姫  路  城

次に参りますのは今回の旅行の目玉! 「姫路城」です〜。 明石海峡大橋そばのJR舞子駅から神戸線の普通電車、新快速を乗り継いで約30分少々で姫路駅に到着します。 姫路駅に到着したのは14:35。  ここから大手前通りを歩くこと約10分で姫路城の入口「桜門橋」に到着します。 とここで。。。空から何やらポツポツと。。。 あ〜ついに雨が降ってきてしまいましたぁ。。。 なんとか午前中は雨が降らずにいたのですが、 ここで管理人の雨男パワー炸裂〜。 今日はこの後、ずっと雨が降っており、時折強く降ることもありました>_<

さてこの姫路城ですが、実は以前国分寺連合の旅行でもやってきておりました。 しかしその時は平成の大改修で姫路城がすっぽり養生されており天守を見ることができなかったのですよぉ。。。 更にその時は改修中の姫路城を見学できるということだったのですが、 なんと中に入るのに1時間待ち! さすがにそこまで待てなかったので、西の丸を見学して、外から養生された姫路城を見て帰ったのでありました。 今回はちゃんと改修も完了していますし、是非天守に上りたいと思います。




JR姫路駅から姫路城までは、大手前通りという大通りを一直線に歩けば到着します。 もう姫路駅前から遠くに姫路城が見えていますよ。 この通りには姫路城ループバスというバスが運航されているようで、大人100円で近くの観光地を周ることができます。  平日は30分に一本、休日は15分に一本の間隔で運航しています。 行く先は姫路城だけでなく、美術館や博物館なども経由しているようです。 姫路駅に着いた時には管理人もお嫁さんも足が終わってしまっていたので、事前に知っていればこのバス乗ったのになぁ。。。  ちょっと事前調査が足りませんでした>_<


こちらが姫路城ループバスです
レトロな雰囲気ですね〜

お堀にたどり着く前にも、石垣がありました。
中ノ門跡なんだそうです。

JR姫路駅から歩くこと10分少々で「国宝 姫路城」に到着しました〜。 姫路城前石碑とその後ろには「桜門橋」が見えます。 この現在の桜門橋は発掘調査で出土した橋台の遺構を活かしながら、江戸時代の木橋をイメージして築いたものです。  幅7m、長さ22mあり、平成19年2月に完成しました。




桜門橋を渡ると大きな門が現れます。 こちらは大手門です。 こちらも現存遺跡ではなく1938年(昭和13年)に建てられたものなんだそうです。 でもなかなかに重厚感があって威厳を感じる佇まいですよ。

姫路城は、兵庫県の姫路市にある日本の城で、江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存し、国宝や重要文化財に指定されています。 また、主郭部を含む中堀の内側は「姫路城跡」として国の特別史跡に指定されると共に、 ユネスコの世界遺産リストにも登録され、日本100名城などに選定されています。 別名を白鷺城(はくろじょう・しらさぎじょう)と言います。 by wikipedia


大手門


大手門を潜り抜けると、大きな広場に出ます。 この広場は姫路城の三の丸跡です。 ここからは天守の真正面の姿を綺麗に見ることができますが、今日はあいにくの雨・・・ やはり色が白い城のバックは青空であってほしかった・・・  この三の丸跡の周りには桜の木が植えられており、春になると見事な桜の花を咲かせます。 以前国分寺連合で来たときは丁度桜の時期で、桜祭りをやっていましたね。 桜と天守の景色も最高に良いと思いますよ。 

国宝姫路城は平成5年12月、奈良の法隆寺とともに、日本で初の世界文化遺産となりました。 世界文化遺産とは、文化庁が国宝や重要文化財などに指定している歴史的、普遍的価値のあるものの中から推薦。 イコモス(国際記念物遺跡会議)の審査を経て、ユネスコの世界遺産委員会で正式に指定されたものです。  現在指定されている世界遺産は、エジプトのピラミッド、フランスのベルサイユ宮殿、中国の万里の長城などがあります。 いずれも芸術的価値のあるものや、時代を象徴するものばかりで、姫路城は17世紀初頭の日本の城郭建築を代表する史跡建造物として評価を得ました。 by 姫路城HP


