書 写 山 圓 教 寺

楽しい旅行もあっという間に2日目になってしまいました。 今朝も6時から朝風呂入って、まいう〜な豪華朝食を食して、観光の準備は万端です! でも若干管理人は二日酔い気味^^; 2日目は有馬温泉から一路姫路に向かいます。  最初の行く先は「書写山圓教寺」です。 実は管理人は聞いたことがないお寺さんだったのですが、行ってみると結構すんごい所でしたね〜。 いろんな意味で^^; でも有名なお寺らしく、寺に向かうロープウェイは行列していました。(寺に行くのにロープウェイって^^;)

有馬温泉からすぐに高速道路の入口「有馬口IC」がありましたので、そこから姫路に向けて出発〜。 でもなななんと!! ETCカードを入れ忘れてた〜^^; ゲートのところでいきなりピンポンピンポ〜ンとアラームが!  運よくバーのない入口だったので、バーへの衝突は避けられました。 また小さいICなため、停められるスペースもなかったし、後続もどんどん来ていたので、結局そのままスルーして次の料金所で正直に事の顛末を申し上げることにしました。  途中はパトカーに並走されて警官に凝視されたり、なんだかおかしなことが多かったですが、料金所について正直に経緯を申し上げると、入場記録が残っていないため、料金所の区間の390円だけ支払って終わりになりました。。。  こんなことあるんですねぇ〜。 とんでもない裏技を見つけてしまったような気もしますが、良い子のみなさんはわざとそんなことしてはダメですよん^^




圓教寺(えんぎょうじ)は、兵庫県姫路市の書写山に位置する寺院で、天台宗の別格本山である。 山号は書寫山(書写山)。 本尊は如意輪観世音菩薩(如意輪観音)。 西国三十三所第27番。 現住職は第140世。  国の史跡に指定されている圓教寺の境内は、姫路市街の北方およそ8kmに位置する書写山の山上一帯を占め、境内地は東西に長く広がる。 市街地から近く標高も371 mとそれほど高くないが、境内地には自然環境が良好に保持され、山岳寺院の様相を呈する。  古来、書写山への登山道として、東坂(ひがしざか)、西坂(にしざか)、六角坂(ろっかくざか)、刀出坂(かたなでざか)、鯰尾坂(ねんびざか)、置塩坂(おしおざか)の6つがあったが、1958年(昭和33年)、東坂に沿ってロープウェイが開通してからは、ロープウェイ山上駅から仁王門を経て、摩尼殿へ上る参道が主となっている。  境内地には、明確な境界線はないが、仁王門などのある「東谷」、摩尼殿付近の「中谷」、大講堂・食堂(じきどう)・常行堂(じょうぎょうどう)および奥之院などのある「西谷」に分けられる。 西国三十三所観音霊場の札所でもある摩尼殿が一山の中心となる堂であるが、圓教寺の本堂にあたる大講堂や、性空の像を祀る開山堂のある奥之院なども信仰上重要である。

西国三十三所のうち最大規模の寺院で、「西の比叡山」と呼ばれるほど寺格は高く、中世には、比叡山、大山とともに天台宗の三大道場と称された巨刹である。 京都から遠い土地にありながら、皇族や貴族の信仰も篤く、訪れる天皇・法皇も多かった。  境内は、仁王門から十妙院にかけての「東谷」、摩尼殿(観音堂)を中心とした「中谷」、3つの堂(三之堂)や奥之院のある「西谷」に区分される。 伽藍がある標高371mの書写山は、兵庫県指定の書写山鳥獣保護区に指定されている。  山内には、姫路藩本多氏の墓所である本多家廟所があり、そこには本多忠刻に仕え殉死した宮本武蔵の養子・宮本三木之助などの墓もある。 室町時代の応永5年(1398年)から明治維新まで女人禁制であったため、女性は東坂参道の入口にある女人堂(現・如意輪寺)に札を納めて帰った。  近年では、2003年(平成15年)公開のハリウッド映画『ラスト サムライ』のほか、NHK大河ドラマ『武蔵』(2003年〈平成15年〉)や『軍師官兵衛』(2014年 〈平成26年〉)、『3月のライオン』『本能寺ホテル』『関ヶ原』のロケ地にもなった。 by wikipedia

