犬  山  城

大安食堂で井之頭五郎さんになった後は、一路次の目的地の郡上八幡城に行くことにしました。 当初予定していた白川郷や新穂高は雪のためGiveUp! ということで管理人が行きたかった郡上八幡城に行くことにしました。  が〜しかし! 郡上八幡城にカーナビゲーションをセットしたのですが、下呂温泉から郡上市に向かうためには山を越えなければならない・・・ しかも途中の山道に入ると、標高が高くなるにつれ、道の雪が深くなっていきます・・・  これはさすがにノーマルタイヤだとむ〜り〜。 ということで地図を確認したのですが、郡上市に向かうためにはどうやっても山を越えなければいけないことが判明し、あえなく郡上八幡城は断念! 城を見るよりもまずは無事に名古屋に到着しないとしゃれにならないもんね。  ということで、一旦下呂温泉に戻り、そこから川沿いに南下して名古屋に向かうことにしました。 ここで大活躍したのが「西」氏ナビ! いつも国分寺連合の旅行の際に、道に困ったっときに「西」氏ナビが救世主になるんです。  今回もスマートフォンをフル稼働させて、下呂温泉から名古屋への道のりを指示してくれました。 しかも途中の観光地なども調べてくれて、なななんと! 以前国分寺連合で岐阜・名古屋に旅行した際に、時間切れで見学できなかった犬山城が通り道にあることが判明!!  目的地を郡上八幡城から犬山城に変更して、名古屋方面に向かいました。 下呂温泉から名古屋までは約100kmです。 都心で100kmを走ろうと思ったら、相当時間がかかりますが、ここらへんの道は信号もないし、70km/h平均で走れるほど、全く止まらないので、 意外と早く名古屋周辺まで到着することができました。 「西」氏ナビゲーションはホントに頼りになります。


〜 途 中 の 道 の り 〜

前述の通り、大安食堂から郡上八幡城に行くには、昨日モネの池から下呂まで来た道と同じような道を通らなければなりませんでした。  途中までは順調に走行していたのですが、大安食堂を出発して45分位経ったあたりでしょうか。 ある地点から山越えに入りまして、山を上っていくに従って、雪が道路を覆っていきます。  郡上八幡城に行く気満々の管理人ではありましたが、さすがにこれ以上の走行は無理と判断し、途中でUターンして、戻ることにしました。  


この山を上っていったのですが、雪のため途中で断念!

他のページでも少し触れましたが、ここら辺って全然道の駅がないんですよ。 寒いし皆さんトイレも近くなっているのですが、全然トイレ休憩を取れるような場所がありません。 ↑でUターンしてから約1時間経ったところでようやく道の駅が見つかりました。  丁度1時間位経ったので、ここで道の駅によりたいと思います。 今回の旅行ではまだソフトクリームを一回も食していないんですよね。 チャンスはあったのですが、全部スジャータだったからね^^;  こちらの道の駅は、「ぬく森の里温泉」という道の駅でした。 温泉だったらソフトクリームあるでしょう。。。と中に入ると。。。ソフトクリームな〜いっ! もしかしたら温泉の中に入ったら食事処などがあってソフトクリームもあったのかもしれませんが、入場料が必要だし・・・  ということで今回も諦めました>_<  


こちらが道の駅「ぬく森の里温泉」の建物です

そして〜〜! 久々に「頭」氏ダウンの写真が撮れました。 「頭」氏は移動中ダウンすることが多く、今回も2日目は何度かダウンしていましたね〜^^  まぁホテルではイビキ軍団の「西」氏と「増」氏のそばで寝ていたので、多分イビキがうるさくて眠れなかったのではないかと申し訳ない気持ちで一杯です。  「頭」氏も全然イビキかかないので、イビキ部屋は「西」氏と「増」氏の2名にしたほうが良いのかもね^^;  


久々の「頭」氏ダ〜ウン!!


