興  福  寺

春日大社の次は、興福寺にやってまいりました。春日大社付近のバス停から2〜3区間の
県庁前という停留所で降ります。2〜3区間といっても、既に足がガタガタ状態なので、少し
でも足を休めるためにバスを使っちゃいます。こういうとき、乗り放題だと便利ですよね。
さて、こちら興福寺は、建物なども有名ですが、阿修羅像などを安置していることでも有名
です。以前、上野博物館に阿修羅像が来たときも見に行きましたが、今回も見てきました。
今まで見た法隆寺や東大寺は、どれもちゃんとした門で囲われていたのですが、興福寺は
門などはなく、東金堂や五重塔は路から直接見える感じでした。何か無用心ですよねぇ。

興福寺は、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院です。南都七大寺の一つに数えられて
います。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で藤原氏の氏寺です。

興福寺は、今年が創建1300年なんだそうです。遷都と同じなんですね!





こちらが東金堂です。これまで見た寺院に建物の感じが似ていますね。春日大社とは少し異なりますが、この後ご紹介する薬師寺や唐招提寺などと非常によく似ていました。

東金堂内の諸仏東金堂(国宝)は神亀3年(726年)、聖武天皇が伯母にあたる元正太上天皇の病気平癒を祈願し、薬師三尊を安置する堂として創建しました。治承4年(1180年)の兵火による焼失後、文治3年(1187年)、興福寺の僧兵は飛鳥の山田寺講堂本尊の薬師三尊像を強奪してきて東金堂本尊に据えたそうです。東金堂はその後応永18年(1411年)に五重塔とともに焼け、現在の建物は応永22年(1415年)の再建の室町時代の建築だそうです。様式は唐招提寺金堂を参考にした天平様式。 平面規模は創建時の堂に準じています。 堂内には銅造薬師三尊像、木造維摩居士、木造文殊菩薩坐像、木造四天王立像、木造十二神将立像等を安置しています。
中の仏像達も見学しましたので以下にご紹介したいと思います。どうも管理人が好む仏像がここらへんから自分で分かり始めてきたのですが、管理人としては薬師如来などのいわゆる大仏様のような仏像にはあまり興味を示さず、ここでいう十二神将や四天王、八部衆(阿修羅、迦楼羅等)などどちらかというと戦隊もの(失礼!)に興味を引かれるみたいです。

どうもここは撮影禁止だった模様。。。寺によっては撮影可のところと不可のところとまちまちです。普段こういうルールは破らないのですが、興福寺では完全に「撮影禁止」マークを見落としていたようです。以後気をつけたいと思います m(_ _)m


十二神将(左側)

銅造薬師三尊像

十二神将(右側)




こちらが東金堂の横にそびえる五重塔です。すぐ目の前で、ソフトクリームの文字があったので、ついついいつもの癖で購入してしまいましたが、五重塔とソフトクリームがあまりに酷似(?)していたもので、ついつい並べて撮影してしまいました。(罰当たり)

五重塔(国宝)は天平2年(730年)、光明皇后の発願で創建されました。現存の塔は応永33年(1426年)頃の再建です。高さ50.8メートルで、木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で2番目に高いんだそうです。


興福寺からすぐのところに変わった形の建物が見えたので、ちょくら寄り道してみました。こちらは「南円堂」というそうです。少し離れたところから見ると、六角形のような不思議な形をしていますが、近くから見ると普通な感じ。

南円堂は弘仁4年(813年)、藤原北家の藤原冬嗣が父・内麻呂追善のため創建したものです。現在の建物は寛政元年(1789年)の再建だそうです。創建時の本尊は、もと興福寺講堂に安置されていた不空羂索観音像だったそうです。

〜興福寺 国宝館〜

最初は上野で阿修羅像を見たから、ここは飛ばそうか・・・なんて話していたのですが、なんだかここまで来て宝蔵院を見ないのもちょっと・・・ということで踵を返しご入館です! 上野博物館で阿修羅像を見たときは360℃全方向から阿修羅像を見れましたが、ここでは正面のみ見ることができます。また上野博物館では阿修羅像だけ別格になって独立した場所にありましたが、ここでは八部衆が横一列に並び、迫力も満点です。上野で見たときも非常に感動しましたが、今回も改めて感動してしまいました。八部衆だけでなく千手観音なども迫力満点で、やっぱり見ておいて良かったと心から思いました。


こちらが夫婦大国社です。


再び登場! 前衛的アート阿修羅像