書写山の山上にあり、康保3年(966年)、性空の創建と伝えられる。 もとは素盞嗚命が山頂に降り立ち、一宿したという故事により「素盞ノ杣」といわれ、性空入山以前よりその地に祠が祀られていたといわれる。  山号の由来はこの「素盞(すさ)」からのものといわれ、姫路市と合併する以前は、飾磨郡曽左村と呼ばれていたが、この「曽左(そさ)」も素盞に由来する。 創建当初は「書写寺」と称した。  仏説において書写山は、釈迦如来による霊鷲山の一握の土で作られたと伝えられ「書寫山」の字が当てられたのは、その山がまさに霊鷲山を「書き写した」ように似ることによるといわれる。  また一つに、その名は、山上の僧が一心に経典を書写する姿に、山麓の人たちが崇敬をもって称したとも伝えられる。 by wikipedia




有馬温泉から約1時間ちょいで書写山圓教寺の麓のロープウェイ乗り場に到着しました。 一同はてっきり駐車場に車を停めたら、すぐそばにお寺の門があるものと思っていましたが、なんとお寺に行くためにはロープウェイに乗らないといけないのです!  厳密にいうと登山道を登れば行けるのですが、昨日の竹田城の登山で全員超絶筋肉痛に・・・ もう山道は無理で〜っす^^;

ロープウェイ乗り場に来ると、結構な行列ができていました。 書写山圓教寺はそんなに有名な所だったのね・・・ そうとは知らずに大変失礼いたしましたm(_ _)m ロープウェイ乗り場の手前で往復のチケットを購入して列に並びます。  通常ですと15分間隔で運転しているようですが、今日はとても混雑していたし、密を避けるために乗車定員を30名(多分いつもより少なめ)にしていたこともあって、ロープウェイは到着したら待つことなくすぐ出発していました。  なので我々も15分位待ちでロープウェイに乗ることができました。


こちらが圓教寺の全貌です。広い・・・


ロープウェイを待ちますか


ようやく我々の番が回ってきましたよ。 ロープウェイは比較的新しめできれいな外観でしたね。 中も割と広く30名乗っても適切な空間を保つことができました。 運転時間は約4分ほど。 乗っている時間は4分ですが、実際に歩いて登ったら2時間くらいって書いてあったかな。  これはお金で解決させて大正解です!

今日は昨日と異なり晴天でしたので景色も抜群でしたよ。 少しモヤがかかっていたので見えなかったのですが、空気が澄んでいるときはここから姫路城が見えるそうです。 姫路城はこの次の目的地。 こちらも楽しみです!!


こちらが書写山のロープウェイです


乗り込みます!


すぐに出発、ゆっくり登っていきます


25mの鉄塔を通過


ロープウェイで山頂に到着しましたので、先の方まで行ってみますか! でも寺の地図を見たらものすごく広い!! ゆっくり回ったら2時間の道のりなんですって。 これはさすがに時間が足りない。。。 今日はこの後姫路城に行って、そのあとにまた神戸に戻らないといけないからね。  とりあえず、一番メインと思われる建物まで行って、帰る計画としました。

でも眼前には急な坂道が・・・ え〜また坂道!? もう二日酔いだし足は筋肉痛だし、もう無理〜。 ということでまたまた管理人は遅れ始めました。 今回の旅行はわざと登山道や坂道を選んだわけではないのですが、布引の滝でも竹田城でも急な上り坂!  さらに今日も〜^^; これはきついな〜。 でもお目当ての建物はとても厳かな建物みたいだし、是非見てみたい! ということで今日も頑張りましたよ〜^^




坂道の途中には左右のところどころに仏像が立っていました。 最初のうちは一体一体写真に収めていたのですが、途中から坂がきつくなり写真を撮る余裕がなくなりました>_< なので数体で写真は終わりましたが、20体以上あったのではないでしょうか。  坂がきつくなかったら一体一体もっとじっくり見たかったんですけどね〜。






ようやく坂道が終わるとさおこには立派な門が建っています。 こちらは仁王門というそうです。 お寺などにもよく仁王門ってありますが、それと一緒ですね。 門の左右には仁王様が立っておりました。  この仁王様も場所によって少しづつ形状が異なるので、結構管理人はじっくり見ることが多いです。

仁王門は切妻造、本瓦葺、桁行(正面)3間、梁間(側面)2間、三間一戸の八脚門です。 江戸時代初期、元和3年(1617年)に再建され、現在は県指定文化財に指定されています。  安置する木造金剛力士像(仁王像)2体は室町時代の作で、こちらは市指定文化財に指定されています。