〜 犬  山  城 〜

「大安食堂」を出発したのが11:35、「ぬく森の里温泉」を出発したのが13:15頃。 そして犬山城に到着したのが14:40でした。 昔犬山城にご来店したときは、電車で行って、駅から歩いて城まで行ったのですが、そのときと大分景色が違うような気がしますね。  でも同じだったのは、ブヨが多すぎってこと^^; 今回も犬山城周辺ではブヨがものすごいこと飛んでいました。

実は犬山城周辺に到着したのは、15分前位(14:20頃)だったのですが、犬山城の駐車場が大混雑で、駐車場待ちが15分以上はありましたかね。 NHKの大河ドラマで徳川家康をやっているためなのか、七五三でご来店している人が多かったからなのか、 駐車場は大混雑でしたよ。 でもある程度待っていると、スムーズに進むようになって、無事駐車することができました。 危なく諦めそうになっていましたが、無事にご来店できてホントに良かったです。

駐車場のすぐ横には「犬山丸の内緑地」がありました。 多分当時の城の一部の土地を緑地にしたものと思われますね。 特に何があるわけでもないですが、地元の方の散策コースみたいな感じかもしれませんね。  


「犬山丸の内緑地」の入り口です


緑地の中はこんな雰囲気でした

「犬山丸の内緑地」を通り抜け、少し進むと、犬山城の天守が見えてきましたよ〜。 犬山城は木曽川のすぐわきの小高い山の上に建っているのですが、犬山城に向かっている車中から、山の上にそびえる犬山城を見ることができました。  ホントは木曽川沿いからも犬山城の写真を撮影したかったのですが、さすがに運転中は無理でしたね^^; 山の上にそびえる犬山城は、昨日も通りがかった岐阜城とちょっと似ているかもしれません。  今回は駐車場から犬山城に向かう途中で横からの犬山城を見ることができたので、激写しておきました。  


左には木曽川、右には犬山城


天守閣をアップで撮影しました

あと少しで犬山城の入り口にってところで、人だかりが出来ていましたよ。 聞きなれない楽器の音と共に、何か民族衣装っぽいものを着た方が踊っているようです。  あまりこういうのは詳しくないのですが、何かの伝統芸能なのでしょうかね。 中央にはオレンジの衣装を着た方が舞っており、その周囲には楽器を携えた人たちが曲を奏でています。  こういうのって初めて見ましたが、見事なものですね〜。   


これなんていうのか分かる方教えてください〜


最後にバッチリポーズを決めてました

さ〜、犬山城の入り口にやってきましたよ〜。 入口には立派な石碑がありまして、「国宝 犬山城」と彫ってありました。 そうとに大きな石碑で、これほど大きな石碑はあまり見たことがありません。  さすが現存12天守の1つにして、国宝なだけありますね〜。 

前に国分寺連合で犬山城に来た時は、到着が遅かったため、城を見ることができなかったんですよね。 唯一管理人が閉まった門の上によじ登り、天守の写真を撮影しただけだったのですが、以前来た時って、こんな石碑あったっけ!?  何か見ている天守の角度も違うような気もしますし、もしかしたら別の入り口から入ろうとしたのかもしれませんね。  


「国宝 犬山城」と書いてあります。立派な石碑ですね〜

石碑を通り過ぎますと、赤い橋があり、その先は坂道と階段になっています。 天守までの道のりはそんなに遠くはありませんで、普通に歩けば徒歩5分少々といったところでしょうか。 でも「頭」氏と管理人は途中にあった神社なども含めて写真を撮りまくりでしたので、結構時間がかかっちゃいました。  神社などにつきましては、また後程ご紹介したいと思います。

天守までの道のりは緩い坂道&階段になっていますが、両脇に石垣があったり、かなり昔のままの姿が残っていることを実感しますよ。 きっとこの坂も綺麗に整備はしてあるとは思いますが、昔のままなのではないかと思います。  


石碑を過ぎるとすぐに赤い橋があります


橋を渡るとゆるゆると坂道が続いています


途中にはいくつか神社も点在します


もう少しで本丸鉄門に到着します

先程の赤い橋を渡ってから、本丸にある鉄門までは約5分程度で到着します。 意外に近かったです。 途中には三光神社の赤い鳥居が連なっている所などがあって、写真小僧の心をくすぐるスポッツがいくつもありましたが、あまりゆっくりしているとまたはぐれてしまうので、またあとで三光神社は撮影したいと思います。  さて鉄門のすぐ手前にチケット売り場があります。 入場料は大人1名550円。 現存天守の内部にも入れることを考えると、550円なんて安いもんですよね。   


