榛名湖の周遊道路から少し奥に入って車で10分位のところに榛名神社があります。 伊香保の観光ガイドHPでは、パワースポットとも書かれていましたよ。 周囲には有料駐車場もありましたが閉まってました。
駐車場は神社の近くのお土産屋さんの駐車場を使わせて頂きました。 特に駐車料金などを支払う必要等はありませんが、お店の方からは「帰りにお土産買ってくださいね〜」と言われます。
この榛名神社、管理人の想像をはるかに越えたパワースポッツでありました。 普通神社っていうと、鳥居が正面にあってゴージャスな社殿が正面にあり、お守りを売ったりする社務所などが割とひしめき合っている、 というのを思い出す方も多いのではないでしょうか。 でもここ榛名神社は全長500m位ありまして、入口に当たる鳥居から正殿までの道中に七福神の銅像があったり、自然にできたと思われる不思議な形状の岩が あったり、社殿が岩と岩の間にあったり、建物の彫刻が超精密だったりと普通の神社とは全くことなる形態をしておりました。 観光客も非常に多く、榛名山や榛名湖に比べても全然観光客が多かったです。 「西」氏の事前調査でも「榛名神社は鉄板!」とのことでしたが、行ってみるとそのすごさが分かります。 管理人も全身でパワーを浴びて参りました。 このパワーで頭の毛が生えてくれないかな〜。 |
赤城山・妙義山と共に上毛三山の一つとされる榛名山の神を祀る神社で、現在の主祭神は火の神・火産霊神と土の神・埴山姫神である。 水分神・高神・闇神・大山祇神・大物主神・木花開耶姫神を合せ祀る。 綏靖天皇の時代に鎮座し、用明天皇元年(586年)に社殿が造営されたと伝えられる。 南北朝時代ごろから上野寛永寺の下に属し、別当が派遣されて管理がされてきた。 明治の神仏分離により仏教色が廃され、 元の榛名神社に復した。 by wikipedia |
お土産屋さんの駐車場からすぐのところに鳥居があります。 最初からパワースポットだと聞いていたので、鳥居を見ただけで何かが降臨してきたような錯覚に陥ります。(さすがに言い過ぎm(_ _)m) |
鳥居をくぐって赤い随神橋を渡ると、こちらの随神門が現れます。 非常に歴史を感じる建物ですし、厳かな感じが漂っていますね〜。 門の両脇には仁王様が立ちはだかり榛名神社を守っておりました。
随神門は榛名神社境内に入り二ノ鳥居をくぐった正面に、弘化4年(1847)に建てられた八脚門です。 神仏習合時代には運慶作と伝えられる仁王像が置かれた仁王門でしたが、神仏分離令により仁王像は焼かれ、現在は明治39年(1907)に祀られた随神像が祀られ 随神門と呼ばれています。 by 高崎市HP |
一番奥の社殿に到着するまでに色々な道を通っていきます。 両脇にそびえたつ杉の木々の間を通り抜けて行ったり、頭上の岩山の中をくぐって行ったり、真っ赤な橋を渡って行ったりと、なんだかアスレチックを
やっているような感覚になりますよ^^
視線を右にずらしますと、そこは自然そのもの。 小川が流れていますが、ここでもところどころ雪が残っています。 標高が高いから気温も朝夕は低くなりそうですね。 |
このような赤い橋が何か所かあります。 |
石畳の綺麗な参道です。 |
参道の脇にはこのような小川が流れています。 |
岩の下をくぐって先に進みます。地震が来たらアウトかも。。。 |
岩の間の階段を登ります。。。また階段!? |
橋とトンネルの景色 |
このような七福神が、道中に点在しています。 よくは知らないのですが、この並び順とかにも意味があるのでしょうね。 ちなみに布袋様はデップリとした腹を観光客に触られ過ぎて、腹がピッカピカになって いましたよ。 我々も1つ1つ銅像の数を数えていただのですが、どーも1神足りないような・・・ でもよく見たら一番最初の↑で紹介した鳥居のすぐ横に毘沙門天さんが鎮座していました。 これは分かりずら〜。 あれあれ!? でも自宅に戻って写真を見てみると大黒天も足りなかった〜(;_;) |
寿老人 |
布袋 |
福禄寿 |
恵比寿 |
弁才天 |
毘沙門天 |
途中何か所かにこのような建物も点在しています。 参道を長距離歩くのは辛いですが、先程の七福神や自然物や写真のような建物がいい感じで配置されているので、全然飽きずに参道を歩くことができます。 建物も相当に歴史があるものということで、どれも非常に情緒がありますね。 |
「神宝殿」 また階段ですよ〜^^; ぶ〜で〜にはちびしい〜! でも上の方に撮影に良さそうな三重の塔があるので、頑張って登らねばっ! 神宝殿は榛名神社の参道にそそり立つ三重塔です。 明治2年(1869)8月に般若坊が勧進元となり多くの人々の寄進により建てられました。 神社残存の層塔としては県内唯一のもので、廃仏毀釈の時には完工直後だったため取り壊しの難を免れたといわれています。 明治時代以降は神宝殿と呼ばれています。 |
