丸  岡  城

東尋坊を後にしたのが10:15頃。 ここからは次の観光地「丸岡城」に向かいます。 個人的には今回の旅行の目玉の一つです。 丸岡城は現存12天守の1つです。 管理人は丸岡城に訪れたことで、現存12天守のうち、11の城を制覇したことになります。  やはり城好きにとっては現存12天守は特別なものだと思うのですよね〜。 ちなみにまだ管理人が行けていない現存12天守は岡山県にある「備中松山城」だけになりました。 死ぬ前に一回行っておきたい城なんですよね〜。  しかも備中松山城は山城なので、足が元気なうちに行っておかなければっ!

先程の東尋坊から丸岡城までは車で1時間位でしょうか。 信号があまりないので、結構早く到着することができました。 ただ地域のお祭りをやっていたようで、周囲の駐車場は軒並み満車。 道も規制がかかっていたしね。  コインパーキングもないし、城の周囲をグルグル回っていると、なんとなく停めて良さそうな駐車場を発見! 多分祭りに来たお客さん用の駐車場みたい。 ということでこちらにイ〜ン! なんとか停められてほんとに良かった。 ここまできて城を見れないのは大後悔になってしまうもんね。  そうそう全然関係ないですが、非常に危なかったのが、丸岡城は12月から令和9年度まで大規模修繕の時期に入ってしまうんです。 以前国分寺連合で姫路城に行った時も大規模修繕中で、すっぽり養生されてたもんね。  なかなか福井県ってこれないから、大規模修繕の前に見学できてホントに良かったです。


〜 丸 岡 城 周 辺 の お 祭 & ソ フ ト ク リ ー ム 〜


城の近くの広場で式典でもあるのかな


出店も多く出ておりました


祭の神輿もありました 神輿の上には武将の人形が仁王立ちでした

駐車場に車を停めてお城に向かいますが、途中公園を通って城のある入口まで参ります。 小さな公園を通り過ぎますと、非常に広い広場がありまして、そこでは出店がズラリと並んでおりました。  広場の端の方では椅子がズラリと並び、演台のようなものもありましたので、きっとここで主催者の挨拶などがあるのかもしれませんね。 また公園の反対側には立派な神輿もありました。 きっとこれから街を練り歩くのでしょうね。  神輿の上部には1人づつ武将が立っていましたが、あれは誰なんだろうね。 1人は築城をした柴田勝豊さんのような気がしますが、あと一人は・・・??  



この丘の上に丸岡城が建っています

広場を抜けると、なにやらこんもりした丘が見えてきますよ。 どうやら丸岡城天守はこの丘の上にあるんですね。 何か周囲は平地ばかりなのですが、急にこんもりした丘が見えてくるので、少し違和感がありました^^;  管理人のイメージでは丸岡城は山の中にあるのかなと勝手に思っていたのですが、思いっきり平城でしたね^^; 平地が続く中にこんもりと丘になった部分の頂上が天守みたいです。  平城であっても天守がある所はもう少し高さがある城が多いですが、ここのお城は天守までの高さが大分低いみたい。 防御に問題あり!? でも周囲は平地がず〜っと続いているからこのくらい高さがあれば大丈夫だったのかもしれませんね。  



城の麓にある「ミルクハウス」さん


ソフトクリームうらやますぃ〜

天守までの階段を登る前に、小さな売店がありました。 ここではソフトクリームを売っているみたいですよ。 ここでは「岡」氏がこの旅行4個目のソフトクリームをご購入〜。 今回はすごく食欲旺盛ですね〜^^  食べながら天守までの階段を登って行ったのですが、あまりの暑さにソフトクリームが溶けて、手がドロドロになっておりました^^; 管理人も食したかったのですが、やっぱり胃の調子が悪い・・・ 無念・・・  


〜 丸 岡 城 に 登 ろ う ! 〜


こちらが丸岡城登城へのスタート地点


このような階段が少しだけ続きます

先程のミルクハウスさんのすぐそばに天守に行くための階段がありました。 最初は階段と聞いておじけずいてしまいましたが、そんなに段数もないので、軽く上れることができました。  階段を上ること約3〜4分でチケット売り場と丸岡城八幡神社に到着します。  思ったより階段がキツクなくて良かったです^^  


チケット売り場の横に八幡神社があります


階段下から見るとこんな感じです

こちらの神社は「丸岡城八幡神社」と言います。 こちらは丸岡城内鎮守社として築城以来この地に奉斉されたもので、古い地図にも明示されているそうです。 明治の廃藩後、城郭の荒廃に伴い八幡神社も衰退し、僅かの城下住民有志の信徒によって春明の祭礼が続けられた状態でしたが、 丸岡城の再建復興に際して、残材を活用し再建されました。 これにより往時を偲び城主代々の霊を慰めるとともに、天守永遠の安寧と街の弥栄を祈念するようになりました。   


チケット売り場で入城券を購入します


こちらが丸岡城の入城券です

神社のすぐそばにチケット売り場がありました。 なんだかこじんまりとしたチケット売り場ですね。 ここでチケットを購入してさらに進みます。 入場料は450円。 現存12天守を450円で見れるってお得だね^^  でも思い出してみると、同じく現存12天守の宇和島城とか丸亀城は料金0円だったような!? 今は模擬天守でも観覧料が必要なんだから、もっとお金取って良いと思うのですけどね。 維持費もばかにならないですから。  


〜 丸 岡 城 に 到 着 ! 〜


坂を上るとすぐに丸岡城の天守が見えます!

