弘 前 城(弘 前 公 園)

のっけ丼で腹パンパンになった一同は車に乗車し、約1時間ちょっとで弘前市に到着します。 途中は高速道路も乗り継いで参りましたよ。 結構距離あるんですね。 地図で見ると、青森県ってそんなに広い感じはしてなかったのですが、 実際に行ってみると結構広いね^^; 「岡」氏の行程表通り、1時間ちょっとで、念願の弘前城に到着です。 ただ弘前公園の周辺は駐車場難民の車が多く、一番近いと思われる市営の駐車場は何分待っても入場できる気配がしないので、 しびれをきらして、少しだけ離れたコインパーキングに車を停めて弘前公園に向かいました。

弘前城天守の周辺は弘前公園になっておりまして、その中心に天守が鎮座しています。 弘前城は現存12天守の1つで、古よりそのままの天守が残る数少ない城の一つです。  幕末にはもっと現存する天守は多かったのですが、廃城例などで取り壊されたり、大東亜戦争の空襲で焼けたりなどで、現在現存している天守は12になっています。 日本お宝としてこれからも守っていく必要がありますよね〜。  ちなみに管理人はこれまで9つの現存天守を見てまいりましたが、今回の弘前城で10個目となりました。 残りは岡山県の備中高松城と福井県の丸岡城の2つを残すのみとなりました。 いつか全部制覇したいと思います!


〜 東 北 自 動 車 道 で 弘 前 市へ 〜


東北道の景色はこんな感じです


最初に出てきた高舘PAに到着


早くもソメイヨシノを見れました


黒石ICで降りました

のっけ丼を頂いた後は、次の目的地の弘前公園を目指します。 最初は青森市内の一般道を20分位走り、そのあとは東北自動車道に乗りました。 どこのICから乗ったのか覚えていないのですが、 恐らく青森ICか浪岡ICのどちらかだと思います。 一般道はなんとなくですが、信号が変わるのに時間がかかる印象が。。。 気のせいかな!? 東北自動車道は全然車がいなくて非常に快適でした。  途中で最初に出てきた高舘PAでトイレ休憩をして、そのまま黒石ICまで行き、弘前公園に向かいます。 ここらへんはどうやらレストランとか給油所があるようなサービスエリアはないみたいで、トイレと自動販売機が置いてある小さなPAばかりのようですね。  でも青森に来て、いきなりソメイヨシノを見れてとても良かったです。  


〜 弘 前 公 園 に 到 着 し ま し た 〜


弘前公園に到着しました!

まずは近所のコインパーキングに車を停めて、弘前公園に入城いたします。 周囲にいくつか駐車場がありますが、結構混んでいますね〜。 さすが三大桜名所の1つですよ。 先週の土曜日、日曜日の様子を画像で見ると、 屋台や桜並木の道などは人が芋煮のようにごった返していました。 1か月前の桜の開花予想では、今週の土曜日、日曜日が満開の予定だったので、それに合わせて旅行の計画をしていた方が多いのではないでしょうか。  かく言う我々もその中の1組。 しかしながら、今年も例年よりも大分気温が高く、開花予想がどんどん前倒しに・・・ 聞いてみると、弘前公園の桜祭りは以前は5月の連休付近に開催していたんだそうですよ。  でも温暖化の影響などで桜の開花が早まっているため、今年は4月22日からになったそうです。 でも祭りの時期を前倒しをしてもそれをはるかに上回って開花が早まってしまったようなんですね。。。

まず最初にお出迎えしてくれるのが追手門。 その前にお濠がありまして、その堀の脇にはソメイヨシノの木がズラリと並んでいますよ。 さ〜ここの花筏はあるのかい! ないのかい! どっちなんだい! ・・・・・・ない〜〜〜〜っ!  もうお濠の周囲のソメイヨシノは終了しておりました。。。 くぅ〜1週間遅かった・・・ 旅行前は「岡」氏から開花状態の連絡を逐次もらっていたのですが、なんと先週末にはすでに満開になっており、ほとんど散ってしまったのでありました。。。  