途中の券売所でチケットを購入〜550円也


券売所のすぐ先に本丸鉄門があります

鉄門の下がゲートになっており、ここでチケットを渡し、中に入りますよ〜。 おお〜〜〜! これが犬山城か〜〜〜! なんだか前に門をよじ登った時の景色と大分違います。 一見して普通の天守とちょっと違うなと思ったのは、天守って正面を向いて、左右対称なことが多いのですが、 犬山城は左右対称ではないね。 向かって右側に何か部屋らしきものがあるもんね。 これは珍しいのではないでしょうか。 こちらの部屋は「付櫓(つけやぐら)」というそうで、天守の入り口が敵兵に破られそうな時、側面から攻撃を加えて防備する櫓なんだそうです。 

犬山城は中に入城することもできたのですが、今日は混雑していて中に入るのに40分待ちなんだって。 さすがにいくら時間い少し余裕があるとはいえ、40分待ちはちょっとチビシイよね^^; 現存天守なので、中に入って構造なども見たかったですが、 ここは諦めることにしました。 また今度時間に余裕があるときに入城してみたいと思います。 多分現存天守で中も昔のままなので、きっと見ごたえがあると思いますよ。  


丁度紅葉していて天守がとても良い感じです


【ご参考】2012年の旅行の際に門をよじ登って撮影した犬山城

今日は入城できない分、外から写真を撮りまくっておりました。 やっぱり犬山城の天守はとても良い形をしていますね〜。 犬山城は通称は白帝城と言います。 平山城で、天守構造は望楼型・三重四階地下二階・複合式天守となっています。  天守の高さは地上から約24m。 築城したのはなんと織田信長さんの叔父にあたる織田信康という方になります。  天守は現存する日本最古のもので、扇状地である濃尾平野の扇の要に位置しており、戦国時代はこの城を誰もが狙っておりました。 信長・秀吉・家康がそれぞれの時代に犬山城を手にしたことで天下人への道を切り開きました。  





築城から現在までの犬山城の歴史はこんな感じです。 主要と思われる部分をピックアップしています
・天文6年(1537)、織田信長の叔父、織田信康によって木之下城より城郭を移して築城。 木曽川沿いの小高い山の上に建てられた「後堅固の城」で、中山道と木曽街道に通じ、木曽川による交易、政治、経済の要衝として、戦国時代を通じて重要な拠点となった。
・天文16年(1547)、織田信秀が美濃(岐阜県)の斉藤氏を攻めた「稲葉山城攻め」に出陣した信康が死去し、その子織田信清が城主となるが、織田信長に反抗したため攻められ、織田信長の家臣で乳兄弟、池田恒興が入城。
・天正10年(1582)「本能寺の変」で織田信長が倒れて後継者争いで世の中は乱れ、天正12年(1584)に秀吉対徳川家康・織田信長の次男信雄との間で「小牧・長久手の戦い」がはじまる。 当時の犬山城主は織田信雄の家臣、中川定成だったが伊勢へいって不在であり、池田恒興が木曽川をわたり城内に侵入し、落城した。 後に秀吉が入城。 以後、小牧山城に陣を構えた家康とにらみあいが続いたが、両者の間で和が結ばれ、犬山城は織田信雄に返還。 その後、犬山城主はめまぐるしく変わったが、文禄4年(1595)秀吉の家臣石川光吉が城主に、慶長5年(1600)、関が原の合戦後、家康側の小笠原吉次が入城。  





・江戸時代に入り、元和3年(1617)尾張徳川家の重臣成瀬正成が拝領。 このとき改良が加えられ、現在の天守の姿ができたといわれている。 以後、成瀬家が幕末まで城主を務めることになる。 ・明治4年(1871)廃藩置県で愛知県の所有となり、天守以外のほとんどの建物が取り壊される。
・昭和10年、国宝に指定された。 昭和27年規則改正にともない国宝に再指定された。 昭和40年(1965)解体修理完了。 全国唯一の個人所有の城として保存されてきたが、平成16年(2004)、「財団法人犬山城白帝文庫」の所有となって現在にいたる。  





