北 野 天 満 宮

龍安寺で念願の石庭の取材をすることができたので、お次は元々行く予定だった北野天満宮に向かいます。 バスの路線図を見ると、龍安寺から北野天満宮は少し行きずらい感じですね。  1回バスで乗り換えをしないといけないみたい。 しかもこの付近はバスの本数も粗くて、なかなかお目当てのバスが来ません。 ということで、北野天満宮の目の前までは行かないけど、別系統の 近くまで行くバスに乗って移動しました。 でもバス停を降りてもどちらに向かって歩けばよいのか全然分からな〜いっ! 街の方に道を尋ねて、ようやく到着することができました。  道を教えて下さった見知らぬご婦人に感謝 m(_ _)m

基本的に京都を回る上では、バスのフリーパスを購入したときに一緒に頂ける路線図があれば、充分事足ります。 でも今回のように目の前のバス停まで行かないようなときはちょっと苦労しますね。  路線図はバスのルートを中心に書いてあるので、バス停と目的地との距離感や位置関係が微妙に異なるんですよねぇ。。。 今回の目的地は有名だったので、地元の方に聞いたり、途中にあった交通標識を頼りに 無事到着しましたが、ちょっとマイナーなところに行こうとすると迷ってしまうかもしれません。 やはり保険という意味でもちゃんとした地図を持っていたほうが良いかもしれませんね。



北野天満宮は、京都市上京区にある神社。 旧称は北野神社。 二十二社(下八社)の一社。 旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。 神紋は「星梅鉢紋」。  通称として天神さん・北野さんとも呼ばれる。 福岡県の太宰府天満宮とともに天神信仰の中心で、当社から全国各地に勧請が行われている。 近年は学問の神として多くの受験生らの信仰を集めている。  by wikipwdia


〜 正 面 の 鳥 居 〜

少し離れたバス停で下車し、歩く事約10分強。 ようやく北野天満宮の鳥居が見えてきました。 結構大きな鳥居ですよ。 鳥居の前はタクシー乗場になっており10台位のタクシーが待っていましたが、 その割には観光客がまばらですね。。。 観光客よりも地元の高校生でしょうか、学生さんたちが北野天満宮を通って帰宅しているような感じでした。 バスの路線図にも太字で書いてあったし、 個人的にも北野天満宮って有名な神社だと思っていたのですが、そうでもないのかな・・・




〜 色 々 な 牛 達 〜

鳥居をくぐり参道を歩き始めると、左右には灯篭のようなものが立ち並んでいます。 この灯篭のようなものの合間に何種類かの牛の置物があったのですよね。 更に先に進むと、中にも数個の牛の置物が ありました。 唐獅子とかキツネとかならば神社でよく目にしますが、牛ってあんまり記憶にないですね・・・

北野天満宮のHPを見ると、次のように記述されています。 菅原道真公(天神様)は、承和十二年(845)六月二十五日の御誕生であるが、この年は「丑歳」に当り、且つ菅公の伝説には牛にまつわる話が数多く 存在するとともに牛にまつわる縁起が多く伝えられ、牛は天神様の神使(お使い)となっている。 中でも延喜三年(903九州)大宰府で御生涯を閉じられた菅公の御遺骸をお運びする途中、車を引く牛が座り込んで 動かなくなったため、近習達が已む無くその付近の寺院、安楽寺に埋葬したのだが、この故事により境内各所にある神牛の像は臥牛(横たわった牛)の姿となっている。 ところが、拝殿欄間の彫刻には、当宮では 珍しく立った牛の姿の神牛が刻まれている。 何故一頭だけ立像の牛があるのかは神秘的で今もって謎とされるところである。 by wikipedia


