二  条  城

今日の目的地はあと1つ。 こちらも以前から訪れたかった二条城です。 先程の北野天満宮からバスで地下鉄東西線の西大路御池駅まで向かい、そこから地下鉄で二条城前まで行きました。  東西線というのは烏丸線に比べて新しい線なのでしょうか。 駅にはホームと列車を隔てる壁があって、さながら東京メトロの南北線のような感じになっており、ホームからの転落を防止する 構造になっています。 調べてみると、一番最初に開通した区間は1997年開業ということなので、そんなに新しくはないですが、その後も2004年、2008年と徐々に路線を拡大しているようです。  今回の二条城前駅は新しいほうの駅なんですね。

地下鉄を降りると、目の前に二条城のお堀が見えます。 これが二の丸なんでしょうか。 正面の門の脇にチケット売り場があり、その先に正門があります。 なんちゅう立派な門なのでしょうか〜。  さすが徳川の城ですね! 二条城は歴史上にも非常に重要な意味を持っているお城なんです。 城の天守は雷による火災で消失し、再建されないままでいますが、二の丸御殿は現在も健在です。  関ヶ原の戦いの後、ここで徳川幕府が正式に始まったのですよね。 また幕末、ここで徳川慶喜が大政奉還をしたことでも有名です。 つまり徳川幕府が生まれた場所でもあり、終わった場所でもあるという ことです。 そんな場所にこれから入れるなんて気分はフワフワ、ワウワウ、ニコニコ、プン(しつこい)です。



二条城は京都市中京区二条通堀川西入二条城町にある江戸時代の城である。 京都市街の中にある平城では足利氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏によるものがあるが、現在見られるものは、徳川氏によるものである。  城跡全体が国の史跡に指定されている他、二の丸御殿が国宝に、22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画計1016面が重要文化財に、二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されている。  さらに1994年(平成6年)にはユネスコの世界遺産(世界文化遺産)に「古都京都の文化財」として登録されている。

徳川家康が二条城の造営に着手したのは慶長6年(1601年)であるが、現存する二の丸御殿の建物群はその20数年後の寛永期に大改修されたものである。 後水尾天皇の二条城行幸に備えて、寛永元年(1624年)から 御殿の大改修が始まり、同3年(1626年)に完成した。 二の丸御殿が寛永期に新築に近い改修を受けていることは川上貢らの調査で判明しており、建物内の障壁画についても寛永期の作であることが土居次義、 武田恒夫らの研究で明らかになっている。 by wikipedia

管理人は知らなかったのですが、先の説明の通り「二条城」と呼ばれるものは複数あったそうです。 @室町幕府第13代将軍・足利義輝の居城。 A室町幕府第15代将軍・足利義昭の居城として、 織田信長によって作られた城。二条通からは遠く離れていた。 B織田信長が京に滞在中の宿所として整備し、後に皇太子に献上した邸「二条新御所」。 C徳川家康が京に滞在中の宿所として造った城。  お分かりの通り、現在の二条城はCのものとなっています。


〜 東 大 手 門 〜

こちらが二条城の入口です。 とても立派な門ですね〜。 やはり京都にあっても「城」と名前が付いているだけあって、門自体もゴツイですよ。 今は、門が開いているのであまり圧迫感を感じることも ないですが、丁度我々が出るときには、すっかり門が閉まっておりました。 閉ざされた門は何人たりとも中へは入れさせないという威圧感を感じます。 さすが徳川の城だな〜と感服いたしました。

外部との出入り口としての城門は東西南北に1つずつある。 ただし、南門は1915年(大正4年)に大正天皇の大典に備え新たに造られたもので、本来の城門ではない。 正門は堀川通に面した東大手門(櫓門)である。  西門(埋門)と前述の南門は外堀を渡る橋がなく使用されていない。 北大手門(櫓門)も普段は閉鎖されている。 また、この他に城内には5つの城門がある。 二の丸を東西に分ける北中仕切門と南中仕切門、 二の丸と本丸を結ぶ通路への入り口となる鳴子門と桃山門、その通路から内堀を渡った本丸への入り口となる櫓門である。 なお東大手門は現在創建時と同じく櫓門となっているが、後水尾天皇の行幸を仰ぐ際、 上から見下ろすのは不敬として一重門に変えられた。行幸後には再び櫓門に戻された。 by wikipedia


開いた状態の門


閉まった状態の門



〜 唐  門 〜

門をくぐり少し歩くと、二の丸御殿が見えてきます。 二の丸御殿に入る前には門があるのですが、これが正門とは違い非常に装飾が綺麗な門なのですよ。 やはり城と言っても京都の雰囲気があるんだな〜と 思います。 だって他のにこんな門が城の中にあるのって見たことないもんね。 しいて言うならば沖縄の首里城でしょうか。 でも首里城は日本の文化というより大陸の影響を大きく受けている 城なので、ちょっと比較するには無理があるかなと。。。 やっぱりこのような城は二条城だけなのかもしれませんね。


正面からの唐門


後ろから見た唐門



〜 二 の 丸 御 殿 〜

どうでしょう〜。 これがよくテレビなどでも見かける二の丸御殿です。 城の中にこのようなお屋敷がある城は結構多いですが、そのほとんどが近年建て直して再現したものばかり。 当時のままでこのような 大きな屋敷はあまり見たことがありません。 歴史ある屋根や壁を見ていると、将軍が朝廷の使者に謁見したり、諸大名が将軍に謁見したりしている光景が目に浮かぶようです。

