軍 艦 島

さ〜今回の旅行のメインイベントが始まろうとしています!! 今日の観光は今年に世界遺産にもなった軍艦島です〜! ドンドンドンドンパフパフ〜!  軍艦島はかなり楽しみにしておりました。 でも世界遺産になっただけあって、今年はものすごい混んでおりまして、予約を取るだけでも苦労する程だった んです。 実は長崎旅行は昨年行く予定だったのですが、その時点では簡単に軍艦島クルーズを予約できたそうなのですが、今年は世界遺産に認定された ため、かなりの競争率だったようです。 実際に「岡」氏が予約してくれたときは満席で4人分の予約はできなかったそうです。 そして何度も繰り返し 予約サイトをチェックしてくれて、まずは3人確保! あと1人〜! またまた予約サイトをチェックしてようやく4人全員の予約を取ることができた次第。  「岡」氏に大感謝ですm(_ _)m

今日の観光はもう軍艦島1本に絞ってあります。 9:40に港を出港して軍艦島を見学して帰港するのが12:45。 帰りの飛行機は15:20長崎 空港発だったので、ちょうど良い感じです。 いや〜しかしテレビでは何度も軍艦島を見ましたが、生で見るのはこれが初めてなので、非常に楽しみです!!





〜 ク ル ー ズ 受 付 〜

ホテルから徒歩2分のところに軍艦島クルーズの受付場所がありました。 港で受付をするのかと思ったら、全然違うのね。。。 8:40受付という ことだったので、ホテルの1階に8:25に集合して受付場所に向かいました。

こちらの受付で誓約書にサインして代金を支払います。 全部で3,400円です。 往復2時間の船旅と軍艦島の観光でこのお値段というのは結構 良心的だと思いますよ。 ちなみに誓約書の中身は、危険な行為禁止、禁煙、飲酒禁止、持ち出し禁止、施設の破壊禁止等々についての内容でした。

受付をすると、写真のようなカードをもらえます。 皆さんこのカードを首からかけて乗船します。 ちなみに旅行バッグなどの荷物は受付で預かって くれるので、身軽な恰好でクルーズすることができますよ。 これはありがたいサービスですね〜。


受付のお店

搭乗カード


〜 港 に 到 着 〜

先程ご紹介したドラゴンプロムナードを散策して、乗船口付近にやってきました。 最初のほうは、数人が並んでいるだけだったのですが、 途中から観光バスも2台位入ってきて、いっきに人の列が長くなりました。 我々も途中から列に並び始めたのですが、すっかり50番目位に なってしまいましたよ。。。>_< 早い順番で並ばないと、良い席を確保できません。。。 でも我々はまだ良い方で、その後もどんどんお客さんが ご来店しており、最終的には200名位はいたでしょうか。 予約制なので大丈夫だと思いますが、この船にそんなに乗れるんですかね〜!?


港の様子

すんごい行列


〜 ブラックダイアモンド号 〜

こちらが今日お世話になる「ブラックダイアモンド号」です。 ブラックダイモンドって、「石炭」のことですね。 遊覧船っていうと、芦ノ湖なんかで 運用しているバイキング風のものとか、カーフェーリーのようなものを思い出すのですが、ブラックダイアモンド号って結構かっちょえーですね。  オレンジと黒のツートンカラーに、鋭くとがった船首! そして下の方をみると双胴船になっているようです。 こいつはスピードも結構出そうですね。  でも寒いからそんなにスピード出さないで良いです。。。




〜 港 を 出 港! 〜

当初の我々の予想だと、結構気温も下がっていたし船に乗っている時間も長いので、一番先に船の1階の窓がついている風の当たらない席が埋まっていくと 思っていたのですが、意外にも屋上の吹きさらしの席にも大勢大挙していました。 元々「西」氏と「増」氏は一番上の席にいくつもりだったのですが、 危なく席に座れないところでしたよ。 運よく一番前の席をゲッチューすることができたので、今回も写真取りまくりですね!! ちなみに「岡」氏と 「頭」氏は1階の船室のほうでダウンしておりました^^ 1階の船室内はエアコンが効いててとても暖かいです。 これはダウン必至ですね^^


先頭の椅子をゲッチュ〜!