こちらは天守の横に立っている神木「大杉様」です。 城に入るのを待っている行列があったので、良い角度で撮影することができませんでしたよ。 完全に別の木が邪魔になってしまいました>_<

この杉は元々、犬山城よりやや背が高く、伊勢湾台風の際、落雷があり枯れてしまいました。それ以降、地元の住民は、杉の木が犬山城の身代わりになってくれたとして、しめ縄をして祀っているというものです。  


別の木に隠れてしまった神木「大杉様」。。。
肝心な部分が写ってない>_<

名残惜しいですが、そろそろ城を降りますかね〜。 帰りは行きにも通った本丸鉄門をくぐって帰ります。 行きには気が邪魔であまりいい写真が撮れませんでしたが、帰りには本丸側から見た門の全体像が分かる写真が撮れました。  ちなみにこちらの鉄門は復興された建物で当時のものではありません。   


本丸側から見た鉄門


こちらが本丸の外から見た鉄門

本丸周辺や鉄門付近には野面積みの石垣を見ることができます。 恐らくこちらの石垣も積み直しはしていると思いますが、当時のものではないかと推測します。 ここらへんは野面積みの石垣ですが、管理人は気付きませんでしたが、 他の石垣は別の積み方をしている部分もあるそうですよ。 もう少し時間があれば探したのですけどね〜。 また次回ご来店のときにとっておこうと思います。  


野面積みの石垣、これも当時のものでしょうか


鏡石なんでしょうかね、すごく巨大な石です


最後に皆で記念撮影です〜


〜 神  社  色  々 〜

まずは天守のほうをご紹介しましたが、石碑の付近や、少し坂を登ったところには神社が2つありました。 また石碑から駐車場に向かう途中にも神社があったのです。 こんなに近くに神社が密集しているのも珍しいかもしれませんね。  その中で一番豪華に見えたのは、「三光稲荷神社」ですね。 創建は明らかでないそうですが、天正14年(1586)の伝承があるそうです。 犬山城内三狐寺山(さきほどの丸の内緑地公園内)に鎮座し、織田信長の叔父織田信康公の崇敬殊に厚く、また犬山城主成瀬家歴代の守護神として天下泰平、五穀豊穣、商売繁昌、交通安全の祈願を籠め数々の神宝を寄進されています。  現在の地には、昭和39年10月に移築されたそうです。  


こちらが神社の入り口になります


こちらが三光稲荷神社の拝殿と思われます


手水舎がちょっと変わった感じだね


赤い鳥居のトンネルが特徴的ですね

三光稲荷神社のそばには猿田彦神社がありました。 これは全然別の神社かと思ったら、三光稲荷神社の境内社なんだそうですね。 でも独立した存在で「尾張猿田彦神社」とも呼ばれているそうです。 交通安全の神様なんだそうですよ。 

全然関係ないですが、三光稲荷神社と猿田彦神社をご紹介しましたが、この他にも針綱神社というのがあったみたい。 ちょっと記憶が・・・ 管理人が観光地でよくやる、1つだけ見忘れてしまうパタンね^^; 七福神のうち6体までしか見てないとかね^^;  これも次回ご来店したときにとっておきたいと思います。  


こちらが猿田彦神社です

駐車場に一番近いところにある神社が「犬山神社」です。 鳥居は立派ですが、拝殿は割とこじんまりとしていますね。 かなり歴史は古いそうで、歴代の犬山城主をまつる神社なんだそうです。   


こちらが犬山神社の鳥居です


犬山神社の拝殿に到着!

いや〜、前回ちゃんと見れなかった犬山城をしっかりと目に焼き付けることができましたよ。 でも残念ながら天守の内部に入ることができませんでしたので、また今度ご来店したときは天守の中も見ないといけないし、 神木「大杉様」についても、他の物が邪魔しない状態で撮影したいし、針綱神社もお参りしたいし、宿題が沢山だね^^;