宇  和  島  城

鯛飯を食したあとは、お店から車で5分のところにある宇和島城に参ります。 こちらの城も100名城の1つで、現存天守を持つお城なんですよ〜。 なんと! こちらのお城も今治城でもご紹介した藤堂高虎さんの作!  藤堂高虎さんは本当に色々なお城を手がけているんですね〜。

先ほどの鯛飯のかどやさん周辺もそうでしたが、宇和島城の周辺もひっそりしていますねぇ。。。 いくら平日とは言っても、とても現存12天守の1つとは思えませんねぇ。  宇和島城の入口付近に駐車場がありまして、ここに停めて徒歩10秒で入口に到着します。 駐車場も車はスカスカだし・・・ 空いているのは良いのですが、一昨日からずっとこんな感じなので、少し賑わいが恋しくなって参りました。

先ほどの四国カルストはゆっくりと見学いたしましたが、宇和島以降は少し巻き気味で行動しないといけません! ここで宇和島城を見て、そのあと大洲城を見て、そのあと空港までいかないといけませんからね! 飛行機に乗り遅れたら大変です!




宇和島城は、中世期にあった丸串城(板島城)の跡に藤堂高虎によって築かれた近世城郭である。 標高74メートルの丘陵とその一帯に山頂の本丸を中心に囲むように二ノ丸、その北に藤兵衛丸、西側に代右衛門丸、藤兵衛丸の北に長門丸を中腹に配置し、 麓の北東に三ノ丸、内堀で隔てて侍屋敷が置かれた外郭を廻らせる梯郭式の平山城で、東側に海水を引き込んだ水堀、西側半分が海に接しているので「海城(水城)」でもある。  現在見られる、天守などの建築は伊達氏によるものであるが、縄張そのものは築城の名手といわれた藤堂高虎の創建した当時の形が活用されたと見られている。 五角形平面の縄張り「空角の経始(あきかくのなわ)」は四角形平面の城と錯覚させる高虎の設計で、 現に幕府の隠密が江戸に送った密書には「四方の間、合わせて十四町」と、誤って記された。 宇和島城には本丸天守から、原生林の中を抜ける間道が数本あり、西海岸の舟小屋、北西海岸の隠し水軍の基地などに通じていた。  宇和島城には「空角の経始」、間道、隠し水軍などの優れた高虎の築城術の秘法が、見事に生かされた城だったのである。 by wikipedia




こちらが宇和島城への入口です。 入口はここ1箇所なんでしょうかね〜。 この入口をくぐりますと・・・ なんだか見慣れたものが。。。 これって山道を歩くときなどによく置いてある「杖」ですよね・・・  これって今まで、熊野古道とか、富士山とかでも見たことありますよ・・・ これが置いてあるってことは、坂または階段が急!? とりあえず、管理人は杖は使わなかったのですが、お嫁さんは杖を借りて上ることにしました。 





なななんと! 歩いてほどなく分かれ道が・・・ 天守に上るための道が2つに分かれているではありませんか! 看板を見ると、1方の道は急だけど距離が短い。 もう1方は坂は緩やかだけど距離が長い・・・ う〜ん究極の選択です!  さんざん考えた挙句、管理人は急坂を、お嫁さんはゆるやかな道を選択しました。 今回は初の試みでそれぞれバラバラに上ることにしました。

でも確かに急坂&急階段はきつかったですが、距離が短かったのでなんとか登り切ることができました。 熊野古道の時や、戸隠神社では坂や階段が延々と続いていたため、途中で心臓が破裂してしまいましたからねぇ。。。  でもゆるやかな坂をチョイスしたお嫁さんは、それでも途中でダウン〜! 途中で引き返して近くを散策しておりました^^; 元々お嫁さんはそんなに城に興味ないからね^^;





この石垣や階段も歴史を感じますね〜。 こちらもきっと当時のまま残されているのだと思います。 こういうのは野面積みっていうんでしょうかね〜。 確か石垣の積み方には数種類位あったんですよね。 その中でも野面積みは初期のほうに多く用いられた工法です。  この石垣も触ってみると、当時の様子が頭に浮かんでくるようです。 きれいな石垣よりも、こういう歴史を感じる石垣のほうが当時をイメージしやすいですね^^




なんと丁度疲れてきたところに、井戸がありました。 こちらは「井戸丸跡」と言うそうです。 この井戸丸というのは狭小な郭ですが、虎口に石垣・矢倉・門を厳重に備え、水の手を守る堅牢な構えを持っていました。  式部丸にも井戸はありますが、この井戸丸のものが大きく、直径2.4m、深さ11mあるそうです。 谷地形をうまく活かして、地下に流れる水道から湧き水させる井戸になっているんだそうです。  これってもう1つのゆるやかな道を進んでいたら見れなかったね。 らっき〜^^





