香 取 神 宮

佐原の町並みの後は、車で10分ほどのところにある、香取神宮にやってまいりました。 日本三大神宮、東国三社の1つにも数えられる由緒正しい神社です。 三大〇〇の大好きな管理人にはピタ〜リの観光地ですよね。  今回の観光で、またまた三大〇〇に写真が掲載されることになります。 なんだか最近は観光地を観光するのが目的ではなくて、三大〇〇を埋めていくことが目的になっているような気がしないでもありません^^;  でも三大〇〇に入るくらいだから、見応えは満点だと思いますよ(「日本三大がっかり」は除く)。 

が〜しかし! ここでアクシデント! 朝から成田山新勝寺を2時間弱歩き。。。佐原の町並みを1時間程度歩き。。。 そろそろ2人共足が終わりかけています。。。 しかも今日は結構気温が高くて汗ビショビショ。 今日は一日半袖Tシャツで十分な程でした。  かなり体力削られていますよ。 歩きが伴う観光は今日はこれがラストになりそうです。 あともう一つ東国三社の一つ「息栖神社」も行く予定だったのですが・・・^^;




香取神宮は、千葉県香取市香取にある神社です。 旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社になっています。 関東地方を中心として全国にある香取神社の総本社。 茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社に数えられます。  また、宮中の四方拝で遥拝される一社でもあります。 御祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)。 この御祭神は「出雲の国譲りの神話」に登場する神様なんだそうです。 

はるか昔、高天原(天上の神々の国)を治めていた天照大神(あまてらすおおみかみ / 伊勢神宮・内宮の御祭神)は、葦原中国(あしはらのなかつくに / 現在の日本)は自分の息子が治めるべきだとお考えになりました。  葦原中国は荒ぶる神々が争い乱れていたため、天照大神が八百万神に相談すると、天穂日命(あめのほひのみこと)がすぐれた神であるということで出雲国の大国主神(おおくにぬしのかみ)の元に遣わされましたが、天穂日命は大国主神に従い家来になってしまいました。  次に天稚彦(あめのわかひこ)が遣わされましたが、天稚彦もまた忠誠の心なく、大国主神の娘である下照姫(したてるひめ)を妻として自ずから国を乗っ取ろうとし、天照大神の元に戻りませんでした。  このようなことが二度つづいたので、天照大神が八百万神にもう一度慎重に相談すると、神々が口を揃えて、経津主神こそふさわしいと言いました。  そこへ武甕槌大神(たけみかづちのかみ / 鹿島神宮の御祭神)も名乗り出て、二神は共に出雲に派遣されることとなりました。  出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に着いた経津主、武甕槌が十握剣(とつかのつるぎ)を抜き逆さに突き立て武威を示すと、大国主神は天照大神の命令に従い葦原中国を譲りました。 二神は大国主神から平国の広矛(くにむけのひろほこ)を受け取り、日本の国を平定して、天照大神の元へ復命されたのです。 by 香取神宮HPより  





こちらが香取神宮の境内の見取り図です。 写真左下の「第一駐車場」に車を停め、写真中央の大きな鳥居をくぐり抜け、写真中央右側にある「本殿」に向かいます。 以前国分寺連合の旅行で鹿島神宮に行きましたが、鹿島神宮は敷地がかなり広く、境内をくまなく回って1時間以上は歩いたと思いますが、香取神宮はそこまで広くはないようです。  半ば足が終わりかけている管理人達には朗報でした^^; そういえば写真を見て気づいたのですが、「奥宮」ってのに行きそびれている・・・ いつも観光地に行くと、何か一つ二つ見忘れちゃうんですよね^^;  






駐車場に車を停めて、まずは鳥居を目指して歩きだします。 すると参道の手前に大きな看板と、その先にお土産屋さん街が現れました。 やっぱり木曜日の定休が多かったからか、店自体は20店舗くらいありましたが、その中で開いている店は3〜4軒しかありませんでした。  お土産屋さんで何を売っているのか見てみると、どこも「草団子」を売っていましたよ。 看板を見ると、「厄除け草団子」と書いてありました。 この草団子を食すると訳が祓えるんだぁ。。。 まぁでも草団子自体はとても美味そうですよ。  ヨモギの緑が綺麗ですね〜。 餡子をまとった草団子もあって、お土産用の箱の中には、素の草団子と、餡子をまとった草団子の両方が入っていました。 ホントは食してみたかったのですが、さっき、どら焼きを買っちゃったし、成田山で鰻食って腹いっぱいだからなぁ。。。 今回は諦めました。  




お土産屋さん街を抜けますと、大きな鳥居が見えてきますよ〜。 最近は朱塗りではなく、コンクリートの色そのままの鳥居のほうが多いような気がしているんですが気のせいかな!? このような朱塗りの大鳥居は久々に見たような気がいたします。 

こちらの朱色の大鳥居は「二の鳥居」のようですよ。 では「一の鳥居」は!? あっ、そういえばさっき車で香取神社に向かっている途中に、大きな鳥居を車でくぐったな〜。 どうやらあれが「一の鳥居」だったみたいです。 でもここから徒歩で行ったら20〜30分はかかりそうな距離でしたよ。  「一の鳥居」は少し大きな十字路にあったので、さすがに車を停めることが難しそうなので、今回は撮影は諦めておきました^^;  




二の鳥居をくぐりぬけると、ご覧のような参道が続いています。 以前行った鹿島神宮とか、あとは愛知の熱田神宮の参道とちょっと似ているような気がしますね。 参道はまっすぐな道ではなく、左右にクネクネ曲がっています。 両側には木々や灯篭が建ち並び、すでに厳かな雰囲気を醸し出しています。  丁度、ここらへんを歩いていたのが13:30頃でまだ早い時間だったのですが、観光客はまばらでしたね。 本殿までの参道ですれっ違った方も数名くらいしかいませんでした。 やっぱり平日の観光は空いてて良いね^^  






