お次は管理人の第一目標「金閣寺」です。 先程の「大徳寺」からバスで5分位でしょうか。 やはり近距離のバス移動は有効ですね! いつも金閣寺っていうと池の奥に金色の建物が佇んでいる写真を目にする
ことが多いですが、建物以外にも良い景色が多いです。 敷地は結構広いのですが、建物は先程の大徳寺のように多くなく、金閣寺の周囲を自然を満喫しながら進んでいくっていう感じでした。
でもやっぱりあの写真の景色を早く見たい〜という衝動が自然と速足にさせます。 でもぶ〜で〜は早く歩くとすぐに疲れてしまうので我慢我慢^^;
ちなみに俗に「金閣寺」って呼んでいるのは、 金色をした建物のことを言うのではなくこの敷地全体のことを「金閣寺(=鹿苑寺)」というんだそうです。 京都にはこのように一般的に呼ばれる名称と、正式名称が異なるところが多くありました。 ちなみに金色の建物は「舎利殿」というんだそうです。 |
金閣寺(=鹿苑寺(ろくおんじ))は、京都市北区にある臨済宗相国寺派の寺。 建物の内外に金箔を貼った3層の楼閣建築である舎利殿は金閣、舎利殿を含めた寺院全体は金閣寺として知られる。 相国寺の山外塔頭寺院である。 寺名は開基である室町幕府3代将軍足利義満の法号・鹿苑院殿にちなむ。 山号は北山(ほくざん)。 寺紋は五七桐。 義満の北山山荘をその死後に寺としたものである。 舎利殿は室町時代前期の北山文化を代表する建築であったが、1950年(昭和25年)に放火により焼失し、1955年(昭和30年)に再建された。1994年(平成6年)にユネスコの世界遺産(文化遺産) 「古都京都の文化財」の構成資産に登録されている。 by wikipedia |
すみません。 いきなりソフトクリームですm(_ _)m だって金閣寺に入る前に美味そうなソフトクリームがあったんだもん。 テヘペロ。 やはり旅行と言ったらソフトクリームは絶対に外せません!! 今回の旅行の1つ目のソフトクリームはこちら! 金閣寺入口前にあったお店で販売していた抹茶ソフトクリームです! 普段はあまり 抹茶ソフトクリームを食することはないのですが、何故だか京都というとお茶のイメージがあったりもしますので、ついつい抹茶をミックスでご注文してしまいました。 こちらのソフトクリーム、 白い部分はほどよいミルキーさがあり満足の味です。 そして抹茶のほうも苦すぎずとても良いお味。 そしてこの2種類のクリームがミックスすることで、ソフトクリームの阿修羅男爵や〜〜〜。 しかも、ソフトクリームに固い「やつはし」をさしてくれるのですが、この「やつはし」とクリームのハーモネーが最高にまいう〜です〜。 スプーンの代わりにもなるしね^^; とてもまいう〜なソフトクリーム、御馳走様でした。 外国人も結構買ってたけど、これの美味さが分かるのかな!? |
お店の外観です。 |
抹茶ミックスソフト、まいう〜^^ |
バスで金閣寺に行くときは「金閣寺道(きんかくじみち)」というバス停で下車します。 バス停から入口までは徒歩5分位。(この間に↑のソフトクリームを売っています。) 門をくぐり5分位歩くと
チケット売り場に到着します。 入口からチケット売り場までは豊かな新緑のアーチをくぐっていくような感じです。 「早く金閣寺を見たい!」という衝動が高まってくるのですが、緑のアーチがそれを
落ち着かせてくれるような感じです。
しかし、中国、韓国からの観光客が本当に多いですねっ! 間違いなく日本人よりも多いですよ。 白人もいるにはいるのですがほんの少数です。 これだけ多くの外国人観光客が来ているというのは、 経済的に相当良い影響を与えていそうです。 |
途中で「大文字」が見えました! |
金閣寺の入り口に到着しました〜 |
参道は緑に囲まれています。 |
世界遺産の石碑がありましたよ! |
かの有名な「金閣寺」なので、拝観料もさぞやお高いのだろうと思っていましたが、意外にも400円。 結構リーズナブルです。 ちょっと変わっているのが、チケットがお札になっているんです。 普通観光地に行くと、チケットに半券があって、入口で半券をちぎるってのが多いと思いますが、ここはお札を見せてそのまま中に入ります。 さすが京都っぽいような気がしちゃいますよね。 |
チケット売り場に到着〜 |
チケットっぽくないですが、悪くないね。 |
チケット売り場から程なく眼前に大きな池が広がります。 そして〜〜っ!! 写真や映像でしか見たことなかった金閣寺が目の前にっ!! 超感動です〜。 でも↑の説明にもあるように、金閣寺って
この建物のことを言うのかと思ったら違うのね^^; この建物が舎利殿です。 しかし見事な金ですね。 部屋の中が金色になっている建物は見たことがありますが、建物自体が全て金箔で覆われているのは、
平泉にある金色堂とこの金閣寺しか知りません。 やはり「金」というのは権力の象徴。 平泉の藤原氏も陸奥で絶大な権力を誇っていましたし、ここを建てた足利義満も足利将軍の中では一番権力があった
人ですもんね。 あと他に「金」ですぐに思いつくのは織田信長、豊臣秀吉等。 いずれも権力を持った人達ばかりです。