三の丸跡の広場

三の丸跡から見た姫路城天守


三の丸跡を通り過ぎると、天守への入口が現れます。 入口では係員の方のアナウンスで「天守最上階までの待ち時間は2時間」とのこと・・・ 既に足が終わっているのに、更に2時間も待つのは結構チビシイなぁ。  2時間待ちじゃぁお嫁さんも「やめる」って言うかと思ったのですが、一応聞いてみると「待つ!」とのこと。。。 よっしゃ〜、せっかく来たんだし、天守まで上りますか! 実際に待ち時間を計測していましたが、 1時間40分ほどで天守に登頂することができました。 でも雨の中1時間以上待つのはホントに辛かった〜^^;



天守入口を過ぎるとすぐに渋滞に・・・ 少し進んでは止って、少し進んでは止っての繰り返し。 でも姫路城は天守に行くのには周囲をグルグルと周りながら中心に近づいていくので、色々な方角から天守を見ることができるんですよ。  また天守だけでなく、塀や石垣もなかなか趣がありますよ。 もしも空いてたら、さっさと進んで見過ごしてしまいそうな部分も、今回はじっくり見ることができたので、その点では混んでて良かったと思うこともありました。








内曲輪は大きく分けて本丸・二の丸・三の丸・西の丸・出丸・勢隠曲輪の多重構造になっています。 さらに内部は、いの門・ろの門などいろは順に名付けられた門などによって水曲輪・腰曲輪・帯曲輪などの曲輪に細かく区切られています。  各門には「いの門」とか「ろの門」などと表示もされているので、どこまで進んだかが分かるようになっています。 しかしこれだけ色々な門があって、しかも途中には矢狭間、鉄砲狭間などもあり、櫓からは石落としもあって、防御力は最強クラスですね〜。  攻めようとしてもなかなか天守に近づくことができない構造になっていました。


「はの門」


「にの門」


「ほの門」 結構背が低いです


なぜかここは「水二門」って書いてあった


「水六門」まで進んでくると、ようやく天守に入ることができます。 雨で傘をビニールに入れたりするので、余計に混んでしまうんですね>_< 天守の中は昔のままの姿なんでしょうか。 古めかしい木造です。 大改修のときは、 このような木材を全て取り外していると思うんですが、これだけの規模の建物を改修するのって本当に大変だと思いますね。 

姫山の地に初めて砦が築かれたのは1333年、赤松氏の時代といわれています。 以来、13氏・48代が城主を務め、戦塵にまみれることなく今日にいたっています。  赤松氏の後、西国統治の重要拠点として羽柴秀吉、池田輝政、本多忠政が城に夢を託して拡張、いま見られる全容が整ったのは戦乱の世が落着いた1617年のことです。 by 姫路城HP




所々に窓があり外を眺めることができます。 今まで見た城は、外を見ると四方が開けていることが多いのですが、姫路城は大天守の周囲にいくつかの小天守がありますので、窓から小天守しか見えない、、、なんて場所も結構ありました。  これも姫路城ならではの景色ですね〜。

「姫路」の名は、播磨国風土記に出てくる「日女道丘」からきています。 神代の昔、大汝命(おおなむちのみこと)は、その子火明命(ほあかりのみこと)があまりに乱暴者なので、海へ出た際、捨ててしまおうと島に置き去りにして船出。  ところが、船が出てゆくのに気づいた火明命は大変怒り、風波を起こして船を難破させてしまいました。 その時、船や積み荷などが流れ着いた場所に「船丘」「犬丘」「筥(はこ)丘」「琴丘」など14丘の名が付けられましたが、 その一つ、蚕子(ひめこ)の流れ着いたところが「日女道丘(ひめじおか)」で、現在姫路城のある「姫山」であるとされています。 「蚕子」は古語で「ひめじ」といいました。 地名としての「姫路」という呼び方は、江戸時代初期、 池田輝政が姫路城を築き、城下町を整備した当時の文献に見られます。 by 姫路城HP


三の丸跡方面の景色


これはどの方角だったっけ!?


姫路城の大天守は6階建てなんですが、この大天守を支えているのが2本の柱。 1本は「西大柱」もう1本が「東大柱」です。

西大柱の長さは24.8m、直径0.95m。 当初から二本継ぎで、上部が栂(つが)、下部が樅(もみ)だったんだそうです。 一方東大柱は、築城から約50年で根元が腐り始めたため、腐った部分を削りそこに新たな部材をはめ込んで補修されました。  昭和の大修理の際に、台湾檜で根継(ねつぎ)をしました。


西大柱(にしおおはしら)


東大柱(ひがしおおはしら)