二の丸の中心的建造物である二の丸御殿は、東大手門から入って正面の西方に建つ。 御殿は築地塀で囲まれていて、正門である唐門は塀の南側にある。 それをくぐると正面に二の丸御殿の玄関にあたる「車寄」 (くるまよせ)が見える。 二の丸御殿は手前から順に「遠侍」(とおざむらい)、「式台」(しきだい)、「大広間」、「蘇鉄の間」、「黒書院」(くろしょいん)、「白書院」(しろしょいん)と呼ばれる 6つの建物が雁行に並び、廊下で接続され一体となっている。 大広間の西側、黒書院の南側に日本庭園がある。 遠侍の北側には「台所」と配膳をするための「御清所」と呼ばれる建物がある。 by wikipedia


二の丸御殿の正面です。



二の丸御殿は中を見学できるようになっているのですが、なななんと〜! 大徳寺の本坊に引き続き、ここも撮影禁止〜!? これじゃぁまた取材できないじゃないですかぁ。。。 ということで、 今回は間違えてシャッターを押してしまった画像と、管理人の前衛的アートをご紹介します〜。


二の丸御殿の内部の天井



二の丸御殿の内部の廊下



大広間に人形があり、当時の様子を再現しています。




二の丸御殿の横のほうには見事な庭園が広がっています。 今日は大徳寺や金閣寺、龍安寺などで庭園も見てきましたが、どこの庭園よりも優雅な気がしましたね〜。 やはり広い敷地の城にあると思い込んでいるから そう感じるのかもしれませんが、狭いところに色々なものが置いてあるという感じではなく、物体がゆっくり伸び伸びと鎮座しているって感じでしょうか。 なかなかボキャブラリーが少なく、適切な表現が できませんが、皆様も写真を見ながら想像してみてください。


二の丸御殿の奥の方の建物だと思います。



「二条城二の丸庭園」の文字があります。



幕末の政変の時期に連絡用に使われた釣鐘です。



見事な庭園




〜 天  守  跡 〜

本丸を渡りしばらく歩くと、天守の跡地が見えてきます。 勉強不足で天守はまだ存在すると思い込んでいたのですが、焼失してしまってないんですね・・・ 京都付近は大東亜戦争期で空襲を受けていないと思って いたから、てっきりあると思っていましたよ。 でも途中にあった立て看板を見てみると雷直撃で家事になっちゃったみたい。 なるほど、そういうことだったのか〜。 でも何故天守を再建しなかったので しょうね。。。 不思議です。


二の丸から本丸へと移動します。


こちらが本丸のお堀です。鯉が沢山いました。


天守への階段。結構急勾配ですよ。


城壁です。これは何積みというのでしょうね〜



天守に向かう階段はあまり高くなく30段位の簡素なものでした。 1段1段がちょっと高めの石段を上がっていくと、そこから京都市街が一望できます。 天守って言ってもそんなに面積は広くないです。  名古屋城や大阪城などの大きな城を思い出す方もいらっしゃるかもしれませんが、大きさで言うと国宝の「犬山城」位の小さなものでした。 個人的な想像ですが、この城の一番の目的は城を守ることではなく、 日本を統一した徳川が武家としての体面を保ちつつ権勢を世に広め、そして政治的な要所として天守よりも二の丸御殿をメインにした城としたのではないかな〜と思ったりしていました。


天守跡にはベンチなどもあり、休憩することができます。


天守からお堀を撮影〜


遠くに見えるのは先程の二の丸御殿かな!?


向こうに橋も見えますね。



〜 本 丸 御 殿 〜

天守を見終わった後は、本丸御殿です。 本丸御殿は館内の見学ができなかったので、外観のみの見学となります。 ↓にも説明書きましたが、この本丸御殿って外から移築されたもので、本来の二条城とは 全く関係ないんだって!? なんでそんなことしたのでしょうね〜。

本丸御殿は御所の北にあった旧桂宮邸を1893年(明治26年)から1894年(明治27年)にかけて移築したもので、徳川家の二条城とは本来無関係の建物である。 過去には春と秋に期間限定で公開されていたが、 耐震性の不足が判明したため2007年(平成19年)春を最後に公開を中止して以降、内部は公開されていない。 もともとあった京都御苑内の敷地には、築地塀と表門と勅使門、また庭園や池も現存している。




本丸御殿を通り過ぎ、入口とは反対側の本丸の外周を歩いて正門に向かいます。 花なども綺麗に咲いており、散歩をするにも最適な小路ではないでしょうか。 ここで集合写真を撮っている方も多くいました。  でもすでに管理人もお嫁さんも、足が終わってしまっています。。。 ここまでなん〜とか歩いてきたって感じね>_<


先程、天守から見えた橋かな。本丸から二の丸に移動します。


東大手門までこのような小路が続きます。


見事な石塀ですよね〜。


加茂七石という庭園です。


やっぱり京都って紅葉が多い^^


北中仕切門をくぐって清流園に入ります〜


清流園の中央にある香雲亭です。


また庭園がありました!これもいい感じですね〜



 門を出る前に、お土産物屋さんがありました。 二条城グッズなども売っていましたが、 大体購入しているのは中国人か韓国人か白人の方なのね^^; 日本人が購入しているものは、ジュースとかお茶とか水のペットボトル^^ 今日は多分管理人は10リットル位の汗をかきましたよ。  もうTシャツに塩が浮いてしまって、縞々になっていましたもん。 ということで、お土産物屋さんに座るところがあったので、ここでも小休止〜^^





〜 東 南 隅 櫓 〜

二条城を堪能し、地下鉄の駅に向かおうとしたら、外から東南隅櫓を見ることができました。 なにやらよ〜やく城らしい建物を見た感じがしますね。 きっと焼失した天守もこんな感じの雰囲気だったのかもしれませんね^^  二条城には寛永期に建てられた隅櫓が本丸や二の丸の隅にありましたが、天明8年の大火の際に多くの櫓が焼失してしまい、今はこの東南隅櫓と西南隅櫓が残っているだけなんだそうです。