四 天 王 寺

あべのハルカスはなかなか見応えがあってよかったな〜。 さてあべのハルカスの次は、展望台からも見えていた「四天王寺」です。 こちらのお寺は聖徳太子建立七大寺の1つとされている有名なお寺です。 あべのハルカスを下りると目の前がJR天王寺駅。  そこを通り抜け、商店街を抜けると参道が現れます。 天王寺駅からは約10分少々で到着します。

が〜しかし! 先程のあべのハルカスでも少し雨が降りはじめていましたが、商店街を歩いているともう本格的に降ってきました。 今日はここから最後までずっと雨。 でもまぁ3日間ずっと雨マークの予報でしたが、実際は2/3は降らなかったので、 良しとしましょう。



四天王寺は、推古天皇元年(593)に建立されました。 今から1400年以上も前のことです。 『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、 自ら四天王像を彫りもし、この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。

明治以後の四天王寺は、まず明治維新の神仏分離令により、それまで四天王寺に所属していた神社が離され、厳しい状況に置かれましたが、人々からは依然として庶民信仰の寺・お太子さまの寺として深い信仰を受け、 諸行事は従来どおり行われました。

昭和9年(1934)9月21日、近畿一円を襲った室戸台風によって五重塔が倒壊、金堂は傾斜破損、仁王門(中門)も壊滅するなど、境内全域が相当な被害を被りました。 昭和15年(1940)、努力のすえに五重塔が再建されましたが、 それも束の間、昭和20年(1945)の大阪大空襲により、六時堂や五智光院、本坊方丈など伽藍の北の一部の建物を残し、境内のほぼ全域が灰燼に帰してしまいました。

しかしこの時も、各方面の人々の協力を得て復興への努力がなされ、昭和38年(1963)には伽藍が、昭和54年(1979)には聖霊院奥殿・絵堂・経堂が再建、その他の建物も次々に再興され現在ではほぼ旧観に復しています。  さらに、戦後間もなく太子創建の寺であることから天台宗から独立し、和宗を創立。 四天王寺はその総本山として、仏法興隆と太子精神の高揚を本願とする寺として再生いたしました。  また、四箇院事業も、学校法人四天王寺学園を経営し、国際的な視野のなかで仏教教育を実施し、社会福祉法人四天王寺福祉事業団を中心に悲田・施薬・療病の各事業を継承発展させています。 by 四天王寺HPより


参道を歩いていくと、まずは鳥居がお出迎えしてくれます。 こちらの鳥居は建立当時は木造だったそうですが、永仁2年(1294年)に忍性律師によって花崗岩を使用した石造に改められたんだそうです。 こちらの鳥居は吉野・金峯山寺の銅の鳥居、 宮島・厳島神社の大鳥居と並んで日本三鳥居の一つとされています。 この「三大○○」って結構好きなんですよね^^;


鳥居を潜り抜け、左側を見ると「見真堂」が姿を現します。 石碑には「親鸞聖人」の文字が書いてありますよ。  こちらは浄土真宗の祖である、親鸞聖人を顕彰し建立されたお堂なんです。 本尊を阿彌陀如来とし、 向かって右に聖徳太子像、左に六字名号の掛け軸が祀ってあります。 露座の親鸞聖人(見真大師)の御像は、堂横に安置されています。



更に進んでいきますと、正面に大きな門が見えてきます。 門の後ろをよ〜く見ると、左の方からすんごい人が行列していますよ。 どうやらそこにはご朱印を書いてもらう建物があるみたいです。 きっと令和初日を記念してご朱印を貰いにきたのでしょうね〜。  しかしこれは大分待ちそうですね^^; 一時期テレビの散歩番組でご朱印をもらっている風景を見て、管理人もやってみようかな〜と思った時期もありましたが、ご朱印をもらうのにこんなに並ばないといけないなんてちょっと厳しいですね>_<  やらないでよかった^^;

あと門をくぐるときに、内側に船の舵のような形をした円形の物体がありました。 皆さんこの船の舵ようなものをグルグル廻していますよ。 この物体は「転法輪」というんだそうです。 こちらは古代インドの戦車の車輪を形どったもので、 「お釈迦様の教え」という意味があるんだそうです。 参詣者はこれを時計回りに回転させ、仏の尊い教えが車輪のように回転して遠くまで広がる様を表しているんだそうですが、そこらへんにいた子供はもうすんごい勢いでグルングルン廻していましたよ。 このバチ当たりがっ!



こちらは西重門といいます。 ここから先は有料です。 この先は中心伽藍と言いまして、金堂や五重塔があります。 金堂や五重塔では実際に中に入ることもできます。 金堂ではお経をあげている最中でした。



金堂は聖徳太子のご本地仏である救世観音をお祀りし、四方を四天王が守護しています。 毎日11時より舎利出しの法儀が厳修されます。

五重塔ですが、聖徳太子創建の時、六道利救の悲願を込めて、塔の礎石心柱の中に仏舎利六粒と自らの髻髪六毛を納められたので、この塔を「六道利救の塔」といいます。  塔の入口は南北にありますが、通常開放しているのは北側のみで、南正面に釈迦三尊の壁画と四天王の木像をお祀りしています。 なお、この中心壁と外壁の各面に描かれた仏画は山下摩起画伯の筆によるものです。



金堂と五重塔の敷地内に井戸がありました。 こちらは「龍の井戸」というそうです。 四天王寺では、中心伽藍金堂の地下深くに流れる荒陵池の麗水に住む青龍が寺域を守護していると信仰されているんだそうです。





寺院の中は非常に敷地が広く、あちこちにすばらしい建物がありました。 正直後で四天王寺の施設の案内を見たら、廻れていなかった場所も結構ありましたよ。 雨さえ降っていなければ・・・ そして足が終わっていなければ・・・  そう、もうすでに足が痛くなり始めています。 まだ11:15ですよ。 日に日に足が終わる時刻が早まっていますm(_ _)m