参道を歩いていると、途中で見たことがある言葉が。。。 なになに「要石(かなめいし)」!? あ〜これって以前鹿島神宮にもあったやつだ。 確か丸い石が地面に鎮座しているだけだったような・・・  要石のある方向を見てみると・・・坂道・・・階段・・・ でも絶対に要石を見たる〜と試練に向かい始めました。 ちなみにお嫁さんは階段下で待機です^^; でも要石までは坂道&階段を5分も歩けば到着する距離でした。 とはいえ坂道&階段の5分はキツイ^^; 

最後の階段を登りきると、そこには広場がありました。 右のほうには小さな神社がありますね。 これは香取護国神社というんだそうです。 香取護国神社の周囲には何人かのグループがいたのですが、皆さん、手を取り合って、手で印を結んだようなことをしながらブツブツ言っていました。  そのグループの横には、何か指導しているっぽい人もいましたよ。 何かの宗教なのかしら!? ちょっと気持ち悪かったので、足早にその場を立ち去り、要石に向かいました。  

要石は柵で囲まれています


こちらが要石・・・微妙。。。

そしてこの奥についに「要石」を発見!! なんだか、鹿島神宮の要石と同じような・・・ 要石は、境内西方に位置する霊石で形状は凸型をしています。  かつて、地震は地中に棲む大ナマズが起こすものと考えられていましたが、要石はその大ナマズを押さえつける地震からの守り神として現在にも伝わっているんだそうです。  鹿島・香取の要石は大ナマズの頭と尾を抑える杭と言われ、見た目は小さいが地中部分は大きく決して抜くことはできないと言い伝えられています。 貞享元年(1684年)に徳川光圀が神宮を参拝した際、要石の周りを掘らせたが根元には届かなかったという逸話もあるそう。  なお、鹿島神宮には凹型の要石があり、同様の説話が伝えられています。 確か鹿島神宮で看板を見たときも、そんなことが書いてあったような気がしますね。  



こちらが三の鳥居です


三の鳥居の先で総門がお出迎え

さ〜要石も見れたし、急いでお嫁さんが待っているふもとまで掛け降り、参道を進み始めます。 要石の入口から約3分位でしょうか。 今度は三の鳥居が見えてきましたよ。 二の鳥居よりは2まわり位小さめの鳥居で、こちらはコンクリートそのままの色をしていました。  三の鳥居の先には階段があり、その先に朱色の総門が見えてきますよ。  




総門をくぐり、右側に少しだけ進むと、立派な楼門が現れますよ。 こちらの楼門は本殿同様元禄13年に造営され、昭和58年重要文化財指定されたんだそうです。 そしてななななんと! 南側、楼上の額は「東郷平八郎」の筆によるものなんだそうですよ。 管理人が歴史上の人物で大尊敬する偉人の一人! これは貴重です。

三間一戸で、入母屋造。 屋根は現在銅板葺であるが、当初は栩葺(とちぶき)であった。 純和様の様式であり、壁や柱は丹塗である。 楼門内にある随身像は俗に「左大臣・右大臣」と称されるが、正面向かって右像は武内宿禰、左像は藤原鎌足と伝えられている。 この楼門は、神宮のシンボル的な建物に位置づけられている。 by wikipedia  






そして〜! 楼門の先には本殿がありますよ。 これまで朱色の建物がほとんどでしたが、本殿は黒っぽい雰囲気で、とても厳かです。 屋根は茅葺でとても綺麗に整えられています。 黒色の建物に金色の装飾が施されていますが、黒と金の組み合わせって個人的にすごく好きなんですよね。  これはとても良い本殿ですね〜。

本殿は、元禄13年(1700年)の造営。 三間社流造、檜皮葺で、南面している。 この形式の社殿としては最大級の規模である。 前面の庇部分を室内に取り込んでおり、背面にも短い庇を有している。  重要文化財指定時の名称では「流造」と記されているが、背面に庇を有することから両流造の一種とする見方もある。 壁や柱は黒漆塗で、黒を基調とした特徴的な外観である。 屋根は現在檜皮葺であるが、かつては柿葺であったとされる。  様式は近世前期を象徴するもので、桃山様式が各部に見られる一方、慶長期の手法も取り入れられている。 昭和の大修築に際しては、本殿にも大規模な修繕が行われた。 この本殿に関しては、かつて神宮に存在した「アサメ殿(あさめどの)」という社殿を継承すると見られているほか、通常の両流造では本殿内の神座が身舎(大梁の架かる建築構造上の主体部)に設けられるのに対して、背面庇(身舎の周囲に取り付く部分)にあるという異例の形式が指摘される。 by wikipedia  


このような由緒ある神社では、本殿だけでなく、他にも神様をお祀りしている社があったり、神樹があったり、見どころがとても多いです。 ここ香取神宮でも本殿を見終わってそのまま帰ってはいけません!  本殿の裏側にまわり、神様たちにお参りしていこうと思います。

こちらは三本杉。古い巨大な杉が3本立ってます。 後冷泉天皇が「天下泰平」「社頭繁栄」「子孫長久」の三つの願いが成就すればこの杉が自ら三岐に別れん、と祈願したら、1株の杉が三岐に別れたんだそうです。 それ以来、こちらの杉は三本杉と呼ばれるようになったそうです。  





摂社匝瑳神社 香取大神の親神で
御祭神は磐筒男神 磐筒女神だそうです


末社櫻太刀自神社 御祭神は木花開耶姫命
安産子育ての神様だそうです


摂社鹿島新宮 御祭神は武甕槌神


こちらは旧拝殿で現在は祈祷殿と呼ばれています