近鉄の筒井駅に到着です。 |
「筒井駅」は近鉄の駅で、各駅停車しか停まりません。ここから法隆寺まではバスでの 移動となり、15分位で法隆寺に到着します。法隆寺は他の寺院に比べて少し行きにくい んですよね。一番近い駅はJRの「法隆寺駅」なんですが、フリー切符だとJRは使用 できないんですよ。かつ、この近辺だとJRと近鉄の駅が交わっていないため、JRを 使おうとすると、ちょっと面倒です。このため今回は筒井駅からバスとしましたが、 実際に行ってみると、JRに乗り換えるより、全然バス移動のほうが楽で早かったです。 |
ようやく法隆寺に到着しました。。。と思ったら、この場所から正門までは徒歩で10分位かかりました。営業時間(?)終了まで、あと僅かだったので、相当なスピードで歩いていきましたが、午前中から歩きっぱなしで、もう足は棒のようになっています。ですが、本日最後のメニューですので、気力を振り絞ってなんとか見学することができました。 この時点ではほとんど観光客の姿も見えず、途中学生の修学旅行と思われる一行を見かけたくらいでしょうか。この場所から法隆寺までの間に何軒かお土産屋さんがあったのですが、いづれも今日はやっていなかったようです。今日は平日だし、稼ぎ時は明日なのかもしれませんね。 |
こちらが「中門(ちゅうもん)」です。国宝に指定されています。一応、門ではありますが、中に入るときはここからではなく、突き当たりを左に行ったところから入ります。 入母屋造の二重門。日本の寺院の門は正面の柱間が奇数になるのが普通だそうですが、この門は正面柱間が4間で、真中に柱が立つ点が変わっているそうです。門内の左右には金剛力士が法隆寺を守っています。日本最古(8世紀初)の仁王像として貴重なものだそうですが、風雨にさらされる場所に安置されているため、頻繁に補修が行われ、吽形像の体部は木造の後補に代わっているんだそうです。 |
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こちらが「金堂」です。こちらも国宝に指定されています。 まず拝観料を納め、中に入ると有名なこの金堂と五重塔が目に入ります。下の部分は屋根が二重になっており、少し変わった感じですよね。しかしなんとういうのでしょう、日本の寺院の美しいこと・・・建物を構成している木々や瓦などの一つ一つに趣を感じます。軒の出を支える建築部材は雲斗、雲肘木などと呼ばれ、曲線を多用した独特のものなんだそうです。 この堂内は中の間、東の間、西の間に分かれ、それぞれ釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来を本尊として安置しています。 |
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こちらが「五重塔」です。これも国宝と、法隆寺の建物はほぼ全て国宝に指定されているんですね。 少し曇っていたせいか、もう時間が遅くなって日が落ちてきているせいか、写真が少し暗くなってしまいました。 この五重塔は木造塔として世界最古のものだそうです。初重から五重までの屋根の逓減率(大きさの減少する率)が高いことがこの塔の特色で、五重の屋根の一辺は初重屋根の約半分です。初重内陣には東面・西面・南面・北面それぞれに塔本四面具(国宝)と呼ばれる塑造の群像を安置しています(計80点の塑像が国宝)。この塑像に使用された粘土は、寺の近くの土と成分がほぼ等しいことから近くの土で作られたと推測されるそうです。 |
こちらが「大宝蔵院」の建物です。この建物だけ新しく、建物の色なども当時を再現しているそうです。中に安置されている仏像は非常に趣き深いです。 百済観音堂を中心とする東西の宝蔵には、有名な夢違観音像(白鳳時代)・推古天皇御所持の仏殿と伝える玉虫厨子(飛鳥時代)・蓮池の上に座す金銅阿弥陀三尊像を本尊とする橘夫人厨子(白鳳時代)をはじめ、百万塔や中国から伝えられた白壇造りの九面観音像・天人の描かれた金堂小壁画など、日本を代表する宝物類を多数安置しています。 |
こちらが「聖霊院」(国宝)です。 西院伽藍の東側に建つ、聖徳太子を祀る堂。鎌倉時代の建立。この建物は本来は東室の一部であったが、1121年にこれを再建するときに南半を改造して聖霊院とし聖徳太子像を祀っています。現在の聖霊院は1284年に改築されたものです。聖徳太子及び眷属像、如意輪観音半跏像、地蔵菩薩立像を安置しています。太子の命日の旧暦2月22日を中心に、法隆寺最大の行事であるお会式が行われるそうです。 |
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こちらが「夢殿」(国宝)です。 奈良時代の建立の八角円堂。堂内に聖徳太子の等身像とされる救世観音像を安置しています。他に行信は東院の建立に尽力した人物である行信僧都坐像、荒廃していた東院の復興に尽力した人物である道詮律師坐像も安置されています。いづれも国宝に指定されています。 |