大  徳  寺

まず一番最初にやってきたのが「大徳寺」です。 今回の旅行は1泊2日ということなので、あまり広い範囲を転々と見て廻るのは効率が悪いだろうということで、1日目は京都駅から見て北西 エリアを廻ることにしました。 北西エリアには超有名な「金閣寺」「大徳寺」「北野天満宮」などがあります。 以前奈良を観光した際、あまりにもスケジュールを詰め込み過ぎて、疲労困憊してしまった経験が あったので、1日目は北西エリアと、中心街にほど近い「二条城」だけを見学することにしました。

北西エリアを廻るには、まずは地下鉄の烏丸線で北大路駅まで行き、そこからバスで5分位です。 ちなみに京都周辺は道が混んでいるところが多いので、バスでの長距離移動は結構時間がかかりそう。  まずは地下鉄で目的地の近くまで一気に移動し、そこからバスを利用するのが一番効率よいような気がします。 それでも今日はゴールデンウィークの谷間の平日だったので、全然ストレスなくバスの移動が できましたが、次の日はもう渋滞で大変! やはり休日に行く場合は長距離は地下鉄、短距離はバスでの移動が効率良いと思いました。



大徳寺(だいとくじ)は、京都府京都市北区紫野大徳寺町にある寺で、臨済宗大徳寺派大本山である。 山号は龍寶山(りゅうほうざん)。 本尊は釈迦如来。 開基は大燈国師宗峰妙超で、 正中2年(1325年)に正式に創立されている。

京都でも有数の規模を有する禅宗寺院で、境内には仏殿や法堂をはじめとする中心伽藍のほか、20か寺を超える塔頭が立ち並び、近世寺院の雰囲気を残している。 大徳寺は多くの名僧を輩出し、 茶の湯文化とも縁が深く、日本の文化に多大な影響を与え続けてきた寺院である。 本坊および塔頭寺院には、建造物・庭園・障壁画・茶道具・中国伝来の書画など、多くの文化財を残している。 by wikipedia


大徳寺 本坊正面


〜 色 々 な お 寺 さ ん 〜

大徳寺というのは「大徳寺」というお寺があるのかと思っていたのですが、どうやらこのエリアにある全てのお寺の集合体のことを「大徳寺」というんだそうです。 大徳寺の敷地は非常に広く、多分東京 ドーム丸々1個分位はあるのではないでしょうか。 綺麗に均した小路が敷地内を通っており、その小路の両脇にいくつものお寺が建ち並びます。 この小路がなんとも言えず良い雰囲気なんですよね〜。  多くのお寺は拝観謝絶になっておりましたが、5〜6の寺では特別拝観として公開をしていました。 庭園を拝観させてくれるお寺や、建物内部を拝観させてくれるお寺など様々です。 1つの寺の拝観料も まちまちで、大体300〜800円位のところが多いです。(これは大徳寺だけでなく、今回の旅行で廻った京都の名所全てに当てはまります。)

またお寺によって色々な特色があり、建物が少し変わっている寺とか、周りに生えている植物が異なったりと、とても同じ敷地内に建っているお寺とは思えない位バリエーションがあります。  特に管理人が気に入ったのは、竹林が生い茂り、コケが一面に広がった庭園のようなお寺。 ここは是非ゆっくりと風情を味わいながら廻りたい場所ですね〜。


こちらが大徳寺の正門。広めの駐車場もすぐ脇にあります。


正門を入ってすぐにあった「黄梅院」。特別拝観してました。


大徳寺の敷地にはこのような小路で繋がっています。


龍源院の名勝庭園です。とても風情があります。


瑞峯院の門構え。門の形状はどの寺も同じような感じですね。


有名な石田三成のお墓がある三玄院です。



大徳寺の開祖である禅僧・宗峰妙超は、弘安5年(1282年)、播磨国(兵庫県)に、同国守護・赤松氏の家臣・浦上氏の子として生まれた。 11歳の時、地元の大寺院である書写山圓教寺に入り、天台宗を学ぶが、 のち禅宗にめざめ、鎌倉の高峰顕日、京の南浦紹明に参禅。 南浦紹明が鎌倉の建長寺に移るに従って宗峰も鎌倉入りし、徳治2年(1307年)に師から印可を得た。 その後数年京都東山で修行を続けていた宗峰妙超は、 正和4年(1315年)ないし元応元年(1319年)に同郷の赤松円心の帰依を受け、洛北紫野の地に小堂を建立した。 これが大徳寺の起源という。 花園上皇は宗峰に帰依し、正中2年(1325年)に大徳寺を祈願所とする 院宣を発している。 寺院としての形態が整うのはこの頃からと考えられる。

後醍醐天皇も当寺を保護し、建武元年(1334年)には大徳寺を京都五山のさらに上位に位置づけるとする綸旨を発している。  しかし建武の新政が瓦解して足利政権が成立すると、後醍醐天皇と関係の深かった大徳寺は足利将軍家から軽んじられ、五山から除かれてしまった。 至徳3年(1386年)には、十刹の最下位に近い第9位となっている。  このため大徳寺は、足利政権の庇護と統制下にあって世俗化しつつあった五山十刹から離脱し、座禅修行に専心するという独自の道をとった。 五山十刹の寺院を「叢林」(そうりん)と称するのに対し、同じ臨済宗寺院でも、 大徳寺や妙心寺のような在野的立場にある寺院を「林下」(りんか)という。

