善  光  寺

戸隠蕎麦を頂いて、良い具合にお腹が満たされましたので、次の目的地「善光寺」に向かいます。 戸隠神社から善光寺までは、来た道をそのまま戻るような感じでしたね。 善光寺の周りにはいくつか駐車場があったのですが、 せっかくだから参道を歩いて本殿に向かいたいな〜ということで、参道近くの駐車場を探したのですが、大通り沿いにはコインパーキングすらあまり見かけなかったんですよねぇ。。。 なので最初に見つけた善光寺の本堂裏にあった 駐車場に停めることにしました。 ちなみに後から気づいたのですが、周囲を歩いてみると、大通りではなく裏路地にはコインパーキングがありましたね〜。 さすがに初めてだとなかなか分かりずらいです。

本堂の裏側の駐車場からはすぐに善光寺の本堂には行かず、脇道から「仁王門」の付近まで行き、そこから仲見世通りを通って本堂に向かうことにしました。 ゴールデンウィーク前だからなのか、混んではいるのですが、浅草の浅草寺のように 足の踏み場もないような混み方ではありませんでした。 日本人観光客も多かったですが、外国人観光客も結構多かったですね〜。


まずは「仁王門」にやって参りました。 非常に厳かで重厚な雰囲気を醸し出していますね〜。 両側には仁王様が守っています。

仁王門は宝暦二年(1752年)に建立されましたが、善光寺大地震などにより二度焼失し、現在のものは大正七年(1918年)に再建されました。 この門には善光寺の山号である「定額山」の額が掲げられています。 

仁王像並びに仁王像背後の三宝荒神・三面大黒天は共に高村光雲・米原雲海の作であり、その原型は善光寺史料館に展示されています。 仁王様は金剛力士とも呼ばれており、阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の二体を 一対として鎮座しています。 「阿吽の呼吸」っていうのは確かここから来ていると聞いたことがありますね。




仁王門を通り過ぎますと、両側にお土産屋さんが並んだ仲見世通りが見えてきます。 確かに色々なお土産屋さんや旅館などもあったのですが、一番多かったのはソフトクリーム屋さんだったかもしれません。 スジャータの店もありましたが、 ちゃんと自前でアイスクリーマーで作っている店も多かったですよ。 管理人は先程の戸隠神社で「くまざさソフト」を食したばかりだったので、今回はパス。 一方「岡」氏は仲見世の途中にあった「信州りんご菓子工房BENI-BENI」さんで カスタードクリームがタプ〜リ入ったアップルパイをご購入〜。 これが美味そうなんですよ。 特に店の前ではカスタードクリームの甘〜い良いかほりが・・・ ジュル




「信州りんご菓子工房BENI-BENI」さんの
店構え
アップルパイまいう〜



仁王門から仲見世通りを4〜5分歩きますと、眼前に「山門」が姿を現します!(というかさっきから見えてた) この山門は重要文化財なんだそうですよ。 しかしなんと立派な門なのでしょう〜。 上の方には「善光寺」と書かれた看板(?)がはっきりと見て取れます。  今回は上りませんでしたが、こちらの山門は有料ですが中に入ることもできるんだそうですよ。

山門は寛延三年(1750年)に建立された二層入母屋造りの門です。 屋根は大正年間の葺き替え時に檜皮葺きとなりましたが、平成十四年から十九年にかけて行われた平成大修理において、建立当時と同じサワラの板を用いた栩葺き(とちぶき)に復原されました。  楼上には輪王寺宮筆の「善光寺」と書かれた額が掲げられています。これは通称「鳩字の額」と呼ばれており、3文字の中に鳩が5羽隠されています。 更に「善」の一字が牛の顔に見えると言われ、「牛に引かれて善光寺参り」の信仰を如実に物語っています。 by 善光寺HPより