出港しました〜。


長崎の港を出港して、ほどなく、船内アナウンスが始まりました。 こちらの船は結構丁寧に色々説明してくれるんですよ。 しかも説明が分かり易い!  出港してからすぐに、稲佐山、三菱造船ドッグ、世界遺産に登録されている日本最古のクレーンや日本で最初にできたドッグ、途中に見える島々等々 非常に興味深い話しをしてくれます。

写真は三菱の造船所です。 現在建造中の豪華客船などもありましたし、同じ型で進水式寸前の豪華客船もありました。 なんでも海上自衛隊の護衛艦 あたごもドッグに入っているとのことです。 また三菱の大型クレーンは、2,400tの重量を持ち上げるほどの性能なんだそうですよ。  いやいや東京湾にある造船所っぽいものより大分規模が大きいような気がしますね。


こちらが一番古い国宝のクレーン(だったと思う。。。)


三菱の造船所で超巨大豪華客船を製造していました。


こちらにはロールアウト寸前の豪華客船が!


これが三菱の大型クレーンです。


グラバー園からも見えた巨大タンカーです。


巨大吊り橋をくぐって港を出ていきます。


航行中に色々な小さな島が見えます。 現在も人が住んでいる島もあれば、かつて炭鉱で栄えていたけど現在は無人の島等様々です。

下の写真の島は、かつては炭鉱で栄え、何百人という人が住んでいた島なんだそうですが、現在は地盤沈下で島の頭しか残っていないんだそうですよ。  こういう風景を見ると、盛者必衰の理を覚えてしまいますねぇ。。。





〜 伊 王 島 〜

この船は直接軍艦島に向かうのかと思ったら、途中で2つの島に帰港していくんですって。 最初にやってきたのがこちらの「伊王島(いおうじま)」です。  なんと、ここから5人位の観光客が乗ってきましたよ。 観光客なんだと思いますが、この島に泊まっていたのでしょうかねぇ。。。  ちなみに他の人はここでは下船できません。 港に着いて、お客さんを乗せたら、すぐに出港しました。 その間約5分位。 乗組員の方の 的確にしてスピーディな仕事が光ります。 全ての人がプロフェッショナルな船と見ました!

伊王島は、長崎港外、長崎市(旧西彼杵郡)香焼町沖にある伊王島・沖ノ島を含んでいた町。 自治体人口に占めるカトリック教徒の比率が日本で最も 高かった。 伊王島(面積1.31km周囲7.1km)と沖ノ島(面積0.95km周囲5.1km)の2つの島を合わせて伊王島と呼ぶ。 2つの島の間は幅数十mしかなく、 2つの島を結ぶために栄橋・賑橋・祝橋の3つの橋が架けられている。 本土からの交通は伊王島港と約10km離れた長崎港との間を旅客船のみで結んでいたが、 2011年3月27日に長崎市本土と伊王島地区(沖之島:伊王島町2丁目)を橋で結ぶ伊王島大橋が開通した。 かつては炭鉱の島として栄えたが、閉山後は 農漁業を兼業する。 また、島全体が釣りの適地である。近年では、長崎市近郊のリゾート地として開発が進む。。。 だそうです。 だから観光客が 乗ってきたのか〜。


伊王島が近づいてきました〜


5名の方がここで乗船しました。



〜 高 島 〜

先程の伊王島を出港して約10分位で、次の島に到着しました。 こちらの港は特にお客さんを乗せることもなく、タッチ&ゴーでしたね。  どうも船の運行ルートが決められており、行きは乗下船はしないけど、帰りにトイレ休憩で下船するんだそうです。 で行き帰りのルートを 変えてはいけないとかのルールがあると思うんですよね。 だから行きは港に一瞬触っただけですぐ出港したのだと思います。 

帰りはしっかり寄りましたので、後程写真をご紹介します。




〜 軍 艦 島 に 到 着〜



軍艦島の右側が「中之島」です。

高島を出港して、約10分で船内が色めき立ちました! そうです! 軍艦島が見えてきたのです!! なんと、おどろおどろしい姿でしょう〜!  テレビでは何度も見たことがありますが、実際に目の当たりにすると、そのスケールの大きさに圧倒されてしまいます。 遠目に見ると、 名の通り本当に軍艦のように見えますよ。 そして軍艦島に寄り添うようにある中之島。 軍艦島には葬儀をする施設がなかったそうで、 人が亡くなったときには隣の中之島に行って、葬儀をとり行ったということです。


軍艦島全貌

実際の島名は端島(はしま)と言います。 端島は長崎県長崎市(旧高島町)にある島。 明治時代から昭和時代にかけては海底炭鉱によって栄え、 東京以上の人口密度を有していたが、1974年(昭和49年)の閉山にともなって島民が島を離れてからは無人島である。 戦艦「土佐」に島影が 似ていることから軍艦島と呼ばれるようになったと言われている。 2015年、国際記念物遺跡会議(イコモス)により、軍艦島を構成遺産に含む 「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に登録された。


