沼田公園(沼田城址)

ホテルの松乃井さんを出発したのは9:15頃。 ここから一気に南下して沼田市に入ります。 高速道路を使ったらIC1つ分の距離でしたが、ナビが一般道を案内したので、今日はゆるゆると一般道を走って沼田市に向かいました。  一般道といっても、ここら辺は信号がほとんどないから全然早いです。 9:50には目的地の駐車場に到着しました。

今日最初の観光地は「沼田公園」です。 昨日は真田家とゆかりの深い「名胡桃城址」に行きましたが、こちらの沼田公園も真田家にゆかりの深い「沼田城」の跡なんです。  こちらも名胡桃城址と同様に続100名城に登録されています。 今回の旅行でも2つの続100名城を制覇しました。 




沼田公園というのはかなり広い公園でした。 城跡をそのまま公園にしたって感じだと思いますので、確かにそれなりの広さはありますよね。 公園内には野球場も併設されていました。  さらに今日は花見ができるってことで、臨時駐車場も用意しており、更に出店も非常に多かったです。 みなかみではまだ気温が低く、桜はまだまだでしたが、沼田市まで来ると大分桜が見れるようになっていましたよ。  今年は地元では近所の公園の桜しか見ていないので、こうして良い雰囲気のところで花見ができて良かったです。  










公園内はこんな雰囲気です。 特に城跡だった・・・と思わせるようなものはないみたいですね。 奥のほうには鐘楼っていうんでしょうかね、てっぺんに鐘がある建物がありましたが、唯一あれが昔のものっぽい感じ(?)の建物でした。  でも園内には銅像が建っていたり、戦国無双(?)っていうゲームのキャラクターの真田正幸さんとか真田信繁さんが飾ってありました。 8頭身で少女漫画のような絵のやつね。 完全にチンドン屋みたいな感じですよ。  あまりに現実と違いすぎるので、ああいうのはやめて頂きたいと思います。 ちょっとバカにしすぎですよね。  



こちらの銅像は真田信之と小松姫です。 ↑の写真でぷじゃけた絵のお二人が飾ってありましたが、こういう銅像を見ると少し安心いたします。 ちなみに真田信之は、有名な真田幸村のお兄さんにあたります。  織田、豊臣、徳川の世を渡り、信濃松代藩の初代藩主となった方です。 そして小松姫はその奥方になります。 元々小松姫は徳川家康の重臣の本多忠勝の娘でしたが、徳川家康の幼女とし、真田信之に嫁ぎました。   






こちらは鐘楼です。 石垣とともに城跡であることが分かるものですね。 真田氏が沼田城主時代は場内に建てられていましたが、廃城を機に取り壊されたそうです。 しかしながら明治20年頃に当時の沼田町役場により楼が建てられ時の鐘としたそうです。  その後鐘は架け替えられましたが、戦時中に供出をまぬかれ、一時は撤去されたものの、市民からの熱望により本丸跡であるこの場所に移設され、新築されたんだそうです。  






ここの部分には石垣が残っていましたよ。 石の状態からするともしかしたら沼田城があったときの石垣かもしれませんね。 ここから下に下がる道がありまして、この先も続いているのかもしれません。  今日は下までは行かなかったのですが、なかなか見事な石積みですよね。 野面積より大分綺麗に積んであるので、打込接の石垣かもしれませんね。   










沼田公園の中には桜の木々が並んでいました。 場所によってはまだ早いかなって木もありましたが、奥にあった巨木2本は満開です〜。 いや〜これは立派な桜の木ですね〜。  樹齢も大分いっているような気がしますが、それでも非常に多くの花を咲かせています。 桜の木って歳をとると花の数が減ってくるものですが、こちらは堂々たるものですよ。  なかなか良い花見ができてお嫁さんも大満足でした。

こちらの桜の木は樹齢400年だそうです。 まだ沼田城の天守閣が5層の雄姿を誇っていたころに植えられたもので、今に残っている沼田城の形見の銘木なんだそうです。  沼田城の城郭は5代城主の信直が徳川幕府に沼田領3万石を没収され、その際に城郭は跡形もなく取り壊されたんだそうです。 しかし名城は姿を消しましたが、この御殿桜は400年の風雪に耐え、根は土塁の石垣をしっかり抱き、 春ごとに花を開き、興亡の歴史を語りつづけているそうです。  


公園の奥のほうまで行くと、なにやら「ここが本丸跡かな!?」と思うような広場に出てきました。 駐車場に車を停めたときは思いませんでしたが、ここまでくるとこの公園はかなり山の上にあることがわかります。  昨日の名胡桃城もそうでしたが、この頃の城って山城が多いんですよね。 ちなみに平城が多くなるのは江戸時代に入ってからです。

ここからの景色も最高ですね〜。 昨日行った谷川岳も見えているんでしょうか。 みなかみから大分走りましたが、ここまで来ても雪化粧の山々が見えるとは、良いところですね〜。 うらやましいです。  









こちらはやはり本丸だったようです。 ここに天守があったのですね〜。 沼田城の天守は、真田信之が慶長年間に建造したと伝えられています。 城絵図や古文書から規模は柱間で9間×10間(推定18m四方)の5層であったとされます。  天守は幕府に提出した絵図によると、天守東の石垣は堀の底から8間もの高さがあり、屋根には千鳥破風が多くみられ、最上階には高欄が巡っていた様子が分かります。 関東における5層の天守は江戸城以外は沼田城だけであったことや、 天守付近から金箔瓦も見つかっていることから、関東において沼田城は特別な城であったと考えられています。