永観堂は思いのほか良かったですよ。 管理人的には大満足! お次は南禅寺に向かいます。 観光ブックを見ても、永観堂と南禅寺はセットで書いてあるものが多いです。 バスの路線図を見ても
セットで書いてありました。 永観堂から南禅寺までは、徒歩で移動します。 永観堂を出て歩く事10分位でしょうか。 先程の永観堂よりも観光客が多いみたいですね。 って先程銀閣寺で
写真を撮ってあげた白人カップルともすれ違いました。 やっぱり銀閣寺、永観堂、南禅寺のルートは定番のようですね^^
寺というのは色々なところに門があって、敷地に入れるようになっていますが、歩いているときに「南禅寺⇒」って書いてあったので、そっちに行ってみたら寺の横のほうから入っちゃったですよ。 なんとなくではありますが、寺や神社に入るときは正面から入りたいような気がする(管理人だけ!?)ので後でもう一度入り直しておきましたよ^^ |
南禅寺 (なんぜんじ)は、京都市左京区南禅寺福地町にある、臨済宗南禅寺派大本山の寺院である。 山号は瑞龍山、寺号は詳しくは太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)である。 本尊は釈迦如来、開基(創立者)は亀山法皇、開山(初代住職)は無関普門(大明国師)。 日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺のなかで 最も高い格式をもつ。 by wikipedia |
南禅寺の建立以前、この地には、後嵯峨天皇が文永元年(1264年)に造営した離宮の禅林寺殿(ぜんりんじどの)があった。 「禅林寺殿」の名は、南禅寺の北に現存する浄土宗西山禅林寺派総本山の禅林寺
(永観堂)に由来する。 この離宮は「上の御所」と「下の御所」に分かれ、うち「上の御所」に建設された持仏堂を「南禅院」と称した。 現存する南禅寺の別院・南禅院はその後身である。
建武元年(1334年)、後醍醐天皇は南禅寺を五山の第一としたが、至徳3年(1385年)に足利義満は自らの建立した相国寺を五山の第一とするために南禅寺を「別格」として五山のさらに上に位置づけ、 京都五山と鎌倉五山に分割した。 明徳4年(1393年)と文安4年(1447年)に火災に見舞われ、主要伽藍を焼失したがほどなく再建。 しかし応仁元年(1467年)の乱(応仁の乱)における市街戦で伽藍をことごとく焼失してからは再建も 思うにまかせなかった。 南禅寺の復興が進んだのは、江戸時代になって慶長10年(1605年)崇伝が入寺してからである。 崇伝は徳川家康の側近として外交や寺社政策に携わり、「黒衣の宰相」と呼ばれた 政治家でもあった。 また、幕府から「僧録」という地位を与えられた。 これは日本全国の臨済宗の寺院を統括する役職である。 by wikipedia |
南禅寺の三門。後程詳しくご紹介します。 ちなみに三門の上の方まで上れるんですよ。 |
本坊の左手には唐破風の大玄関があります。 この大玄関は特別な行事の時にのみ使用されます。 |
こちらが法堂です。法堂は法式行事や公式の法要が 行われる場所であり、南禅寺の中心となる建物です。 |
法堂を横から見るとこんな感じです。内部には 須弥壇上中央に本尊釈迦如来、右側に獅子に騎る文殊菩薩 左側に象に騎る普賢菩薩の三尊像を安置しています。 |
あれあれ、なんだこれ。 なにやら寺院とは似つかわしくないレンガ作りの橋が現れました。 しかも結構皆さん記念撮影していますよ。 これって有名なんでしょうかね〜。 お嫁さんに聞いたら、
テレビの撮影でも使われていることがあるとか。 確かに何とか殺人事件というドラマの冒頭で誰かが殺されていそうな雰囲気しますもんね^^; 管理人はこんなのがあるなんて知らなかったのですが、
歴史上こういう建物は大体水道だと思っていたら、やっぱり合っていました。 この水道、元はどこから来ているのかと思ったら、帰りに利用した地下鉄東西線の蹴上駅のほうまで延びていました。
明治維新後に建設された、当寺の境内を通る琵琶湖疏水水路閣はテレビドラマの撮影に使われるなど、今や京都の風景として定着している。 建設当時は古都の景観を破壊するとして反対の声もあがった一方で、 南禅寺の三門には見物人が殺到したという。 維新直後には政府の上地に遭い寺領の多くを失ったため廃絶に追い込まれた塔頭も少なくなかったが、その跡地は邸宅地として再開発され、そこには植治こと 小川治兵衛により疎水から引き込んだ水流を主景とする数々の名庭園が造られ、いまなお貴重な空間として残っている。 by wikipedia |
こちらが疏水です。急に寺院の横にこんなのが 出てくるから本当にビックリします。 でもこのアンマッチ感が素敵です。 |
下の方から見るとこんな感じです。こういう 赤レンガ作りの建物ってやっぱり明治時代の 感じがしますよね。とても趣があります。 |
橋脚の中央から覗くとこんな感じです。 柱の間から顔を出して記念撮影している人が 多かったですよ。家もお嫁さんを写しておきました。 |
横から見るとこのような感じ。説明のように 本当に何とか殺人事件に出てきそうな雰囲気ですよ。 |
南禅寺って言ったら、このデカイ門が有名ですよね。 しかし目の前で見ると本当にデカイ! しかも良く見ると、門の上の方で人が歩いているのが見えますよ! これは我々も後で登るしかないですね!!
歌舞伎の『楼門五三桐』(さんもんごさんのきり)の二幕目返しで石川五右衛門が「絶景かな絶景かな……」という名科白を廻す「南禅寺山門」がこれである。 ただし実際の三門は五右衛門の死後30年以上経った 寛永5年(1628年)の建築。 五間三戸(正面柱間が5間で、うち中央3間が出入口)の二重門(2階建ての門)。 藤堂高虎が大坂夏の陣で戦死した一門の武士たちの冥福を祈るため寄進したものである。 上層は「五鳳楼」といい、釈迦如来と十六羅漢像のほか、寄進者の藤堂家歴代の位牌、大坂の役の戦死者の位牌などを安置する。 天井画の天人と鳳凰の図は狩野探幽筆。知恩院三門、東本願寺御影堂門とともに、 京都三大門の一つに数えられている。 by wikipedia この門に登るには500円必要です。 料金を払うとすぐ右側に、急な階段があります。 城の階段も結構急ですが、それと同じ位級ですよ。 手すりにつかまりながらでないと恐いくらい。 特に重量級の 管理人が途中で落ちたら、間違いなく下にいた人は即死間違いなしです。 急な階段を登りきると、そこには確かに絶景かな、絶景かな〜 遠くが見渡せますよ〜。 ここから見る法堂もいいですし、 京都市街も綺麗ですね〜。 ここにも腰を下ろしてゆっくり景色を楽しめることができたので、管理人も座ってすばらく終わった足を休めることにしました。(目的が違う・・・) |
先程も紹介しました、三門の正面です! メチャメチャでかいです。 |
門の中は土足厳禁!下駄箱に靴をしまい、 こちらの階段を上っていきます。かなり急ですよ。 |
階段を上りきると、このような廊下が一周しています。 足が疲れたので、途中で座って休憩〜 |
三門から天授庵と呼ばれる建物を臨む。 |
三門の正面から法堂を臨む。 |