追手門と弘前城の石碑です


ここから弘前公園に入城します


こちらが立派な追手門です

弘前公園は、青森県弘前市にある公園で、別名は鷹揚公園(おうようこうえん)、鷹揚園(おうようえん)と呼ばれています。 春には約50種、2,600本の桜が咲く名所としても知られます。  弘前公園は日本の都市公園100選、日本の歴史公園100選、日本さくら名所100選に、公園内の弘前城は日本100名城、美しい日本の歴史的風土100選、人と自然が織りなす日本の風景百選、平成百景に選定されています。 by wikipediaより 

100〇〇や日本三大〇〇は管理人の大好物です^^ しかも弘前公園の桜祭りは「日本三大桜名所」としても有名です。 ちなみにほかの3大桜名所は、吉野山、高遠城址公園なんだそうです。  吉野山はとても有名で管理人でも知っておりましたが、高遠城址公園ってのは知りませんでしたね。 城址公園とあるので、城好きな管理人にはピタ〜リの場所なような気がしますよ。 吉野山もいつかは行ってみたいし、3大桜名所も是非制覇したいと思います!  


追手門を潜り抜けますと視界が開けます


広場の中ではまだ桜が満開みたいですよ

公園内には植物園も併設されており、また公園西側の堀に沿って桜の木が並んでいます。  公園の東西南北には門があり、更に公園の四隅には櫓もありました。 城郭をそのまま公園にして、かつ天守や門、櫓などがこんなに多くある公園は珍しいのではないでしょうか。  大体が櫓は再建されているけど、天守はないってパタンが多いもんね。

公園は上から見ると、長方形になっており、中心部に天守がありますので、当初は公園の外周をグルリと散歩し、最後に天守に向かえればよいなと思っておりましたが、予想以上に園内は広いです。  追手門をくぐりますとと、なんとなく見学順路のようなものがありましたので、今回はこれを踏襲して園内を回ることにしましたよ。 順路に沿って行きますと、ソメイヨシノではないですが、枝垂桜と思われる桜の木が満開でした。  ソメイヨシノは残念な感じでしたが、その代わり枝垂桜が満開状態だったので、かなり満足できました。 広場では枝垂桜の下で花見をしているグループがいくつもありましたし、城のすぐ周囲にも枝垂桜がありました。  結構今日は風が強く、桜の花も大分散ってしまっていましたが、その代わり花吹雪を浴びることもできましたよ。 あまりの強風に花びらがバチバチ顔に当たる感じね^^; 気分はもう遠山の金さん状態です^^;   


二の丸南門です

こちらも重要文化財に指定されている、二の丸南門です。 こちらの建築年代は、築城期まで遡ると考えられています。 二の丸東門と同様に、1階正面の柱にはケヤキ板を、化粧のための鏡板として張り付けるなど内廻りの門としての配慮がなされていると考えられる城門です。  建築当初は本瓦葺でしたが、文化年間に銅瓦を葺いた記録が残っているんだそうです。 追手門も立派でしたが、南門も堂々たる出で立ちですよね。  


こちらは二の丸の未申櫓です


二の丸の辰巳櫓です

公園の四隅には櫓が建っています。 丑寅櫓、辰巳櫓、未申櫓などがそれです。 順路の途中にもいくつも櫓がありましたよ。 ここの櫓はどこも似たような形をしていますね。  お城によっては、城壁の角にある櫓は上から見るとLの字になっているところもありますが、こちらの櫓はすべて天守を小さくしたような正方形状の櫓でした。  天守も良いですが、櫓も個人的には好きなんですよね〜。 櫓ってのは見張りの役割もありますし、敵が攻めてきたときに攻撃する要ともなっています。 また倉庫として使用していることもありますね。  建物のサイズは天守よりも大分小さいですが、その分機能性などは非常に高い構造物だな〜と思います。  櫓の中に入りたかったのですが、どこの櫓も固く閉ざされており、中に入ることはできませんでした。 復元された櫓だと、中に入れることが多いことを考えると、この櫓も昔ながらの櫓なのかもしれませんね。  