仁王門をくぐり抜け、更に進みますと、何か風情のある建物が見えてきます。 これは中に立ち入ることはできないようですが、看板を見ると「壽量院」と書いてありました。 こちらは圓教寺の塔頭の一つです。  承安4年(1174)に後白河法皇が参籠したという記録が残されており、山内で最も格式の高い塔頭寺院として知られているそうです。 建物の構造は仏間を中心として中門をつけた書院造風の部分と、台所を設けた庫裏とに区分され、唐破風の玄関を構えて両者をつないでいます。  当時の塔頭寺院としてはきわめて珍しい構成で、圓教寺型ともいえる塔頭の典型なんだそうです。

石垣も立派ですね〜。 この石垣なんて昨日見た竹田城の石垣を彷彿とさせる立派なものでした。 結構歴史があるものなんでしょうね〜。 石垣にはコケが群生していますね。  ここらへんのコケは「ハイゴケ」「コスギゴケ」「ウマスギゴケ」などです。 書写山では約200種類のコケが生えているそうですよ。  最初の坂は結構キツかったですが、坂を登りきるとなかなか落ち着いた参道を見ることができます。 敷地が広いので、場所場所で景色が違ってなかなか飽きないですよ。














なんとか今日も無事に目的の建物までたどり着きましたよ〜。 昨日と今日の管理人は途中でめげずに完走することができました。 正面には厳かな建物がっ! でもその横で人だかりができてるぞ〜。 見てみると、なんと猿回しをやっていましたよ。  全然関係ないですが、「吉」氏も管理人も大学の研究室ではニホンザルの研究をしておりました!!

いや〜それにしてもよく訓練されていますね〜。 猿もかわいらしいし、芸も本当に達者ですよ。 竹馬に乗ってあちこち走り回る様子にはついつい笑みがこぼれます。 人間とニホンザルの信頼関係があってこその伝統芸ですね!  もう少し見ていたかったのですが、時間もあるし、そろそろ「摩尼殿」のほうを見学しにいきましょう〜。




いや〜それにしてもこれは立派!! こちらは「摩尼殿」と言うそうです。 建物の前から見上げると屋根の内側がよく見えるのですが、この屋根の作りも見事なものですね〜。 整然と規則正しく木材が組み込まれています。  この木材の折り重なりが一つの芸術品を見ているようですよ。 城の天守は無骨な作りが多いような気がしますが、やはり寺院は作りが繊細な気がしますね〜。 同じ建物でも目的や用途によって建て方も大分異なるようです。  これはがんばって坂を上ってきた甲斐がありました。





こちらの建物は中にも入ることができるようですよ。 石段を上がってみると、お経を唱える場所や、奥の仏像のほうも目の前まで行って見学することができるようですね〜。  中はとても広く、本堂の正面には如意輪観世音菩薩(如意輪観音)様が鎮座し、両脇を四天王が固めています。 管理人はこの四天王も大好きなんですよね〜。 増長天、広目天、毘沙門天・・・ あと1つ忘れた>_< 





摩尼殿は兵庫県指定有形文化財に指定されています。 摩尼殿の号は承安4年(1174年)に参詣した後白河法皇による(「摩尼」は梵語で「如意」の意)。 入母屋造、本瓦葺。懸造の仏堂である。  旧堂が1921年(大正10年)12月に焼失した後、再建に着手され、1933年(昭和8年)に落慶したもので、設計は武田五一である。 大工棟梁は帝室技芸員の伊藤平左衛門守道(九代)である。  近代の再建ではあるが、伝統様式による木造建築で、1999年(平成11年)、国の登録有形文化財に登録され、2015年(平成27年)、市指定文化財を経て、2017年(平成29年)に兵庫県指定有形文化財となる。  内陣に造り付けの大厨子は5間に分かれ、向かって左側の間から広目天、増長天、如意輪観音(本尊)、多聞天、持国天の各像を安置する。 いずれも秘仏で、1月18日の修正会(しゅしょうえ)に開扉する。 by wikipedia









こちらの如意輪観音のなんと慈悲深い表情なことか。 非常に神々しくも感じますね。 如意輪観音(にょいりんかんのん、梵名チンターマニチャクラ)は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。  観音菩薩の変化身の一つであり、六観音の一尊に数えられる。by wikipedia

四天王の表情も非常に荒々しいですね〜。 一体一体、表情や法具、ポーズが異なり、とても表現豊かな仏像になっています。 


如意輪観音


持国天


多聞天


増長天


広目天