偕  楽  園

とん平食堂さんで膨満感になりましたので、次は日本三名園の1つ「偕楽園」へと向かいます。 とん平食堂さんを出発したのは13:20頃、偕楽園の到着は14:20です。  当HPで「日本三大○○」のコーナーを新設してからは「日本三名園」を完成させたかったんですよね〜。 ちなみに他の2つは、岡山の後楽園、金沢の兼六園です。 後楽園も兼六園も特徴があってとても良い庭園でした。  偕楽園は梅の花で有名なんですが、残念ながら梅の開花時期は2月〜3月。。。 大分時期を外れてしまいましたね。。。 そのせいなのか、偕楽園のそばにあったお土産屋さんなどはどこも閉店していました。  もしかしたら梅まつりの時期しかやらないのかもしれませんね。 お土産屋さんの壁には「梅ソフト」と書いてあったので是非食してみたかったのですが・・・ 残念! でも確かに土曜日にご来店したのに、観光客はものすごく少なかったですね。。。  これじゃぁ店を開けても儲からないか^^;


〜常 盤 神 社〜


偕楽園の駐車場に車を停めて、いざ偕楽園へ。 でも。。。あれあれあれ、偕楽園じゃなくて神社に出てきてしまったぞ〜。 看板には「偕楽園に行く前に常盤神社にお参りしていきましょう」と書かれていました。  なるほど、偕楽園のそばには神社もあったのですね。 ではまずは常盤神社にお参りしていきますか!

先程のとん平食堂を出てから少しづつ雨が降りはじめてきてしまいました。 偕楽園に近づくほどに雨が本降りに。。。 偕楽園は傘なしで歩きたかったのですけどね〜。


なんとっ!ここにも茅の輪がありました


こちらが常盤神社の御社殿です

常盤神社(ときわじんじゃ)の御祭神は二柱あります。 一柱は高譲味道根命(徳川光圀公:大日本史編纂の祖、テレビでおなじみの水戸黄門様です) もう一柱は押健男国御楯命(徳川斉昭公:偕楽園開園の祖、15第将軍徳川慶喜の父君)です。 この御二柱をご祭神として明治7年5月12日に現在地に鎮座されました。  これ以前には偕楽園内の祠堂に祀られており、明治6年に明治天皇より勅旨を以て「常盤神社」の社号を賜り県社に列格、明治16年には別格官幣社に昇格しました。


こちらは能楽殿と言います
唯一戦災で焼け残った建物です


お守りや祈祷の受付を行っています


文中に出てくる「別格官幣社」という言葉ですが、神社はそれぞれ格が決まっているそうで、その順序は「官幣大社」>「国幣大社」>「官幣中社」>「国幣中社」>「官幣小社」>「国幣小社」>「別格官幣社」となるそうです。  日本のすべての神社が社格を持っている訳ではなく、無格社も多くあります。 ちなみに伊勢神宮は全ての神社の上にあり、社格のない特別な存在とされているんだそうです。 今回訪れた常盤神社は「別格官幣社」ですが、 この社格は国家に功績を挙げた忠臣や、国家のために亡くなった武将・志士・兵士などを祭神として祀る神社のために創設された社格なんだそうです。


これもさっきの鹿島神宮にありましたね



樹齢150年の楠です。台風で倒木の
危険があることから獺祭されたそうです


こちらは「義烈館」と呼ばれる資料館です。 徳川光圀公・斉昭公の遺品、遺墨をはじめ水戸学関係の資料等が展示されているそうです。 最初、入ろうか迷っていましたが、入口のところに「写真撮影はご遠慮ください」とあったので、やめときました^^; 






常盤神社の横のほうに、静かにたたずむ社がありました。 こちらは「摂社 東湖神社」と言います。 御祭神は藤田彪命(藤田東湖)です。 

藤田東湖は斉昭公に仕え、公を助けて藩政改革や兵器軍艦建造に活躍した人です。 海防策を進言する等、幕府からも注目されました。 天保の改革、弘道館の創建をはじめ、斉昭公の片腕として活躍し、薩摩の西郷隆盛や越前の橋本景岳など天下の志士から景仰されました。  『弘道館記』の草稿を起草し、『回天詩史』『常陸帯』『弘道館述義』や『文天祥正氣ノ歌ニ和ス』(正気の歌)など、水戸学を代表する文献の作者です。

ちなみに先程の鹿島神宮でも「摂社」とか「末社」などという言葉が出てきますが、これも格式を表すんだそうです。 「摂社」は本社に付属し、その祭神と縁の深い神を祭った社のことを言います。 「末社」は摂社以外の社のことを言います。  順序は「摂社」>「末社」です。







〜偕  楽  園〜

さ〜常盤神社でお参りを済ませましたので、偕楽園に向かいたいと思います。 偕楽園へは、先程の「摂社 東湖神社」の横を通り抜け、徒歩2分のところにあります。 後楽園も兼六園もとても広い敷地でしたが、偕楽園も相当広そうですね。  園内への入場は無料と太っ腹! 園内に入る門はいくつかありまして、「東門」「御成門」「表門」「南門」があります。 今回我々が通ったのが「東門」です。 


東門から入園します〜

園内の地図です 結構広いですね


園内の地図を見てみますと、園内は梅林のエリアと好文亭を中心とする松の木などが植えられているエリアに分かられるようです。 まずは好文亭の方角に向かって歩いてみたいと思います。 趣のある庭園を歩いていくと、遠くに湖が見えますね。  これは恐らく「千波湖」ではないかと思います。 この湖では白鳥や黒鳥などが生息しているそうです。 スワンボートなど船の乗り場もあるそうです。

