鎌 倉 大 仏 殿 高 徳 院

長谷駅から観光客らしき人の列についていきますが、なかなか到着しないなぁ。。。  もうすでに汗ビショビショですよ。 高徳院に行くのも何十年ぶりだから、道もほとんど覚えていません。  鎌倉の大仏様も過去2回くらいお会いしていると思うのですが、多分小学校、中学校くらいのことなのでもうほとんど記憶にありません。 気分的には初めて来た感じですよ。  子供のころにこういうのを見ても、そのときの時代背景とか役割とか意味を分からずに見ているから全然記憶にとどまらないんですよね〜。 今日はしっかりと目に焼き付けておきたいと思います。


長谷駅からちょうど10分で高徳院に到着しました。 高徳院への道のりも全く覚えていなかったですね。 景色すら初めてって感じ。 人の記憶ってあてにならないね^^;  もっと混んでいるのかなと思っていましたが、そーでもないですね。 まだ外国人観光客も少ないですからね。 

高徳院(詳名: 大異山高徳院清浄泉寺)は、法然上人(1133〜1212年)を開祖とする浄土宗の仏教寺院です。 法然上人は、善悪、男女、年齢、身分などの別なく、万人の救済を本願とされる西方極楽浄土の教主、阿弥陀如来に帰依されました。  人は誰しも「南無阿弥陀仏(阿弥陀仏に帰依します)」と称えれば、その御加護に与ることができ、臨終に際しては極楽浄土に迎え入れていただける。 これが法然上人の説かれた浄土宗の教えです。 by 高徳院HPより  


こちらは高徳院の入り口「仁王門」です


拝観のチケットをご購入〜


それでは高徳院の中にお邪魔します〜。 まずは入り口で拝観料300円をお支払い〜。  結構安いね。 ただ中はそんなに広くはなく、入り口の奥のほうに、大仏様がデデ〜ンと鎮座している感じ。  特にお参りする本堂などもなく、大仏様を拝顔してまた入り口に戻るって感じね。  でもお寺さんにしても神社にしても、拝殿とか本堂がないのって珍しいですよね〜。  


境内はこんな配置になっています


仁王門の先には小さな庭園風の庭があります


こちらは手水舎です



いや〜お久しぶりです。 なんともありがたいお顔をされていますよね〜。  そしてあらためて見ますと、結構大きいですね。 全高は約11mあるそうですよ。  大昔には大仏様を覆っている建物もあったという説もあるようです。  建物があったらきっと奈良の東大寺のようになっていたのでしょうね〜。

また大仏様は正面からお参りするだけでなく、周囲を360度グルリと回って見ることができます。  昔に来た時は正面だけだったような記憶があるのですが、子供のころの記憶は曖昧だよね^^;  



「露坐の大仏」として名高い高徳院の本尊、国宝銅造阿弥陀如来坐像。 像高約11.3m、重量約121t を測るこの仏像は、規模こそ奈良東大寺の大仏( 盧舎那仏) に及ばぬものの、ほぼ造立当初の像容を保ち、我が国の仏教芸術史上ひときわ重要な価値を有しています。  北条得宗家の正史『吾妻鏡』によれば、その造立が開始されたのは1252( 建長四) 年。 制作には僧浄光が勧進した浄財が当てられたとも伝えられています。 もっとも、創建当時の事情には不明な部分が多く、未だ尊像の原型作者すら特定されるに至っていません。  当初尊像を収めていた堂宇については、『太平記』と『鎌倉大日記』に、1334( 建武元) 年および1369( 応安二) 年の大風と1498( 明応七) 年の大地震によって損壊に至ったとの記録を見いだすことができます。  以後、露坐となり荒廃が進んだ尊像は、江戸中期、浅草の商人野島新左衛門( 泰祐) の喜捨を得た祐天※・養国の手で復興をみました。  尊像の鋳掛修復に着手し、「清浄泉寺高徳院」と称する念仏専修の寺院を再興、当時、浄土宗関東十八檀林の筆頭であった光明寺の「奥之院」に位置づけたのも、祐天の事績にほかなりません。  今日、創建750 年余を経た尊像は、仏教東伝の象徴として、国内外、宗派の別を問わず数多の仏教徒の信仰を集めています。 by 高徳院HP  











今日も「岡」氏が自撮り棒を持ってきてくれましたので、3人で集合写真を激写しておきました。  これまでは管理人のカメラだけで、小さい三脚しかなかったので、なかなか集合写真が撮れませんでしたが、この自撮り棒を装着以来、色々な集合写真が撮れて良いですね〜。 こういう写真は思い出に残ります。  


とても良い思い出Part1
「西」氏、「岡」氏、「増」氏