そして〜! 山門を潜り抜けると、目の前には本堂が姿を現します。 最初に目についたのは「卍」の文字。 本堂の裏に廻ってみても「卍」の文字が書かれていました。 これを見て最初に思ったのは「まじ卍」という若い人の言葉。  「まじ卍」の意味がよく分からなかったので、「岡」氏が調べてくれたところ「感情が高ぶったときに使用する言葉」なんだそうです。 最近日本語が荒れています>_< 話を戻しまして、この「卍」という記号(?)は、ナチスドイツのハーケンクロイツを 思い出して、あまりいいイメージがないのですが、よくよく調べてみると、卍は英語では「スワスティカ」と読むんだそうです。 そしてこの言葉はサンスクリット語の「スヴァスティカ」に由来し、「幸運」とか「幸福」という意味があるんだそうです。  そしてヒンドゥー教や仏教では「吉兆」を表すシンボルとして用いられているとのこと。 中国から日本に伝わり、日本の寺院でも卍が使われるようになったんだそうです。

本堂は創建以来十数回もの火災に遭いましたが、そのたびに善光寺を慕う全国の信徒によって復興されてきました。 現在の本堂は宝永四年(1707年)の再建で、江戸時代中期を代表する仏教建築として国宝に指定されています。  間口約24メートル、奥行き約54メートル、高さ約29メートルという国内有数の木造建築で、T字型の棟の形が鐘を叩く撞木に似ていることから「撞木造り」と呼ばれています。 屋根は総檜皮(ひわだ)葺きです。  最奥の瑠璃壇には、御本尊・一光三尊阿弥陀如来様をお祀りしています。 by 善光寺HPより

今回は中には入らなかったのですが、ここにはお戒壇巡りと言いまして、真っ暗な地下通路を歩いて中にある錠前(極楽往生結縁の錠前)に触れることで、来世の極楽浄土が約束されるってことみたいです。 前にも国分寺連合の山梨旅行で甲斐善光寺に行ったときも 同じようなのをやりましたね〜。 



本堂の真裏の様子


本堂の横の姿


本堂の裏では桜が満開です

今年も2回目の花見ができました


善光寺の境内はとても広く、先程ご紹介した仁王門、山門、本堂以外にも色々な建物があります。 こちらは本堂の脇にあった「鐘楼・梵鐘」です。 こちらは重要美術品に指定されているそうです。  丁度我々が行ったときに、係員の方が鐘を撞いていましたよ。 丁度14時だったので、その合図だったのかな!? 鐘が全部で5回撞いてくれました。

嘉永六年(1853年)に再建された檜皮葺の建物で、南無阿弥陀仏の六字にちなんで6本の柱で建てられています。  梵鐘は寛文七年(1667年)鋳造の名鐘であり、重要美術品に指定されています。 毎日午前10時から午後4時の毎正時に時を知らせる鐘として、更に長野オリンピックの開会を告げた鐘として親しまれています。 by 善光寺HPより



こちらは「六地蔵」です。 小さいお地蔵さんが6体と、その左側に大きなお地蔵さんが1体鎮座していました。

宝暦九年(1759年)に浅草天王町祐昌が願主となって造立されましたが、昭和十九年に金物供出に出されてしまいました。 現在の六地蔵は昭和二十九年に再興されたものです。  六地蔵とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の6つの世界で我々衆生を救ってくださる菩薩様です。 by善光寺HPより



〜その他〜


護摩祈願受付所

延命福徳地蔵菩薩堂


一通り、仁王門から善光寺本殿までを見学してきましたが、実は仁王門よりも長野駅側にはまだ行っておりませんでした。 仁王門から長野駅方面にいきますと、仲見世通りとは異なり、お店ではなく「○○院」と書かれた古めかしい建物が並んでいました。  これってなんなんだろうと色々調べてみると、どうやら宿坊みたいですね。 善光寺には全部で39の宿坊があるそうです。 そしてそれぞれに御堂があって住職さんがいるんだそうです。 値段は一泊二食付で1万円弱とのこと。  でもお酒とか飲めなさそうだから我々向きではないね^^;