天守の外もそうでしたが、天守の中も大混雑。 ところどころで渋滞が発生しています。 やっぱり階段付近が一番混みますね。 昔のつくりだからか、階段はとても急で、手摺に捕まらないと危ない位でしたよ。 上るときは純粋にしんどいのですが、 下りのときも膝が笑ってしまってきつかった〜^^;


こちらが階段です。
高齢の方は苦労されていました。 ぶ〜で〜も苦労しました>_<


所々に石落としがあったり、狭間などもありますが、それ以外にも色々な設備がありました。 いや〜夢にまで見た姫路城天守は最高でしたよ。 そういえば以前テレビの放送で、日本の城ランキングなる番組をやっていましたが、 姫路城は堂々の第1位でした! 混雑しているのはその影響もあるのかもしれませんね。 


こちらが「武具庫」です


天守の屋根です。漆喰が美しいです


こちらは「石打棚」
監視や射撃などを目的とした台で、
兵が登って応戦するための台です。


「武者隠し」という部屋(?)です。
内部に攻め入った敵をここに隠れた兵が
応戦できるようになっています。


西の丸の景色です。
建物の様子がよく分かりますね。


所どころにこれがあったのですが、
これは一体何なんでしょうか。


ようやく天守の6階に到着しました〜。 これまで色々なお城に行きましたが、その中でも最上階がこんなに広いのはなかなかないですね。 最上階には「刑部神社」と呼ばれる神社がありました。 天守に神社があるって初めて見たかも。  刑部神社は姫路城が建てられる前から姫山に祀られていた神社で、現在姫路市に3ヶ所あるんだそうです。 この最上階の神社は明治12年から祀られるようになったんだそうです。 管理人もお参りしておきました。

あと他の城に行くと、天守の最上階では、大体ベランダと言いますか、外に出れるようになっているのですが、姫路城はベランダがないみたいですね。



いや〜長くかかりましたが、ようやく天守内を見学することができました。 天守内を見終わり下に降りると、天守の麓に出てきます。 こちらの広場は「備前丸」と言います。 ここからの眺めもなかなかのものです。 



更に先に進みますと、そこに井戸が・・・ 何々「お菊井」!? そう、こちらは播州皿屋敷の怪談で有名なお菊井戸、「一枚〜、二枚〜・・・」ってやつですね。 これって姫路城が舞台だったんですね。 中を覗き込むと結構深いです。  昼間だからまだ良いですが、夜に見たら結構恐いかもしれませんね。




天守の次は、西の丸にやってきました。 西の丸には「西の丸長局(百間廊下)」と「千姫化粧櫓」があります。 この化粧櫓は、名前の通り千姫にゆかりがあるそうです。 ちなみに千姫は徳川秀忠の娘で、豊臣秀頼の奥さんになった人です。  千姫は大阪夏の陣で大阪城が落城する前に助けられたのですが、その後は本多忠刻と再婚して約10年間を姫路城で過ごしたんだそうです。 化粧櫓には千姫の人形なども展示してありました。 


西の丸から見た天守。
ここからの角度が一番好きですね〜


こちらが百間廊下の入口です。
天守の入場券を買った方はそのまま見学できるそうです。


名前の通り、長〜〜〜い廊下が続きます


途中の窓から外の様子を激写


このような部屋がいくつもあります
女中さんとかが使っていた部屋なのかな


一番奥に千姫様がいらっしゃいました



さ〜、天守も見たし、西の丸も見たし、姫路城は盛り沢山だったな〜。 あとはお嫁さんがお土産物タイムに。 お嫁さんはこれだけ歩き回って足が終わっているのに、お土産となるとテンションが上がるんですよねぇ。。。 不思議です。  管理人はお土産物には興味0なので、外で待ちぼうけ。 でもよく見てみると、何かあるぞ。。。 近寄ってみると、まだ見るものあるじゃないですか〜。 これはお嫁さんがお土産を見ている間に行っとかなければなりません!


こちらは「天守の庭」です。
「天守の庭」では、大天守の人工地盤建設にあたり、
不要となった礎石を元通りに配置して天守台の平面図を再現したものです。


こちらの石垣にはかの有名な黒田官兵衛が関わった可能性があるだそうですよ。
豊臣秀吉が黒田官兵衛に宛てた書状によると、秀吉は最も頼りとする重臣で
地域の事情に精通している黒田官兵衛にも築城を命じていたんだとか。


こちらは昭和の大修理の際に、柱真に腐っている部分があることが分かり、
取り替えられたそうです。大改修後に創建材の資料としてこちらに展示しているそうです。