近づくにつれて皆さん我先に写真を撮り始めます。

だんだん近くづいてきました。接岸まであとわずか。


おお〜! ついに軍艦島に着岸! この桟橋は「ドルフィン桟橋」というそうです。 このドルフィン桟橋は3代目なんだそうですよ。 完成は1962年。 初代の桟橋は完成後2年目に台風で流失、2代目も完成翌年の台風で破損したんだそうです。

せっかく上陸したのですが、廃墟にいる釣り人が気になります。 軍艦島に来てキャーキャー言っている観光客。。。 その隣で黙々と釣りを する釣り人。。。 ものすごいギャップです。 船の乗組員の方に聞いたら、本来は違法とのことですが、軍艦島の内側は長崎県の管轄なのに対して、 軍艦島の外側の堤防は国の管理なんだそうですよ。 このため長崎県は堤防にいる釣り人を取り締まることができないんだそうです。 そういえば 東京湾にも同じように、昔の海堡で釣りしている人いましたよね。。。 あれと同じなのかも・・・


釣り人・・・

着岸しました!!


せっかくの上陸記念だったのに、釣り人に気を取られてしまいましたm(_ _)m いや〜遠くで見てもすごい存在感でしたが、近くで見ると更にすごいですね。  この廃墟群はっ! 何かこの廃墟を見ていると、当時の最先端の人々の暮らしが瞼の裏に浮かんでくるようです。 見学できるコースは決まっており、 コンクリートで固められ手すりが設置されています。 上陸の時間は説明などを含めて約30分とのこと。 結構短いですが、コース自体も短いコースなので 時間としては充分でした。 多分ですが、他のツアー船ですと、別の桟橋に着岸して別のコースを廻れるのではないかと思います。 でも正直このコースで 充分楽しいです。


桟橋からの景色Part1

桟橋からの景色Part2


ここらへんは、冬の時期になると、海が荒れる日が多く3日前だと上陸はおろか、出船もできないほど海が荒れていたそうです。 写真は波によって 倒されたコンクリートです。 説明の方もおっしゃっていましたが、軍艦島はどんどん波に浸食されて、どんどん朽ちていっているそうです。  「今の軍艦島を見るのは、今しかない」とおっしゃっていました。 なかなか全てを補修することもできませんもんね。。。 


波により倒壊したコンクリート


見学コースには写真のように広がりがありまして、ここに観光客を集めて船の方が説明してくれます。 ここでも完璧な説明をしてくださいました。  このような広がりは3か所位ありまして、それぞれでその場所にあった説明をしてくれました。




炭鉱で採掘したものは100%が石炭ではなく、石炭以外の岩などもベルトコンベアで地上に運ばれるんだそうです。 そして地上で石炭と石炭以外に 分けられるんだそうですが、石炭以外のものを「ボタ」と呼ぶんだそうです。 このボタは海中などに捨てられていくのだそうですが、どんどんボタが 溜まっていき、そのうち、捨てる場所がなくなってしまったんだそうです。 そこでどうしたかというと、島の反対側の海に捨てることになったんだ そうです。 でもボタを手動で運ぶのは相当に重労働だったため、既に建設されていたビルの真ん中にボタを運ぶためのベルトコンベアを通したんだ そうですよ。 この写真がそのときに開けた穴なんだそうです。 人が住んでいるビルのど真ん中に穴を開けるなんてとても大胆ですよねぇ。。。




写真中央は見学ルートの終点「第三見学広場」から見える「30号棟」と呼ばれる建物で、鉱員の社宅だったそうです。 その左側は「31号棟」で同じく社宅です。

30号棟は、1916年(大正5年)に建設された日本初の鉄筋コンクリート造アパートである(日本初の鉄筋コンクリート造「高層」アパートとも)。 当初は4階建てであったが、完成後まもなく7階建てに増築されている。  島の南西部、岩山の南端の山麓に位置する。 中央に吹き抜けをもち、上から見るとほぼ正方形に近い「ロの字形」をした建物である。 吹き抜けの周りを囲むようにロの字形の廊下があり、階段も吹き抜けに面している。  その周囲に巴形に住居が配置されている。 鉱員社宅として建てられたが、閉山時には下請飯場として用いられていた。 7階建てだが部分的に地階もあり、閉山時は売店が入っていた。 戸数は140戸、総床面積は3808.0平方メートル。  基本的な階の構造は、1K(6畳)が19戸と1K(4畳)が1戸と共同トイレ。 25号棟・26号棟・緑道(山通り)とは通路で繋がっている。 建物の南東側には、船着場に直通のトンネルの出口がある。 当時はまだ技術的に未熟であり、 また材料や環境の悪さゆえ、最初に造られた下層階の劣化が速かったため、1953年(昭和28年)、上層階をそのままに下層階の鉄筋を取り替え、コンクリートを打ち直して改築している。 by wikipedia