チケット売り場から少し坂を登ると丸岡城天守が見えてきます。 おお〜これが丸岡城か〜。 木造りの壁がすごく特徴的ですね。 大きさはそんなに大きくなく建物は3階建て。 大きな城と比べると櫓位の大きさしかなさそうですね。  でも現存12天守の中で大きいのは姫路城とか松本城位で、他の城は割とこじんまりとした天守が多いんですよ。 今回の丸岡城は管理人がこれまで見た現存12天守の中では一番古そうな感じでしたよ。 石垣とか木造りの壁とかね。  あと天守の3階まで行って、瓦も凝視してみましたが、瓦もかなり古そうです。 来年から耐震工事などを行うようですが、瓦とか壁などもリニューアルされてしまうのでしょうかね〜。 今の状態の城を見れてホントに良かったです。  


正面の斜め前からの丸岡城


城の入り口側の正面からの丸岡城


入口から斜め左からの丸岡城


左側面の丸岡城 石垣も良く見えます

丸岡城は、1576年に柴田勝家の甥である、柴田勝豊によって築かれました。 天守が江戸時代以前に建設され、今なおその姿を残すのは日本全国で12城のみ。  なかでも丸岡城は、自然のままの石を積み上げた石垣のほか、全部石瓦で葺かれた屋根など、全国的にも稀な古い建築様式を持つお城です。 丸岡城は「霞ヶ城」とも呼ばれ、春に満開の桜に包まれる様は、まさに薄紅色の霞に包まれたようです。 by 丸岡城HPより

屋根瓦も非常に古そうですよ。 今まで見た現存12天守の中では一番古いように見えました。 でも12月に改装工事が行われるので、この良い感じの古さも失われてしまうかもしれません。  できるだけ今の状態を残す形で耐震工事などをして欲しいなと切に願ってやみません。  


〜 丸 岡 城 天 守 に 突 入 ! 〜
( 1 階 )


石段を上がると天守の入り口です


昔の城郭の模型が展示されていました

天守台から斜めに伸びた階段を登り天守の1階に参ります。 入口にはスリッパなどが並べてあり、ここで靴を脱いで中に入ります。 昨日の富山城と異なり、中にはほとんど展示物はありません。 でも個人的には展示物なんていらないんです。  現存12天守ならではの床や壁、屋根、階段がどんな展示物よりも勝ります。 丸岡城は外から眺めてもそんなに大きな天守ではないですが、1階のフロアーは割と広いかなと感じました。 唯一展示されていたのは昔の丸岡城周辺の模型と昔の瓦位でしょうか。  まずは床を踏みしめるように歩き、壁や柱を少し触りながら歴史を感じながら周囲を見渡します。 壁なんてホントにベニア板位の厚さしかないのかな!? 木の色が濃くて、この深い色見も歴史を感じますよね。  また柱や屋根は鉄の釘などはあまり見受けられませんでした。 大きな梁や柱にはほぞがあり、上手いこと材木が組み合わされていました。 とはいえやはりこれだけですと大きな地震には耐えられそうにないような・・・ 耐震工事必要そうですね^^;  


数は少なかったけど狭間がありました


こちらは石落としかな


1階フロアの景色です


こちらが1階の天井 味があります

鉄砲や弓を打つ際に使用する狭間もありました。 天守が小さいからか、狭間の数は大分少なかったように思います。 また城によっては鉄砲の銃身をなるべく広い角度で左右に動かせるように、内側から外側に行くにしたがって狭間の面積が広くなるものもありますが、ここの狭間は内側と外側の面積は同じですね^^  昨日の清風荘のシェフみたいにバキューン、バキューンと行きたいところです。  


これは階段ではなく梯子だよね


2階から1階を見るとこんな感じ こわっ

現存天守に来たときの楽しみは、階段なんですよね。 昔ながらの急な階段。 これを上り下りするのが現存天守の醍醐味の一つと言えるでしょう。 昨日の富山城は外の外観は天守ですが、中はマンションみたいなので、階段などもとても歩きやすいですが、 現存天守の階段はとても急で上り下りしにくいんです。 理由は色々考えられますが、まずは敵が侵入した際の防御のため、あとは、もともと日本の家屋では階段が急なことが普通だった、ということもあるかもしれません。 

管理人も今まで11の現存天守にご来城しておりますが、中でもここ丸岡城の階段が一番急なような気がしますね。 インターネットで調べてみると、諸説ありましたが、あるサイトでは1階から2階への階段は65度、2階から3階への階段は67度と書いてありました。  いずれにしてもやっぱり丸岡城の階段が一番急なんだそうですよ。  


( 2 階 )

さ〜急階段を登って天守の2階にやって参りました。 当然1階よりは床面積は狭いですが、1階と同様にこれぞ現存天守という構造物の造りが非常に見応えあります。 2階の窓は少し大きめでしたね。  一部の窓から外を見ると、木の装飾が組み込まれているものもありました。 今回は木の装飾と外と窓枠を一度に入るように撮影してみました。  丸岡城は平城ではありますが、丘の上に建っているため、景色は非常に良いです。 最初は天守の位置が低いかと思いましたが、実際に外を見てみると遠くまで見渡せますよ。 これは敵の軍勢が来たらすぐに発見できそうですね。  


2階には小部屋もありました 何の部屋?