参道はこのような感じです。足が痛くて早く座りたい。。


牛Part1


牛Part2


牛Part3



〜 境 内 の 建 物 達 〜

5分位ゆりゆると参道を歩いていくと、神楽殿や宝物殿、重要文化財になっている西回廊などがあります。 境内は広く途中に休憩所などもあります。 朝から大徳寺、金閣寺、龍安寺を廻ってきて、 すっかり管理人の足が終わって(足が疲れて歩けなくなること)しまいました。 もう体重を足が支えられない感じね>_< そんな中、休憩所は本当に助かりました。 今日は天気も良く陽射しが強かったので 屋根付きだったのも非常にありがたかったです。 あまりに足が痛いので、15分位休んじゃいましたね。

先程牛の話しをしましたが、ここ北野天満宮は梅にも縁があるんだそうです。 道真は梅をこよなく愛し、大宰府左遷の際、庭の梅に上記の和歌を詠んだことや、その梅が菅原道真を慕って一晩のうちに大宰府に 飛来したという飛梅伝説ができたことから梅が神紋となり、約2万坪の敷地には50種1500本の梅が植えられている。 このような菅原道真と梅との結びつきから、命日にあたる2月25日に行われる梅花祭では 「梅花御供(ばいかのごく)」とよばれる特殊神饌が献供されている。 これは明治以前に太陰暦が用いられていた時代には魂を「宥める」にあやかって菜種がささげられていたが、新暦になり、梅花祭の時期が 変わったために梅の花が用いられるようになったとされている。 なお、2012年現在では梅花祭における菜種は、神職が身に付け奉仕を行うという形で残されている。 この神饌では白梅と紅梅を男と女に見立て、 土器の上に仙花紙を筒状に丸めて乗せ、玄米を流し入れた土台にそれぞれの梅の枝が挿し込まれ奉げられる。 白梅を挿したものが42個作られこれを「男の御供」、紅梅を挿したものを33個作り、「女の御供」と 呼んでいる。 また、菅原道真が大宰府へ流された際に帯同した従者が薨去以後遺品を京都へ持ち帰り、鎮魂のために毎年収穫された米を奉げていたという伝承に基づき、大判御供、小判御供という形で現代においても 神事が受け継がれており、その従者達の末裔である七保会の面々によって御調が行われている。 くわえて、この梅花祭は全国でも珍しく、貞明皇后参拝の古例に従って、天皇からでなく皇后から幣帛料が 上げられている。by wikipwdia


楼門
文道の大祖風月の本主の額が掲げてある。



三光門
後西天皇御宸筆『天満宮』の勅額を掲げてある。
豊富な彫刻の中に日月星があるから三光門の名がある。


伴氏社
菅公の御母君伴氏を祀る。


神楽殿
狂言や日本舞踊又毎月25日には神楽舞が奉納される。


宝物殿
公家や武家さらに商人たちの信仰も厚かったことから
当宮には数多くの宝物が奉納され伝えられています。


社殿を囲む情緒のある壁





〜 社 殿(国 宝) 〜

こちらが拝殿です。 さすが北野天満宮! とても立派な建物です。 なんだか少しだけ、寒川神社に似ているような気もしましたが、非常に厳かで気高いような印象を受けました。 ここでもお賽銭をと。。。  今日は寺や神社ばかり廻っているので、行った先でお賽銭を入れています。 家族や親しい友人達の末永い健康をお祈りしておきました。 あと一刻も早く管理人の足が復活することをお祈りしておきました^^;  だってこの後、まだ二条城に行くんだもん。

拝殿は慶長12年(1607年)に建立。 入母屋造の本殿と、同じく入母屋造の拝殿の間を「石の間」で接続して1棟とする権現造社殿である。 当神社の場合は拝殿の左右に「楽の間」が接続して複雑な屋根構成となる。  屋根はすべて檜皮葺き。 本殿、石の間、拝殿、楽の間を合わせて1棟としており、国宝に指定されている。 by wikipedia


引きで見るとやっぱり寒川神社に似てる・・・


社殿の装飾は見事の一言です。