武 家 屋 敷

島原城を堪能した一同が次に向かったのが、「武家屋敷」です。 島原城から徒歩で10分位のところにあります。  観光本などでも必ず掲載されている島原の観光名所です。 昔ながらの茅葺屋根が特徴の武家屋敷。 武家屋敷というと秋田県の角館が 有名ですが、屋敷自体は非常に似ています。 秋田の角館は、広い道路(アスファルト)の両脇に武家屋敷が並ぶような感じでしたが、 こちらの武家屋敷は、道まで昔風です。 この道は約400m続いており、両脇に3軒ほど武家屋敷が存在し、家の中まで見学可能です。  その他の家は普通の現代風の家があり、普通に住民の方が生活しています。 家は現代風のものが多いですが、両脇の壁が昔風になって いるため、歩いていても昔の道を歩いているように感じられます。

また、道路の中央には小川が流れておりますが、これは昔から生活用水として使われていたんだそうです。 後述しますが島原の街は 湧水も有名なんだそうですよ。 この湧水は雲仙岳の度重なる噴火によって形成されたとのこと。 そのせいか水の透明度が高く、 非常に綺麗に見えます。 わずか400mの距離ですが、当時の面影を残し、タイムスリップしたような感覚になります。



〜 まいう〜カステラ屋さん 〜

島原城から武家屋敷に向かっている最中に、妙に良いかほりがしてきました。 甘〜〜くて食欲をそそるかほりです。。。 更に小路を 曲がっていくと、そこにカステラ屋さんがあるではないですか!! しかもカステラを作る工場も一緒にあるみたい。 もうかほりに 耐えられず、お店に入ってみました! 店の貼紙には、カステラの他にプチシュークリームの文字もっ! なんと素晴らしい店でしょう! 

店に入りショーケースを見てみると、色々な種類のカステラが並んでいます。 抹茶味、シルクカステラ、卵の濃いカステラ等々、どれも 美味そうです!! とりあえず、カステラの切落しがあったので、卵の濃いカステラをご購入〜。 4人で分けて頂きました。

カステラは非常にしっとりしていて重厚感があります。 卵の濃い感じが非常に良く出ており、適度な甘みが胃を刺激します!  なんてまいう〜なカステラなんでしょうか! 地元のスーパーのカステラの切落しはパサパサで、これとは似ても似つきませんね!

お店の外観


こちらは高級カステーラ(桐箱に入っています)


色々なカステラ達(庶民向け)


わお〜超まいう〜



〜 武家屋敷に到着! 〜

ここ一帯に徒士屋敷があり、松倉重政が島原城を築いたときに、下士をまとめて住まわせました。(上士は城内) 一軒一軒の屋敷には境界の塀がなく、隣家の奥まで丸見えで鉄砲の筒の中を覗いたようだというので、 鉄砲町と呼ばれていました。 鉄砲組、すなわち歩兵の居住地帯であったからでもあります。

城に近い方から、下ノ丁、中ノ丁、古丁、下新丁、上新丁、更に新建と江戸丁新屋敷などを配置しました。 いづれも長さ約400メートルの屋敷町です。 それぞれ約90坪の屋敷に建坪約25坪で、屋根はわらぶきです。

街を流れる清水は北方2キロにある杉谷・水の権現(温泉熊野神社)から引いた人口の水路です。 飲料用にもなっていましたから、水奉行を置くなどして大切に使用されていました。 1775年頃には石垣などを整備しています。


武家屋敷の看板


武家屋敷の通り


中央を流れる清流

《山本邸》

最初に訪れたのが山本邸です。 不思議なことに武家屋敷以外の他の民家も同じような門構えになっています。 きっと景観を統一する ために、そのようにルール化されているんですね〜。 門をくぐりますと、藁ぶき屋根のクラッシック住宅が姿を見せます。  山本邸は部屋の中までは入れないようになっていましたが、外から見る限りでは部屋は3つ位でしょうか。 玄関の土間や、調理場など 昔の姿をそのまま残しています。 部屋の中には、昔の人の原寸大の人形があり、この人形を見る度にビックリしてしまいます。