飾りと風景を同時に激写

こちらには一緒に写真を撮れるようなアニメっぽい絵が書いてある板が飾ってありました。 こういうのはホントにいらないです。。。 現存天守が台無しですよ>_<  アニメの板は全く不要でしたが、これまで色々城を巡ってきましたが、丸岡城は他に類を見ないくらい、中の展示物が少ないです。 よく壁の上の方に各地の城の写真が飾ってあったりしますが、そういうのもほとんどありません。  清々しいまでの潔さ! その意気やよし!という感じですね。  


これが石瓦です やっぱり普通の焼瓦と違うね


こういうのはホントにいらない>_<

さ〜それでは2階から3階に行きますよ〜。 先ほどのデータからすると、この階段は1階から2階の階段よりも急なんですよね。 実際に上った感覚は、1階の階段とはあまり差異を感じませんでしたが、それもひとえに階段があまりに急すぎて、 ちょっとの違いなんて全然気づかない感じなんでしょうね。 階段の長さは1階と同じ位でしょうか。 今回も心して一歩一歩踏みしめるように上りましたよ。   

階段を横から見るとこんな感じ


1階のより急に感じましたよ



( 3 階 [ 最 上 階 ] )

急階段を2つ乗り継いで、最上階にやってきました。 天守というのは一般的に上階に行くほど床面積が狭くなっていくものですが、ここの最上階は特に狭いですね〜。 昨日のホテル黒部の部屋のほうが広いですよ。  でもこのこじんまりした感じがまたいい! 少し前に行った青森の弘前城も広さとしてはこんな感じだったと思いますし、愛媛県の宇和島城や丸亀城などもこの位の規模です。 姫路城や松本城のように巨大な天守も良いですが、 このようなこじんまりとした天守はより味わい深いなとしみじみ思ってしまいます。  


こちらが丸岡城天守の最上階です

こちらの3階は部屋の外に通路はあるものの通路は進入禁止でした。 なので3階の窓から外を見る感じね。 2階でも見えましたが窓からは瓦も間近で見ることができますが、ものすごく古い材質だと思いますよ。 この石瓦が丸岡城の特徴の一つです。  普通天守の瓦というのは焼き物を使用していることがほとんどなのですが、ここ丸岡城の石瓦は普通の石を一枚一枚彫刻して、それを屋根においているんですって。 しかも約6000枚も! これを間近で見れたのは貴重ですね!

駐車場を探すときに、城の周囲を何周も廻りましたが、周囲は住宅地って感じでした。 細い道が入り組んでおり、この道の形状も城の名残なのでしょうかね〜。  


3階の窓から城下町(?)を眺めます


この廂とかすごくいいよね

3階からは外周の通路にでることはできませんでしたが、窓から少し顔を出すと、通路を眺めることができます。 この通路も昔のままなんでしょうね〜。 欄干はそんなに高くないので、確かに外に出てしまったら危ないですね。  昨日ご来店した富山城のように金網を張って転落防止をした上で通路に出れるってのも悪くはないですが、やはり現存12天守で金網が張り巡らされているのは嫌だよね。 通路には出れませんが、金網無しでそのままの姿を見ることができて良かったです。  


3階の周囲にはこのような通路があります



〜 そ の ほ か 丸 岡 城 色 々 〜

城内を見学した後は、少しだけ丸岡城天守のすぐ周りを散策してみました。 後で丸岡城のホームページを見て知ったのですが、周囲には外堀の一部が残っていたり、鯱の石像があったり、一筆啓上石碑という碑があったりしたみたい。  残念ながら今回は見ることができませんでしたが、その代わり、昔の井戸とか小さな祠の写真を激写しておきました。

こちらの井戸の由来が記載されていました。 「天正三年(1575)織田信長が越前の一向一揆を平定後、柴田勝家の甥、伊賀守勝豊が豊島からここに移り築城しました。 豊原は一向一揆の最後の根拠地であったため、この地に築城後も一揆の残党が攻撃をしかけてくることもしばしばありました。  しかしそのたびに、この井戸の中より大蛇が現れ、城に「かすみ」をかけて城の危機を救ったそうです。 この伝説が別名「霞ヶ城」と呼ばれる所以なのです。 現在も春先などに、すっぽりと「かすみ」に覆われた「霞ヶ城」を見ることができます。  


小さな祠


昔の井戸


「丸岡城」の看板があったので天守と一緒に激写!


ここでももちろん3人で記念撮影です


ちょっと離れたところからなるべく平面の丸岡城を激写!