観光本に金閣寺のベストショットの位置が掲載してあったので、そこまで行って撮影しました。 丁度風が止み、池の水が静かになったので、逆さ金閣寺を撮影することもできました〜。 でも後で自宅で写真見てみると、なんだか金閣寺が模型のように写っているような・・・ 寺っていうと深い茶色のイメージがあるので、いきなり金ピカだと日常のものではないような気がしちゃうのかも しれませんね。 |
逆さ金閣寺です! |
普段あまり目にしない、金閣の裏側です。 |
金閣寺の見学コースは門から入り、鏡湖池と呼ばれる池の周りをグルリと1周するようなルートになっています。 最初は金閣寺の正面、続いて金閣寺の裏側に回り、更に金閣寺の裏の小高い山も登って出口に向かいます。 見学の時間はゆるゆると歩いても20〜30分位でしょうか。 こういう庭園の散策もなかなか良いものです。 |
池と金閣寺 |
この地には、鎌倉時代の1224年(元仁元年)に藤原公経(西園寺公経)が西園寺を建立し、併せて山荘(「北山第」)を営んでいた。 これらは公経の子孫である西園寺家が代々所有し、同氏は代々朝廷と鎌倉幕府との
連絡役である関東申次を務めていたが、鎌倉幕府滅亡直後に当主の西園寺公宗が後醍醐天皇を西園寺に招待して暗殺しようとする謀反が発覚したために逮捕・処刑され、西園寺家の膨大な所領と資産は没収された。
このため、西園寺も次第に修理が及ばず荒れていった。
1397年(応永4年)、足利義満が河内国の領地と交換に西園寺を譲り受け、改築と新築によって一新した。 この義満の北山山荘は、当時「北山殿」または「北山第」と呼ばれた。 邸宅とはいえ、その規模は御所に匹敵し、 政治中枢のすべてが集約された。 1394年(応永元年)に義満は征夷大将軍職を子の義持に譲っていたが、実権は手放さず、北山第にあって政務を執っていた。 1408年(応永15年)に義満が死亡すると、義持は北山第に 住んでいた異母弟義嗣を追放して自らここに入ったが、翌1409年(応永16年)には北山第の一部を破却して三条坊門第に移った。 その後、義満の妻である北山院日野康子の御所となっていたが、1419年(応永26年)11月に 北山院が死亡すると、舎利殿以外の寝殿等は解体され、南禅寺や建仁寺に寄贈された。 また、1416年(応永23年)1月に義満が相国寺から移築した七重大塔が落雷で焼失すると、義持は七重大塔を相国寺に再建するように 命じている。 1420年(応永27年)に、北山第は義満の遺言により禅寺とされ、義満の法号「鹿苑院殿」から鹿苑寺と名付けられた。 夢窓疎石を勧請開山(名目上の開山)としている。 by wikipedia |
金閣の裏を通りすぎると小高い丘があります。 |
「銀河泉」は足利義満がお茶の水に使ったと伝えられる泉。 |
「厳下水」は足利義満が手洗いに用いたと伝えられる泉。 |
鯉魚石が置かれている、竜門滝です。 |
応仁の乱では、西軍の陣となり建築物の多くが焼失したが、江戸時代に主要な建物が再建され、舎利殿も1649年(慶安2年)に大修理された。
明治維新後の廃仏毀釈により、寺領の多くが返上されて経済的基盤を失ったが、当時の十二世住職貫宗承一により、1894年(明治27年)から庭園及び金閣を一般に公開すると共に拝観料を徴収して寺収入を確保した。 舎利殿(金閣)は古社寺保存法に基づき1897年(明治30年)12月28日に「特別保護建造物」に指定され、1929年(昭和4年)7月1日の国宝保存法施行に伴い(旧)国宝に指定された。 また、1904年(明治37年)から 1906年(明治39年)に解体修理が行われた。 庭園は史蹟名勝天然紀念物保存法(文化財保護法の前身の1つ)により1925年(大正14年)10月8日に史跡・名勝、文化財保護法により1956年(昭和31年)7月19日に 特別史跡・特別名勝に指定されている。 1950年(昭和25年)7月2日未明、放火により国宝の舎利殿(金閣)と安置されていた仏像等を焼失(金閣寺放火事件)。 文部省文化財保護委員会と京都府教育委員会で協議が行われ、国宝指定の解除と金閣再建の 援助が決定された。 再建費用として、政府や京都府からの補助金、経済界や全国各地からの寄付金など約3000万円(当時)が集められ、1952年(昭和27年)着工、1955年(昭和30年)竣工。 同年10月10日に落慶法要が営まれ、創建当時の姿に復元された。 1986年(昭和61年)から1987年(昭和62年)に金閣の「昭和大修復」が行われたほか、1997年(平成9年)に夕佳亭の解体修理、2005年(平成17年)から2007年(平成19年)に方丈の解体修理も行われている。 1994年(平成6年)12月、当寺が構成要素のひとつとなった世界遺産(文化遺産)「古都京都の文化財」が登録された。 by wikipedia |
安民沢は雨賜沢・望雲沢ともいわれる池です。 |
貴人榻(きじんとう)と呼ばれる椅子のかたちをした石 |
「夕佳亭」金森宗和が建てた数寄屋造りの茶室 |
夕佳亭から金閣寺の頭がコンニチハ |