山本家の初代佐五左衛門は、忠房公の先代美川の吉田城主忠利公時代から家臣となり、寛延2年(1749年)、5代忠祇公の宇都宮移封、安永3年(1774年)、 6代忠恕公の島原への所管の所替に際して随行し、その後幕末まで前後13代の城主に仕えました。 山本家は城主からの信任が厚く、明治以後は悟郎氏秀武氏と合わせ10代続いております。  5代茂親氏は寛政2年(1790)に一刀流の免許、文化元年(1804年)には荻野流鉄砲術師範、文化8年(1811年)大銃術の免許皆伝を得て、代々重職を務めました。  17石2人扶持で、門構えは最後の城主忠和公から特別に許されたものです。





ここ鉄砲町は古くから町筋の中央を流れる清水を、水奉行の厳重な管理人のもと、飲料水として使用していた。

しかし、大将初期、周囲に田園地帯が急増し、灌漑用に使用するなど、当時の通水は従来の四分の一程度に減少し、更に、 伝染病が猛威をふるい、多数の患者が出るにいたって大きな問題となっていた。

山本家第八代当主秀左右は、この現状を深く憂慮し、井戸堀に着手した。

大将六年五月に完成を見たので、それに因んで「六五の井戸」と命名した。

 ・井戸の深さ : 約8.2メートル
 ・水   深 : 約2メートル
 ・形     : 円形(直径約1メートル)
 ・作業延べ人数: 42人
 ・総 経 費 : 五十円九十五銭二厘
 ・工 事 日 数 : 10日

六五の井戸



《篠塚邸》

この屋敷に住んでいた人は姓を篠塚と言い、代々順右衛門を称し、祖先は三河深溝であるが、寛文9年(1669年)松平主殿頭忠房が丹波福知山5万石から 7万石島原城主として移されたときに従ってきて、明治初期まで11代、8石から13石2人扶持を給され、主として郡方祐筆(初期)や代官などを勤めた。 屋敷坪数は このあたり全て90坪である。



《鳥田邸》

こちらの家は、中まで入れるようになっていました。 玄関口から中に上がりますと、もうタイムスリップしたような気がしますよ。 そして 例のごとく、またまた人形がいてビックリしてしまいました。 この人形には毎回驚かされます>_<

島田家は藩主松平氏の草創以来の古い家柄で、藩主の転封にともなって三河国吉田、丹波国福知山と転じ、寛文9年(1669年)、ここ島原に入った。  歴代地方大韓・郡方物書などを勤めたが、幕末には御目見獨禮格で7石2人扶持を受け、材木奉行・宗門方加役・船津往来番などの重職についた。  このあたり一帯は中・下級武士の屋敷で、一戸当たりの敷地は90坪ずつに区切られ、家ごとに枇杷、柿、柑橘類などの果樹を植えていた。  道路の中央を流れる清流は、往時の生活用水路である。








《お土産屋さん》

島原城から武家屋敷に向かい、一番最後にあるのがこちらのお土産屋さんです。 お土産屋さんの外観も風情がありますね〜。  店内には色々なまいう〜な土産物屋があります。 長崎にきて良く見たお土産が、カステラ、ちゃんぽん、皿うどん、びわ、カラスミ等々。  その中でも、島原でよく見たのがこちらの饅頭です。 この饅頭は仙台の牛タン弁当のように、紐を引くと石灰で温めるようになっていて、 お土産屋さんで買ってすぐに熱々饅頭を頂けるようになっています。 お土産屋さんの一角にテーブルがあったので、ここで頂くことに しました。 紐を引いてほどなく、シューシューと煙が上がってきます。 注意書きで「飛行機への持ち込みはできません」とありましたが、 これは石灰を飛行機に持ち込んではいけないからなんだそうです。

お店の方からは5分位は温めるように言われましたが、我慢できずに2〜3分でオ〜プン!! 少しだけポソポソしていましたが、 中までほんのりと温かくなっています。 饅頭の皮の部分は酒まんじゅうのような味がしますね〜。 そして餡子は甘すぎず、大人のお味。  やはり温かいのを頂けるというのは非常に付加価値が高いですね。 店員さんがサービスでお茶も入れてくれたので、非常に良い休憩に なりました。


お店の入り口も武家屋敷風です。




周りの武家屋敷の雰囲気に似てますね〜




噴火饅頭、絶賛販売中!


中はこのような2段構造になっています。


ちょっと見えにくいけど、シューシュー煙が出てます。

饅頭の中身はこんな感じ。まいう〜^^