多 賀 城 跡

青葉城址、瑞宝殿と伊達家ゆかりの史跡を観光しましたが、まだまだ史跡巡りは続きます。  お次は多賀城跡に参ります。 多賀城跡は管理人の大好物100名城の1つです。  宮城県にある100名城は2つ。 1つは先ほども観光した青葉城、そしてもう1つが 今日参ります「多賀城」なんです。 続100名城の白石城は随分前に行ったので、 宮城県の100名城、続100名城はこれはコンプリートです。 

仙台から多賀城跡までは、昨日仙台から松島に移動したときのルートそのままって感じで、 松島までの道のりの丁度中間くらいに多賀城跡があるというロケーションです。  なので、効率を考えると1日目に行ったほうが良かったのですが、やはり多賀城のために 日本三景をおろそかにすることはできませんもんね。 ということで1日目は十分に松島を堪能して、 もし時間があったら、という心持で参りました。 また2日目はゆるやかな行程にしておいたので、 時間的な余裕はバッチリです。 あとはどこまで足が持つか・・・


〜  多 賀 城 南 門  〜

多賀城跡のすぐそばには無料の駐車場がありますので、ここに車を停めて歩いて史跡に向かいます。  多賀城跡は広くて、施設が広範囲にあるので、なかなか手ごわいんですよ>_< 

まず最初にあったのはまたまた工事中の南大門??? です。  これはもともとあった門を修復しているのではなく、昔建っていた門を新たに復元する工事をしているのでした。  きっと多賀城跡を観光地化するために史跡を復元する工事をしているのではないでしょうか。  こちらの門もその1つ。 ちょっと来るのが早かったかな〜、出来上がりを見たかった^^;  


中身は見えませんが、サイズ感はかなり大きいです


〜  政  庁  跡  〜

復元中の門を過ぎ、更に奥に進みますと、広い大通りが見えてきます。  こちらもおそらく復元したものだと思いますが、かつてあった政庁に向かう道を再現したものだと思います。  かなり道幅が広く、長い大通りですね。 大通りの脇では、何やら昔っぽい建物を建築しているようです。  あれも何か復元しているんでしょうね。   


「多賀城跡」と彫られた石碑を発見


多賀城南門から政庁方面を見た大通り


政庁から多賀城南門方面を見た大通り

これは何を復元しているのでしょう。 建物に関しては説明書きの看板もないため、 情報がないのですが、左写真の石垣は奈良時代の石垣を再現したものなんだそうです。 写真の石垣は新しいものですが、発掘調査で発見された本物の石垣は地下に保存されているんだそうですよ。  しかし工事の規模を見ますと、すんごいお金をかけているな〜というのは分かりますよね。  南門の復元といい、この施設の復元といいかなりのビッグプロジェクトが動いていますね。  





大通りの脇には写真のように石が敷き詰められている場所がありました。 こちらは路面に穴を掘って石を詰めた排水用の桝なんだそうですよ。 雨水は道路側溝から瓦うを並べた暗渠を伝ってこの桝に落とされ、更に地下に設けられた暗渠を通って西側の低湿地に排水されました。  ここから多賀城の創建年代を裏付ける木簡などが出土したんだそうです。  





大通りを進んでいった先に政庁の復元模型がありました。 なるほど〜昔の政庁はこうなっていたのか〜。  ちなみに「多賀城跡」という言葉を聞くと、戦国時代にあった有名な武将の居城だろうと思いがちですが、 時代背景は戦国時代ではなく、奈良時代です。 こちらは日本三大史跡にもなっている古のお城跡なんです。

多賀城跡は奈良時代から平安時代に陸奥国府や鎮守府が置かれ、11世紀中頃までの東北地方の政治・軍事・文化の中心地だった場所です。  写真の模型は第U期(8世紀後半)の姿を推定復元したものです。 主要な建物である正殿、東・西脇殿、南門のほかに、東・西楼と後殿が阿多らに建てられ、広場は石敷きになります。  南門の左右には翼廊が付き、築地塀には東・西殿や北殿などの装飾的な建物が付け加えられています。  



模型の前には先ほど復元工事をしていた「南門」跡があります。 復元している場所はホントにあった場所ではなく、300mほど離れたところにあります。 南門跡の先は政庁跡になっています。  政庁・南門間は大規模に造成された直線的な道路で結ばれており、多賀城内のメインストリートだったそうです。 建物の北側の石組溝の石は当時の実物だそうです。  



青葉城址に続いて、またまた礎石がありました。  こちらは政庁のあった建物の礎石を復元したもののようです。  いくつかのエリアに分かれていますね。 

最初の写真は政庁の中心となる建物の跡です。 礎石式の四面廂付建物で、その南は石敷きの広場となっていました。 現在は建物の基壇のみを復元表示していますが、礎石の一部は当時の実物を使用しています。   
















〜  多 賀 城 碑  〜

そういえば、復元中の南門の脇に「多賀城碑」という看板があったような。  せっかく来たのですから、見逃しはしたくないですよね。  でもさして興味のないお嫁さんは足が終わったこともあり、管理人を置いて車に直行しておりました。  管理人は頑張って碑まで来ましたよ〜。 しかも坂でしたよ〜。 足が終わりましたよ〜。 

碑は高さ248cm、最大幅103cmで、花崗岩質砂岩という非常に硬い石材を用い、碑面のみ平らに加工されています。  ほぼ真西を向き、下部を約50cm埋めた状態で垂直に立っています。  首部に「西」の一字があり、その下、縦122cm、横79cmの範囲を細い線で囲んだ中に11行にわたって140の文字が彫られています。  最初の5行は箇条書きで、京(平城京)、蝦夷国、常陸国、下野国、靺鞨国から多賀城までの距離が記されています。  当時の1里は約535mで、換算するとそれぞれ約800km、64km、220km、147kmとなります。 靺鞨国界からの距離三千里は実数ではなく、遠いということを示す数字と考えられます。  次の5行が本文で、前段には神亀元年(724)、大野朝臣東人が多賀城を設置したことが、後段には、天平宝字 6 年(762)藤原恵美朝臣朝かりが多賀城を修造したことが記されています。  


こちらが多賀城碑の石碑


多賀城碑が納められている建物


多賀城碑の裏側


〜  多 賀 城 跡 あ や め 園  〜

先ほどの多賀城碑はこんもりした丘の中腹にあったのですが、ここから駐車場までもと来た道を 戻るのはさすがにチビシ〜! 一か八かで山を登ってショートカットで駐車場に直行じゃ〜!  と目の前にお花畑が。 こちらも実は多賀城跡の施設の一つ。  さきほど車では通りがかったのですが、もう足が終わっていけないと思っていたところ、 思いもかけずたどり着くことができました。 しかも駐車場もすぐそば〜! ラッキ〜。

多賀城跡の一角に位置する多賀城跡あやめ園には、約2万1千平方メートルの敷地に、800種300万本のアヤメ、カキツバタ、ハナショウブが植栽されています。毎年6月中旬から6月下旬には、「多賀城跡あやめまつり」が開催され、 期間中の週末には、ステージイベントや野点、こども向けの体験コーナーなど様々なイベントが開催されます。