眼  鏡  橋

念願のオコゼ料理を堪能した際に、オコゼのババァさんが「22時までだったら眼鏡橋がライトアップされているよ〜」と教えてくれたので 行ってみることにしました。 本当は明日行こうと思っていたのですが、散歩がてら夜の眼鏡橋を観光します。

徒歩数分で眼鏡橋に到着しました。 いやいや念願の眼鏡橋をようやく見ることができましたよ。 実は管理人が高校生のときに長崎に修学 旅行に来た際、かなり楽しみにしていた眼鏡橋が工事中で橋全体が養生されていて、何ともガッカリな景色だったのを思い出しました。  あれから30年〜。 ようやくちゃんとした眼鏡橋を見ることができました。 いやいや何とも歴史を感じる風貌ではありませんか〜。  川に映る橋と合わさって、正に眼鏡のよう! 

眼鏡橋の周囲は現代の建物ばかりで当時の面影はありません。 眼鏡橋だけ時間が止まっているような感じですね^^ 周囲は丁度思案橋の 歓楽街の外れにあたり、飲み屋さんなどもちらほらある程度。 近くには市電も走っていました。 




眼鏡橋とは長崎市の中島川に架かる石造二連アーチ橋である。 架橋時、琉球王国だった天女橋を除くと、日本初の石造りアーチ橋である。  1960年(昭和35年)に国の重要文化財に指定された。


眼鏡橋の説明文


眼鏡橋を渡っちゃおう


眼鏡橋を架設した黙子如定禅師(かな?)


橋の下に降りて橋を撮影しました


眼鏡橋の下もくぐってみました

あ〜22時を過ぎてライトアップ終了〜

橋の長さは22m、幅3.65m、川面までの高さは5.46m。

1634年 興福寺の2代目住職、黙子如定(もくすにょじょう)が架けた。 1648年の洪水で損壊するが、平戸好夢が修復している。  その他は高欄が破損して修復したと見られる形跡があるものの、流失することなく度重なる水害に耐えてきた。1982年の長崎大水害では 中島川の橋が流失したが、眼鏡橋は半分程度損壊するという深刻な被害を受けたものの流失は免れた。

修復のための部分解体調査で江戸期のものとみられる階段跡が左岸橋端から見つかったため、従来はスロープとなっていた橋端は階段へと 変更された。 橋端は1873年(明治6年)頃、人力車通行のために階段をなくしたものと見られる。ただし眼鏡橋は1948年(昭和28年)以後、 車両の通行が禁止されている。

流出後、下流で見つかった石材については、復元時に再利用された。 眼鏡橋の辺りは増水時の氾濫対策として川幅を広げる必要があったが、 橋などの姿をなるべく残すよう、川幅や橋はそのままにして、両岸の地下に暗渠式のバイパス水路を設けることで解決した。 この際、左岸側 バイパス建設地の上から川の上にまで張り出した家屋や商店など46戸は約20年の交渉を経て全戸が移転し、跡地には歩道と街路樹が整備された。


ここの堤防に「ハートスト−ン」と呼ばれるハート型をした石が埋め込められているんだそうです。 オコゼのババァさんが教えて くれました。 「ハートストーン」があるこの場所は愛を願うパワースポットとして人気を集めているんだそうです。  「岡」氏「西」氏「頭」氏には是非一生懸命願って欲しいと思います^^ でも暗いし酔っぱらっているし、ハートスターン見つけられな〜っい!