こちらは「30号棟」のすぐそばにある「仕上工場」と思われます。 何を仕上げる工場なのでしょうか!? 色々インターネットで調べてみたのですが、個別の施設についてはあまり掲載されていませんでした。 今後の調査で都度更新して いきたいと思います。



軍艦島でも記念写真をパチリ。 クルーズのスタッフの方に撮って頂きました。 スタッフの皆さまはニコニコしながら色々なサービスしてくれました。 他の皆さんも記念写真を撮ってもらっておりましたよ。  こういう細やかなサービスが嬉しいです。 是非皆さんも「軍艦島上陸クルーズ」で検索してみてください^^




こちらは「総合事務所」です。 軍艦島内の建物はコンクリート剥きだしの建物も多いのですが、写真のように赤レンガの建物も散見されます。 このコンクリートと赤レンガのコントラストが何とも言えません。

こちらの総合事務所は軍艦島の中枢とも言うべき施設だったそうです。 左側には大浴場もあり、鉱員の憩いの場ともなっていたそうです。 




こちらは「第二竪坑坑口桟橋」です。 主力坑であった第二竪坑を含め、鉱山施設は現在ほとんど崩壊していますが、かろうじて第二竪坑へ行くために設けられた桟橋への昇降階段部分が残っています。  第二竪坑の遺構は今ではこれだけなんだそうです。 




左には灯台がありますが、こちらは閉山後に無灯を補うために造られたものだそうです。 右側の大きな建物は貯水槽だそうです。 それにしても巨大な建物です。 
















いや〜これは相当に感動しましたよ。 やっぱり軍艦島来れてよかったです〜。 旅行の中に、軍艦島ツアーがあるのとないのとでは雲泥の差ですよ。  名残惜しいですが、軍艦島よ〜おさらば〜。 このときに綺麗な軍艦島の全貌を撮影することができました。

ちなみに帰りの船も一番上の吹きさらしの席に座りましたが、もう写真も全て撮り切りましたので、次の高島で1階の船室に移りました。 なぜなら、 また雨が降ってきたからです。 あ〜あ〜〜長崎〜は〜〜今日も〜〜あ〜め〜え〜だぁった〜〜♪ 今日も「西」氏と「増」氏の雨男ブラザーズは 絶好調です!!


〜 高 島(帰り) 〜

帰りに高島に帰港しました。 ここには炭鉱歴史館があって、色々な資料を見ることができます。 またトイレもありますのでタンクが満タンだった 管理人も一安心です。 というのも、軍艦島にはトイレがないんですよ。 船にはついているのですが、走っているときしかトイレが使えないんだ そうです。 結構同じようにフルタンクの人が多かったようで、男性も女性もトイレに行列しておりました。 管理人はもう大分足が終わりかけて いたので、炭鉱歴史館にはいかずすぐ船に戻りました。 船員さんがおっしゃっていましたが、この付近にはサンゴが群生しているんだそうですよ。  赤いサンゴだそうです。

高島は、九州北西部の長崎半島西沖合にある島。 全島が長崎県長崎市(2005年1月3日までは西彼杵郡高島町)に属する。 島は古第三紀高島層からなり、 最高峰の権現山(114m)が島中央部のやや北方にある。 全体にケスタ地形をなし、北側海岸は急な崖となっている。 もとは高島本島と属島の上二子島・ 下二子島・飛島があったが、上下二子島と本島は炭鉱からのボタで埋め立てられ陸続きとなり、そこに高層アパートが林立した。 また、飛島も防波堤 により陸続きとなっている。 江戸時代初期から採掘が始まっていた高島炭鉱が明治時代初期に英国商人トーマス・グラバーらによって本格的な近代炭鉱 として開発された。 1965年(昭和40年)ごろには従業員約3,000人、年間出炭量約127万tに達したがその後漸減、1985年(昭和60年)頃には年間出炭量 約65万tに低落した。 同年の坑内事故、生産調整等により1986年(昭和61年)11月27日をもって高島炭鉱は閉山された。 閉山後は磯釣り公園の整備等を 行い観光開発を模索しているほか、トマトのハウス栽培が盛んになっている。