その後の大徳寺は、貴族・大名・商人・文化人など幅広い層の保護や支持を受けて栄え、室町時代以降は一休宗純をはじめとする名僧を輩出した。 侘び茶を創始した村田珠光などの東山文化を担う者たちが一休に参禅して以来、 大徳寺は茶の湯の世界とも縁が深く、武野紹鴎・千利休・小堀遠州をはじめ多くの茶人が大徳寺と関係をもっている。 また国宝の密庵(みったん)など文化財に指定された茶室も多く残る。 このため京童からは 「妙心寺の算盤面」「東福寺の伽藍面」「建仁寺の学問面」などと並んで「大徳寺の茶面(ちゃづら)」と皮肉られた。

享徳2年(1453年)の火災と応仁の乱(1467?77年)で当初の伽藍を焼失したが、一休宗純が堺の豪商らの協力を得て復興。 近世以降も豊臣秀吉や諸大名の帰依を受けた。  江戸時代初期に幕府の統制を受け、元住持の高僧・沢庵宗彭が紫衣事件で流罪の圧迫を受けたが、三代将軍家光が沢庵に帰依したこともあって幕府との関係ものちに回復した。 寺運は栄え今日に至っている。 by wikipedia


こちらは大徳寺の仏殿(本堂)です。


仏殿にはこちらの仏様が鎮座しておりました。なむ〜。


庭園内に盆栽のような松の木がありました。


こちらの小路には紅葉がありました。2色の紅葉が綺麗です。


一番気に入った小路は高桐院のものです。


高桐院の小路脇は石と竹と苔のハーモネー。



〜 本 坊 の 拝 観 〜

今日はラッキーなことに大徳寺本坊を拝観することができました。 Wikipediaを見ますと、大徳寺の中で常時拝観可能なのは、龍源院・瑞峰院・大仙院・高桐院の4ヶ院のみと書いてあったのですが、 今日は本坊も拝観できるみたい! やっぱりゴールデンウィークだからなのかな。 ただちょっと残念だったのが、中の撮影は一切禁止(;_;) 管理人は観光地などに行くと、記念撮影のレベルではなく、 観光案内人から「取材」と言われてしまう程沢山写真を撮るんですよ。 そんな管理人に撮影禁止だなんて・・・あまりな仕打ち・・・(;_;) でも京都の観光地は建物内の撮影禁止なところは結構ありました。  ということで、今回も必殺の前衛的アートが炸裂します。 今回最初に登場する前衛的アートは、大徳寺の石庭です。 時代劇の「大岡越前」のオープニングで映っていた小石などを水の流れに見立てて 庭園にしているものです。 ちなみに正面に見える門だけ派手派手の感じですが、この門は豊臣秀吉が住んでいたと言われる聚楽第のものを移設してきたものだと言われているそうです。

本坊に入りますと、所々にお若い学生さん(?)が立っており、観光客が来ると、大徳寺の由来や特徴について説明してくれます。 皆さんとても分かりやすい説明で、色々質問もさせてもらったのですが、 丁寧に答えて頂きました。 色々説明してくれる方がいると廻るのが更に楽しくなりますね。


こちらが本坊拝観の入口です。


本坊内の石庭です。



こちらも撮影禁止だったので、前衛的アートになってしまいますが、寺の中の襖などに絵が書かれているのですが、これは有名な「狩野 探幽」という方が書いた絵なんだそうです。 「狩野」という苗字は、 確かになんでも鑑定団でも聞いたことがあるような気がしますよ。 墨を使った絵なのですが、筆遣いなどがとても繊細で、するどい感じ、柔らかい感じなど墨の濃淡だけで豊に表現しています。  描写は、猿回しが猿を操り、観客がそれを見ているような絵や、植物などが描いてあったりしました。 ということで、管理人もパソコンのペイントブラシで、白黒の濃淡だけで、狩野探幽の絵を再現してみましょう!  お題は前述の「猿回し」です。


前衛的アート 狩野探幽風





〜 大 徳 寺 納 豆 〜

大徳寺の入口付近には数店のお土産物屋さんがありました。 名だたる観光地としては少々寂しい感じもしますね。。。 でも正直お土産屋さんが沢山軒を連ねていたのは、銀閣寺と清水寺位で、その他は金閣寺 のように有名な場所でもお土産屋さんはそんなにありませんでした。

管理人は知らなかったのですが、この近辺では「大徳寺納豆」というのが有名なんだそうですよ。 お嫁さんが以前「大徳寺納豆饅頭」というものを食したことがあるということで、それを食べたかったのですが、 どうやらこのお土産屋さんにはなかったみたい。 でも店先で大徳寺納豆そのものの試食ができたので少しだけ食してみました。 大徳寺納豆はそのままで食するよりも乾燥したシラスと一緒に食すると 良いそうなので、一緒に食してみたのですが・・・ う〜ん、どちらかというとずいま〜。。。m(_ _)m(あくまで個人の好み) 大徳寺納豆自体はこげ茶色をしており正露丸のような感じ。  何かが発酵したような味で、味噌を思いっきりしょっぱくしたような味で、家庭で食する普通の納豆の味とはほど遠いです。 個人的にはちょっと罰ゲームを喰らったような感じで大徳寺自体の感動が 少しマイナスされてしまった気がしました>_<


お土産屋さんの「山国屋 細見酒店」です。