好文亭のエリアは、綺麗に整備された芝生と身後に剪定された松の木があります。 木々は密集しておらず、ほどよく間隔を保っているのでとてもおだやかな雰囲気になっています。 さすが三名園の1つになるだけのことはありますね〜。  また思いもかけず、紫陽花も咲いていました。 6月ですから丁度紫陽花の時期ですね〜。 


梅林とは逆側の景色です


遠くに千波湖と思しき湖が見えます


庭の先に好文亭という屋敷が見えます

梅はダメでしたが紫陽花は綺麗に咲いてました


園内を歩いていくと、植木の奥に「好文亭」という屋敷が見えてきましたよ。 あの中に入れたらいいな〜、でも無理かな〜と思っていたら、本当に入れました。 これはラッキー^^ 入館料は200円です。

好文亭は、水戸藩第九代藩主徳川斉昭が詩歌、管弦の催しなどをして家中の人々と共に心身の休養をはかるために天保十三年(1842年)に建てたものです。 好文というのは梅の異名で、「学問に親しめば梅が開き、学問を廃すれば梅の花が開かなかった」 という中国の故事に基づいて名付けられました。



建物は木造二層三階建ての好文亭本体と、北につながる奥御殿(平屋造り)からなり、全体を総称して好文亭と呼んでいます。 斉昭はその位置から建築意匠まで自ら定めたと言われています。  奥御殿を設けた理由は、万一城内に出火などあった場合の立ち退き場所として備えられたためと、当時藩内では管弦など禁制であったので城中の婦人達のため遊息の場所としたという配慮があったようです。

昭和二十年(1945年)8月2日未明の空襲で全焼しましたが、昭和三十年(1955年)から3年をかけて復元されました。 昭和四十四年(1969年)9月に落雷により奥御殿と橋廊下は消失しましたが、昭和四十七年(1972年)2月に復元されました。  平成二十三年(2011年)3月11日の東日本大震災では壁の崩落など大きな被害を受け閉館を余儀なくされましたが、平成二十四年(2012年)2月に復旧しました。


お邪魔します〜

縁側からの良い景色

好文亭の中には大小様々な部屋があります。 それぞれの部屋に「桜の間」「竹の間」「藤の間」等名前が付けられており、襖には名前の花の見事な絵が描かれています。 部屋というより襖の絵が注目ポイントになるでしょう。  しかしこれは非常に優雅ですね〜。 何か当時の斉昭さんの様子が想像できそうです。


菊の間


桃の間


つつじの間

紅葉の間

好文亭の中には不思議な廊下がありました。 中央部分が盛り上がった、さながら錦帯橋のような廊下なんです。 もしかしたらこれは好文亭本体と奥御殿をつなぐ「橋廊下」なのかもしれませんね。 なかなか写真では橋の盛り上がりを伝えるのは難しいな〜。




2階に上がる階段が現れました。 結構急な階段ですよ。 2階3階にも数部屋ありました。 2階から見る景色はまた格別ですね〜。 







なかなか好文亭な見応えありましたよ。 こういう歴史的な建物に入れるのは貴重な体験ですね。 さてお次は梅林の方に行ってみますか! これは本当に花が咲く時期はいいんだろうな〜。  現在の梅林はすっかり緑一色です。 所々に梅の実も成っていましたよ。

偕楽園と、そばにある弘道館にある梅は合わせると約100品種、3000本の梅園になっているんだそうです。  園内にあるウメの中でも、花の形、香り、色などが優れている、「江南所無」、「白難波」、「月影」、「虎の尾」、「柳川枝垂」、「烈公梅」を「水戸の六名木」と呼んでいます。  そういえば園内の梅の木の前に名前が付いている木がありましたよ。


「白難波」という梅です


「虎の尾」です







偕楽園といえば「梅」というイメージはありますが、梅以外も結構いいものですよ。 途中には綺麗な竹林もありましたし、あと松の木も綺麗に剪定されていて見応えがあります。 全然関係ないけど、国分寺連合の旅行ではよく言い間違えが発生します。  最近では地名を読み間違えることが多いんですよね〜。 読み間違えって結構恥ずかしいのですが、今回も何度か言い間違えが発生していました。 その1つがここ。 松の木に名前がついていたのですがそれが「御幸の松」。 これって何て読みますか??  正解は「みゆきのまつ」なんですが、我々はしばらく「ごこうのまつ」と読んでいました。 しかもちょっと大きな声で。。。恥ずかすぃ〜。 あとホテルでも管理人が「廉価」のことを「けんか」って読んじゃったりね^^; 最近初めて見る漢字は大きな声で読めなくなってしまいました(爆)


御成門という門に到着しました


見事な竹林があります


これは「ごこうのまつ」じゃないよ^^;


園内にある唯一のお土産屋さん



日本三名園の1つ偕楽園を堪能することができました! 今度は梅時期に来てみたいですね〜。 でも相当混みそう。。。 常盤神社のすぐ目の前には「偕楽園駅」っていうのもありましたよ。 こちらはJR常磐線の駅なんですが、 臨時駅という位置づけで、偕楽園の梅まつりの時期に合わせて営業するんだそうです。 (当該期間の土曜・休日の9時10分頃 - 15時30分頃の下り列車(水戸方面)のみ停車)

さ〜お次は水戸城を見にいきます〜。 どうもすぐそばにあるようなんですよ。 でもナビに入れても住所が出てこない・・・ ウロウロしている間に「水戸城」と書かれたプレートを見たのですが、どうしても目的地に辿り着けず・・・  なんだか高等学校なのか中学校なのか、学校の中にあるのかな!? 残念ながら今回は水戸城はギブアップしておきました。 ホテルのチェックインの時間が18:00ということでしたしね^^ 水戸城はまた今度。


偕楽園駅