三 十 三 間 堂

清水寺はとても良かったんだけど、ちょっと混みすぎだね^^; まぁゴールデンウィークなんだからしょうがないですが・・・ 清水寺から最後の目的地、三十三間堂までは急行バスで向かいます。  この清水寺の前の通りはメチャメチャ渋滞しています。 マイカーで清水寺に行こうとしている人も多いですし、観光バスの数も今までで一番多いですよ。 そんなことで2車線の内、1車線がつぶれてしまい 渋滞になっているみたい。 普段の清水寺のバス停はもう少し寺に近いところにあるそうですが、ゴールデンウィーク中だけは、渋滞を避けるために100m位手前に移動させているんだそうです。  もちも渋滞なら、バスの車内も鮨詰めです>_< 停留所で待ってて最初に来たバスには乗りきれなくて、あえなく次のバスで行きました。 そのバスもギリギリで乗れたって感じだったです。 いやはや 恐るべしゴールデンウィーク&清水寺です。

バスでギュゥギュゥになりながら、なんとか三十三間堂に到着〜。 お〜〜、ここ、ここ!! 走って観光した光景が鮮明によみがえってきますよ。 確かあのときは、最初の10歩位は歩いて見ていたのですが、 時計を見たら時間が無いことが判明し、そこからジョギングするように三十三間堂を駆け抜けていきました。 一通り、仏像を見ると、裏手の方から出ていくのですが、裏手のほうは猛ダッシュになっていたの でした^^; もはや観光とは言えないね>_< 今日はじっくりと見ていこうと思います。 良く見ると、仏像の表情や装飾は1体1体異なるんですよ。 仏像の数は1001体と言いますから、その数分だけ 色々な表情が表現されているのですね。 ちなみに真ん中に本尊が鎮座し、その両脇に500体づつの仏像が並んでいます。 これとは別に28部衆の仏像もあるのですが、個人的にはこれが非常に 好きなんですよね〜。



三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)は京都市東山区にある仏堂。 建物の正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)。 同じ京都市東山区にある天台宗妙法院の境外仏堂であり、同院が所有・管理 している。 元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂で、本尊は千手観音である。 堂内中央にこの丈六坐像の本尊をまつり、左右の内陣にはそれぞれ十段の階段に50体ずつの千手観音立像、計千体が並ぶ。 by wikipedia

写真は本堂の丁度中間部分にある縁側というか入口のようなもので、少し広がりになっているところです 中からここに入れるようになっているのですが、丁度一番真ん中の本尊様のあたりに外に出れるところがあります。 ここの扉をくぐりますと、 また寝そべることができる縁側みたいになっています。 意識的に遅く歩いていたことで、再度足が終わってしまいました>_< 足のビリビリが止まらないので、またここで寝そべって休憩することにしました。 しかし今日もいい天気。  こんなに風通しが良くて心地よいところに寝そべっていたら間違いなくダウンしてしまいますよ。 でも非常に気持ちいい〜^^


〜 三 十 三 間 堂 内 部 〜

入口でチケットを購入し、中に入ります。 でも残念ながら、仏像の間も撮影禁止になっていましたぁ。。。 これは写真撮りたかったな〜。。。 入口から入ると、整然と並んだ仏像の数に圧倒されますね。 1体1体表情も異なり、 それを1体づつ見ていると何時間あっても足りない位。 以前のジョギングで館内を廻った思い出があったので、思いっきりゆっくり見て回ることにしました。


三十三間堂の入り口です。


こちらがチケット売り場です。


チケットをご購入〜。


中に入り通路を抜けると仏間になります。



〜 仏 像 前 衛 的 ア ー ト 〜

ここはホントに撮影したかった。。。 もう京都は撮影禁止のところが多すぎですよ。 こんなに1つの旅行の中で、前衛的アートを連発したのは今回が初めてじゃないでしょうか。。。 まぁでも前衛的アートも久々なので良しとしましょう。

左右、計千体の等身観音立像に囲まれて、お堂中央に安置されるのが丈六の坐像で「中尊・ちゅうそん」と呼びます。広々とした空間の巨像は、像高が3メートル余、檜材の寄木造りで全体に漆箔が施されています。 42手で「千手・せんじゅ」を 表わす通例の像形で、鎌倉期の再建時に、大仏師湛慶(たんけい)が、同族の弟子を率いて完成させたものです。 像全体の均整が保たれ、厚ぼったい感じのする一種の張りのある尊顔や、温雅な表情は湛慶の特徴的作風とされ、観音の慈徳を余す ところ無く表現しています。 84才で亡くなる湛慶が、その2年前に完成した鎌倉後期を飾る代表的作品です。

前後10列の階段状の壇上に整然と並ぶ等身大の1000体の観音立像は圧巻で、堂内は、さながら“仏像の森”、三十三間堂ならではの特徴です。 各像は、頭上に十一の顔をつけ、両脇に40手をもつ通形で、中尊同様の造像法で作られています。  千体の中、124体は、お堂が創建された平安期の尊像、その他が、鎌倉期に16年かけて再興された像です。 その約500体には作者名が残され、運慶、快慶で有名な慶派をはじめ、院派、円派と呼ばれる当時の造仏に携わる多くの集団が国家的規模で 参加したことが伺えます。 また、観音像には、必ず会いたい人に似た像があるとも伝えられています。




〜 三 十 三 間 堂 の 外 の 様 子 〜

1000体の仏像を堪能した後は、今度は三十三間堂の外側を見学します。 しかし長〜い建物ですよね〜! こんなに縦長な歴史上の建物ってそうはないと思いますよ。  この長さを利用してか、ここは「通し矢」の射場になっていたそうです。

江戸期、尾張・紀州両藩による通し矢「天下一」の争奪戦は民衆の評判となりました。 縁側の柱や軒に残る鉄板は、雨あられと飛びくる矢から御堂を守るために徳川第三代将軍家光が付加したものです。  西縁の南端から北端へ、一昼夜24時間矢を射つづけるという「大矢数」は身命を賭けた壮絶な協議で、江戸時代を通じて約800人がこれに挑み、時々の思いを乗せて放たれた矢数も延べ100万本に達すると伝えられています。 毎年正月にはこの 古儀に因む弓道大会が行われ、全国から約2000人が参加し、終日賑わいを見ます。


ものすごく長いですね〜


横から見るとこんな感じです。 横から見ると普通ですね。