋根を入母屋造とし建具を入れています。鎌倉時代の建治元年(1275年)にも改造されていますが、奈良時代宮廷建築の唯一の遺構として非常に貴重です。堂内には本尊弥勒如来坐像(重文、鎌倉時代)と、持国天、増長天立像(重文、奈良時代)を安置しています。1970年に新宝蔵が完成するまでは、堂内に多数の仏像を安置していました。 |
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こちらは鼓楼(ころう)です。鼓楼とは、寺院で、時を知らせる太鼓をつるす建物のことなんだそうです。 金堂・講堂の東側に建つ、小規模な楼造の建物。入母屋造、本瓦葺き。鎌倉時代・仁治元年(1240年)の建築。頭貫は端部を大仏様(だいぶつよう)の木鼻としています。西側の対称的位置に建つ鐘楼に対し「鼓楼」と称しますが、この建物には太鼓ではなく、鑑真が唐から請来した仏舎利を安置しており、そのため舎利殿とも称するそうです。毎年、5月19日に行われる梵網会(ぼんもうえ、通称「うちわまき」)の際は、この建物の楼上から縁起物のうちわが撒かれます。 |
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こちらは・・・似たような建物が2つあって、この写真がどちらだか忘れてしまいました。候補は「宝蔵」「経蔵」の2つです。ちなみに両方共国宝です。 礼堂の東側に並んで建つ。ともに奈良時代の校倉造倉庫。経蔵は唐招提寺創建以前ここにあった新田部親王邸の倉を改造したものとされ、宝蔵はここが寺になってから建てられたものと推定されます。 |
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こちらは御影堂です。鑑真の肖像彫刻(国宝)を安置する建物なんですが、あともう少し日にちが経つと鑑真和上の肖像が公開されたのですが、今回は残念ながら見ることができませんでした。 建物は興福寺の有力な子院だった一乗院(廃絶)の遺構で、慶安2年(1649年)の建立。1962年までは地方裁判所の庁舎として使用され、1964年に唐招提寺に移築されました。障壁画は鑑真像に奉納するため、日本画家東山魁夷によって新たに描かれたものだそうです。 |
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こちらは戒壇というんだそうです。金堂や講堂を見終わり、更に奥に進むとこの戒壇がありました。場所はちょうど境内西側に当たります。 戒壇は、出家者が正式の僧となるための受戒の儀式を行う場所。戒壇院の建物は江戸時代末期の嘉永元4(1851年)に焼失して以来再建されず、3段の石壇のみが残っています。1980年にインド・サンチーの古塔を模した宝塔が壇上に置かれました。唐招提寺の戒壇は創建時からあったものとする説と、鎌倉時代の弘安7年(1284年)に初めて造られたとする説とがあるそうです。 |
花は詳しくないのですが、沢山咲いていました。 |
鑑真和上御廟に行く途中の林です。見事なコケです。 |
鑑真和上の御廟です。 |
瓦と土で作られた情緒あふれる塀が続きます。 |