入口を通り抜けてから約10分少々で、ようやく本丸の下までやってきました。 管理人は気づかなかったのですが、こちらの石垣は、同じ面で2つの積み方の違いがあるんだそうですよ。 一部はノミで加工した石材を用いる「切込ハギ」、 もう一方は、玄翁加工石材を用いる「打込ハギ」で、間詰石はあまり使わず、隙間なく組み合わせて積み上げられています。 また隅角部は石材の長さを交互にしながら積む「算木積み」が徹底されていません。 また石垣の右下半分は自然石材を 使用した「野面積み」です。 これらの特徴から見て、「切込ハギ」の部分は17世紀諸島に築かれたもので、「打込ハギ」のほうは幕末頃に修理されたものだと考えられているそうです。









途中ベンチがあったので休み休み登ってきましたが、登り始めてから約15分位で無事天守に到着しました〜。 天守のある本丸は天守の大きさからすると割と広めで、天守の前には本丸御殿と思われる建物の礎石が並んでいました。  この本丸御殿跡と天守以外は見事に何もないですね。 少し小高い天守台の上に、3重3階のこじんまりとした天守が鎮座しています。 大阪城や姫路城のような大きな城もいいですが、個人的には結構こういうタイプの城も好きなんですよね〜。  以前も行った犬山城とか丸亀城とかね。 一見すると天守ではなく櫓!? と思ってしまうような規模ですが、これがまた良い雰囲気を醸し出しています。




天守の前にある本丸御殿跡にやってきました。 礎石がいくつか整然と並んでいますね。 ここにお殿様が住んでいたんですね〜。 またお殿様の妄想が・・・^^;  今は天守だけしか建っていませんが、当時は天守を囲むように櫓が建てられていました。 「石髪櫓」「御休息櫓」「御鉄砲櫓」「南角櫓」「櫛形門櫓」「北角櫓」「御弓矢櫓」等々、ものすごく多いですね。

城内では天守をはじめ、最も多くの建築物が備え付けられた郭になります。 2006年の発掘調査によって、そのほとんどの建築物の跡を確認することができました。 また建築物跡にそって、雨水を排水する石桶も確認することができました。  確認できた石桶は、阿蘇溶結凝灰岩という阿蘇山周辺でしか採れない特殊な石材を採用した溝で、他の郭では見られない精巧な造りでした。 またそれらの溝をうまく連結して雨水を集水、会所桝や暗梁に引き込んで排水する仕組みを作り上げていました。









最初はお嫁さんが到着するのを待っていたのですが、いくら待っても現れない・・・ これは途中でダウンしたなと判断し、1人天守の中の見学をしてきました。 入館料は200円。 天守が小さいこともあってかお安く仕上がっています。  もちろんGotoトラベルの電子クーポンは使えません^^;

天守の中の雰囲気はさすが現存天守! 柱や天井、階段にいたるまで、木々の形状や色つや、状態が非常に趣深いです。 床なんかも一歩一歩踏みしめるように歩いておりましたが、眼前には武者が駆け回る様子が浮かんできます。









天守の中にはそんなに多くはないですが、鎧や当時の美術品なども展示されていました。 城にある展示物はどこに行っても似たようなものなので、美術品の類は一瞥するだけにしておきました。 早く車に戻らないと、お嫁さんに叱られるからね^^; でもやっぱりマンションみたいな天守で見るのと、現存天守で見るのとでは、鎧兜も見え方が全然違いますよね。 断然現存天守で見たほうが雰囲気を味わえます。




最上階に登ってみると、少し離れたとろこに海が見えました。 下からだと全然分かりませんでしたが、こんな近くに海があったんですね〜。 恐らく宇和島港と思われますが、色々な工場なども見て取れます。  きっと当時の城主もここから海を眺めていたのですね〜。 後ろに回ると、宇和島の街を一望できます。 ここには城下町があったのかもしれませんね。 最近管理人はイマジネーション力が強くなってきたせいか、城に来たりすると当時の景色が頭の中に浮かぶようになりました。



こちらが城山郷土館です。今回はスルー


長門丸跡です。城内最大の郭です


ようやく「宇和島城」の石碑を発見!!

帰り道は確かに緩やかでした

足早に天守を見学して帰路につきました。 行きは急坂を歩いてきましたが、帰りはゆるやかな道で帰ってみました。 すると途中には「城山郷土館」があったり、「長門丸跡」があったりと見どころがまだまだありました。  あやうく急坂で帰って、見逃すところでしたよ。 でもあまり時間もないので資料館には入らず、外観の写真を撮るだけにしておきました。 長門丸跡も歩きながら写真を撮りながら通り過ぎる感じね^^;  ちなみにこの「長門丸」は山上部の中腹に位置する城内最大の郭です。 石垣や櫓についても、城内最長となるものがこの廓に備えられていました。 長門丸という名前は、藤堂高虎配下の重臣の名前に由来するものだと言われ、 伊達家の居城となった後も、その名称はそのまま使用されたそうです。 5棟ある櫓は、伊達家の史料によると、長門丸門両側にある右櫓や左櫓は御門番、西角櫓は能・楽器方、長櫓は御作事、北角櫓は重臣に管理を任せていたという記録があるそうです。

やっぱり宇和島城は来てよかったです。 四国カルストに時間が掛かった場合は、城は諦めようとしていたのですが、道路に信号がほとんどなかったので大分前倒しでスケジュールを進めることができました。 これなら次の大洲城も行けそうです。