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「神幸殿」 神幸殿は榛名神社の矢立スギから石段を登った左側に、安政6年(1859)に建てられた建物です。 境内の建物の中ではもっとも簡素な形式を持ち、塗装は施されておらず、古式の仏堂の形式を踏襲しています。 毎年春の大祭(5月8日〜15日)の際には、 榛名神社の御神体が本殿から神輿に移され神幸殿に遷座されます。 |
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「双龍門」 大分奥の方まで進んでいきましたよ。 参道を抜けると周囲は岩山が多くなってきました。 写真の双龍門も少し高いところにあります。 また階段ですよ。 もう体重が重くてすでに足にきています。 足がジンジンしていますが、ここまで来たら後には引き下がれません!! しかし周りは大きな岩ばかりで、ここで大地震があったら一巻の終わりですね^^; 中にはどう考えても重力の法則に反している 岩もありました。(後述) 双龍門は榛名神社の本社・幣殿・拝殿から一段下りた石段の途中に、安政2年(1855)に建てられた四脚門です。 総ケヤキ造で全体に彫刻が施された高い装飾性をもつ建物です。 彫刻や彩色画などに龍が多く取り入れられていることから双龍門と呼ばれています。 天井には水戸藩主徳川斎昭公が宋の哲宋皇帝勅製の墨を下賜した墨で上り竜、下り竜が画かれています。 |
なんということでしょう。 参道の途中からこんな物体が見えました。 最初は木が倒れているのかと思ったら、岩がアーチ状になっているではありませんか! どうやったらこんな造形になるのでしょうか。 自然の奥深さと神秘さを味わってしまいました。 これもパワースポットの一部なのでしょう! |
管理人は無類の滝好きです。 このような山奥に来るとどこでも滝がありますが、どれを見ても同じ滝ってないんですよね〜。 上の方から下の方に流れていく水の勢いを見ていると、地球の血液が流れているような
錯覚も覚えます。
こちらの滝・・・と言っても華厳の滝のような大きなものではなく、岩肌を少量の水が流れ落ちていくって感じの滝です。 でもこのような滝も良いですね〜。 派手派手の大きな滝も見応えはありますが、 今回の瓶子瀧のようにシンプルなものも結構好きです。 |
これも立派な杉の木ですね〜。 周囲は1〜2mじゃきかないですよ。 写真の木が「千本杉」と呼ばれ、有名な杉の木のようですが、辺りを見渡しますと、立派な杉が我も我もと 立ち並んでいます。 正直花粉症の管理人には厳しい環境です。 多分標高が高いから、ここのスギ花粉は今がピークでは・・・?? |
どうですか! 大きさはそんなにないですが、この装飾のすばらしいこと! 色彩も非常に豊かで歴史を感じます。 一つ一つの彫刻は本当に見事なもので、ものすごくお金がかかっているような気がします。
古来よりこういった寺社はその時代の権力の象徴になることも多く、もしかしたら榛名神社もその1つなのかもしれませんね。
本社・幣殿・拝殿は文化3年(1806)に建てられた権現造の建物で、御姿岩の前面に接して建てられた他に例を見ない珍しい建造物です。 御姿岩内の洞窟を神聖な本殿として御神体が祀られています。 建物は朱と黒を基調として要所に金箔や多彩な彩色が施され、左右の脇障子の「竹林の七賢人」や司馬温公の図など数多くの彫刻で飾られ、天井には天井画が画かれています。 |
本社の横には国祖社・額殿がありました。 もちろんこれも国指定重要文化財です。 榛名神社の建物のほとんどが重要文化財に指定されています。
国祖社・額殿は榛名神社の本社・幣殿・拝殿に向かって左側に、建てられた建物です。 慶長年間(1600年頃)に建てられた国祖社と文化11年(1814)に国祖社側面に増築する形で建てられた額殿があります。 基礎は本社・幣殿・拝殿と同じ高さにつくられ、 入母屋造で向拝や欄間の彫刻がみられるが全体的に装飾は控えめになっています。 国祖社は神仏分離以前には本地堂と呼ばれ本地仏の勝軍地蔵が祀られていました。 額殿はもともと神楽拝見所として建てられ、榛名神社太々神楽講の人々が参拝に訪れ、 神代神楽が奏上されるときに桟敷を敷いて神楽を見るところです。 建物内外に大小の太々神楽の奉納額が掲げられていることから額殿と呼ばれています。 |
神楽殿は榛名神社の本社・幣殿・拝殿と向かい合う位置に、明和元年(1764)に再建された建物です。 神楽を本殿の神様に向かって奏上するために、舞台の床の高さは本社の床の高さにあわせてつくられています。 床は板張りで三方向を吹放ちとして、格天井には 花鳥獣や神楽面などが天井画として画かれています。 |
なんと社殿のすぐ後ろにこんな岩が・・・ これよく観光ガイドブックなどでも掲載されている重力の法則に反したパワーストーンです。 上の方はどう考えても真直ぐじゃないですよね^^; これは震度5弱位の揺れで下に落下しそうです。 でもいつからあるのか知りませんが、東日本大震災を経験してもこのまま維持し続けているってことは、やはり神がかり的なパワーを持った岩なのかもしれませんね〜。 |