永  観  堂

銀閣寺に来たんだから、すぐ近くにある永観堂、南禅寺も見ていこう! ということで、「銀閣寺道」というバス停から再度バスに乗って約5分位のバス停で途中下車。 そこから15分位歩くと永観堂に到着します。  永観堂って管理人はあまり知らない所だったのですが、紅葉で有名なところなんだそうですよ。 ここもやっぱり観光バスルートに入っていないのか観光客はまばらでした。 でも非常に落ち着いた 雰囲気のお寺ですね〜。 建物の背後には山がそびえていますが、この山の斜面なども利用して建物が建っていました。 敷地も結構広くて、紅葉の木が立ち並んでいます。 新緑の紅葉もなかなか良いものです。



禅林寺(ぜんりんじ)は、京都市左京区永観堂町にある浄土宗西山禅林寺派総本山の寺院。 一般には通称の永観堂(えいかんどう)の名で知られる。 山号を聖衆来迎山(しょうじゅらいごうさん)、院号を 無量寿院と称する。 本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は、空海の高弟の真紹僧都である。 当寺は紅葉の名所として知られ、古くより「秋はもみじの永観堂」といわれる。 また、京都に3箇所あった勧学院 (学問研究所)の一つでもあり、古くから学問(論義)が盛んである。 bu wikipedia

↑の説明にもあるように紅葉が非常に綺麗ですね〜。 今は初夏ということで紅葉はしていませんが、青々とした紅葉の葉も綺麗です。 ところどころに品種が違うのか、赤い色をした紅葉もありました。  きっと秋になると、紅葉の色で燃えるような景色になるのでしょうね〜。 でもいくら紅葉で有名だからと言って、お寺さんの名前が書いてある石碑が紅葉に隠れて字が読めないよ^^;


〜 永 観 堂 外 観 等 〜

禅林寺は空海(弘法大師)の高弟である僧都・真紹が、都における実践道場の建立を志し、五智如来を本尊とする寺院を建立したのが起源である。 真紹は仁寿3年(853年)、歌人・文人であった故・藤原関雄の 邸宅跡を買い取り、ここを寺院とすることにした。 当時の京都ではみだりに私寺を建立することは禁じられており、10年後の貞観5年(863年)、当時の清和天皇より定額寺としての勅許と「禅林寺」の寺号を 賜わって公認の寺院となった。

当初真言宗寺院として出発した禅林寺は、中興の祖とされる7世住持の律師・永観(1033年 - 1111年)の頃から浄土教色を強めていく。 永観は文章博士の源国経の子として生まれ、11歳で禅林寺の深観に 弟子入りする。 当初、南都六宗のうちの三論宗、法相宗を学ぶが、やがて熱烈な阿弥陀信者となり、日課一万遍の念仏を欠かさぬようになる。 師深観の跡を受けて禅林寺に入るのは延久4年(1072年)のことである。  永観は人々に念仏を勧め、また、禅林寺内に薬王院を設けて、病人救済などの慈善事業も盛んに行なった。 永観は、今日の社会福祉活動の先駆者といえるであろう。 禅林寺を永観堂と呼ぶのは、 この永観律師が住したことに由来する。 なお、「永観堂」は普通「えいかんどう」と読むが、「永観」という僧の名は「ようかん」と読むのが正しいとされている。 by wikipedia


こちらが永観堂の中門です


こちらは御影堂(大殿)と呼ばれる建物です。


大玄関です。ここが堂内見学のスタート地点です。


唐門と呼ばれる門です。石庭には門はつきものなんですね。


永観堂敷地内はこのような紅葉の小路で繋がっています。


多宝塔という建物。ここに行くには階段を結構上ります。


多宝塔から京都市街がよく見えますよ〜^^


多宝塔を外から見るとこんな形をしています。


開山堂です。火災報知器がちょっとショックです>_<


こちらが阿弥陀堂という本堂になります。



〜 永 観 堂 内 部 〜

こちらも中を拝観できるみたいです。 最初は寺の外観を見て、紅葉を見て時間的にもそんなにかからないのかな〜と思っていたのですが、結構見るところが多かったですよ。 御影堂、阿弥陀堂も外観だけでなく、 中を歩いて見ることができます。

まず最初に見えたのが中庭です。 中庭にはやはり紅葉があり、なかなか落ち着いた感じになっています。 こんな中庭だったら一家に一台欲しいところです。 ここも縁側があったので、そこに腰かけてしばらく 中庭を眺めていました。(・・・というのは表向きで、管理人はすでに足が終わりかけていたのでした。。。orz)


まず中に入るとこのような木の通路があります。
次の写真でご紹介する中庭を取り囲むように続いています。


外の景色に見えるかもしれませんが、
こちらが中庭です。紅葉がとてもきれいです。


こちらが御影堂の正面です。



廊下に「水琴窟」というのがありました。
真ん中に水を垂らすと琴のような音が聞こえます。


開山堂への階段です。もう足終わってる〜>_<
もう階段嫌だけど見ないで後悔するほうが嫌なので
歯を食いしばって上りきりましたよ。


最終地点阿弥陀堂まできました〜。
内部は撮影禁止だったので、↓で前衛的アートを
炸裂させたいと思います!!



〜 阿弥陀如来像(みかえり阿弥陀) 〜

寺院内にはいくつかの仏像が祭られていました。 中でも少し変わっているのが、首が横を向いた観音様なんです。 この観音様の部屋では正面から見るのではなく、ちゃんと横からも観音様を見ることができるように なっていました。 観光客の人も正面から見たり、横から見たり行ったり来たりしている人もいましたよ。

禅林寺の本尊阿弥陀如来立像は、顔を左(向かって右)に曲げた特異な姿の像である。 この像については次のような伝承がある。 永保2年(1082年)、当時50歳の永観が日課の念仏を唱えつつ、 阿弥陀如来の周囲を行道していたところ、阿弥陀如来が須弥壇から下り、永観と一緒に行道を始めた。 驚いた永観が歩みを止めると、阿弥陀如来は振り返って一言、「永観遅し」と言ったという。  本寺の阿弥陀如来像はそれ以来首の向きが元に戻らず、そのままの姿で安置されているのだという。  by wikipedia


必殺の前衛的アート再び!



〜 永 観 堂 庭 園 〜

永観堂の内部の拝観は思ったよりもずっと時間がかかりましたね。 見応えバッチリって感じです。 何か昨日から寺を見て廻っていますが、すごく自分の心が落ち着いていくような気がしますよ。  ちょっと最近ストレスが溜まりすぎて、外面は温和に見える管理人の心はジャックナイフのようになっておりましたが、この京都旅行で寺院や仏像を見る内に「まぁいいじゃないか。。。」と仏の心のように なってきました(?)

内部の拝観の次は、今度は永観堂の外を見て回ります。 道順を見ると、金閣寺や銀閣寺と同様に、少し小高い山に登ったり、池の周りを散策したりという感じ。 外に出ると紅葉の色々な顔を見ることができます。  池と紅葉のハーモネー、橋と紅葉のハーモネー、寺社と紅葉のハーモネー。 これは秋にもう一回来てみたくなりますね〜。


御影堂正面にある極楽橋から放生池を臨む。


弁天島が池の中央にあります。


弁天島までこのような石の橋を使って渡ります。


弁天社に到着しました〜。でももうお賽銭ないm(_ _)m


久々のバードウォッチング!弁天社の脇にカモが!


弁天島から極楽橋を臨む。


放生池の周りも紅葉で埋め尽くされています。


「晶子歌碑」有名な与謝野晶子さんの歌です。