商店街は左側だけなんだね


お店の雰囲気はこんな感じです

以前弘前公園のホームページで見たときに、道の両端に屋台が建ち並んで、非常に人でごった返している光景を見たのですが、今日は見ると意外と屋台は少なかったですね。  もっと他の場所にもあるのかもしれませんが、我々が歩いた通りには屋台は5〜6軒位だったかな!? 道も全然すいているし、屋台にはお客さんあまり入っていないし・・・ やっぱり桜が早く散ってしまったので、客も屋台も少なかったのかもしれませんね。  最近「西」氏は「岡」氏や「増」氏よりもよく食べるのですが、「岡」氏「増」氏の2人はもうのっけ丼を食して膨満感・・・ でも「西」氏は食べる気満々です! 天守からの帰りにおでんを食そうと思っていたのですが、今回は時間がかなり押していたこともあり、 気を遣って今回はスキップしてくれました。 屋台は数は少ないもののTシャツを売っていたり、おでんを売っていたり、色々な種類のお店がありました。  


花筏がありましたよ〜!奥の橋は下垂橋です


今度は下垂橋から花筏を眺めます


こちらが下垂橋の風景です

途中で何度か堀を渡るための橋を渡るのですが、一番天守に近い「下垂橋」からは、バッチリ花筏を見ることができましたよ。 これこれ、これが見たかったんですよ! ちょっとだけ花の色が枯れかかっているようにも見えますが、そこはご愛敬!  しっかり散った桜が水の上に浮かび、それが集まって花筏になっていましたよ。 花筏とはよく言ったもんで、堀の水の一面に花びらが敷き詰められ、本当に筏のようになっています。  橋から見る花筏ももちろん良いですが、赤い橋を背景に花筏を見るってのも格別なものがありましたよ。  


こちらでチケットを購入します


チケット売り場のすぐ後ろから入城します

最後の「下垂橋」を渡りきると、すぐ目の前にチケット売り場がありました。 公園自体は無料で入れるのですが、天守や植物園は有料の区画になっています。  天守への入場には320円必要となりますが、現存12天守としては結構お安いほうではないでしょうか。  桜祭りってことで、もっと混んでいるのかなと思っていたのですが、屋台の道もそうだったけど、そんなに言うほど混んではいなかったような気がしますね。  まぁそれでも、天守を高台から見れる展望台や天守への入り口などはそれなりに混んでていて、5〜10分は待つような感じでありました。  


かなり大きな石を使用していますね


石垣の後ろに弘前城の天守がチラリ

チケットを購入して、天守のほうに進んでいきますと、ものすごくよい感じの石垣が見えてきますよ。 石垣の高さはそんなに高くはないですが、この石垣も見るからに古そうですよね。 きっとこれも築城当時に近い年代のものではないでしょうか。  大小様々な石を積み上げていますが、近くから見ているせいか、ほかの城の石よりも1つ1つの大きさが大きいような気がしますね。 鏡石ほどの大きさではないにしても、結構大きな石がいたるところにはめ込まれています。  大阪城の鏡石はものすごく巨大で有名ですが、ここの巨石も鏡石と言ってよいのかな!? 古さを感じる石の表面など、非常に趣深いですよね〜。  


天守を見る用の展望台はなかなか効果的です

天守前まで行きますと、天守を少し高いところから見れる展望台がありました。 一番高いところでも高さは5〜6m位しかありませんが、それでも地面から見るよりも、より真横から天守を見ることができます。  普通に地面から見ると、天守に寄るほどに1階の部分がデデ〜ンと大きく、上の階がすぼんで見えちゃうんですよね。 でもこの展望台の高さがあればより下層階と上層階を均等なサイズ感で天守を見ることができます。  更に城の周りにはまだしっかり花がついた桜の木がありますので、それも一緒に撮影できるんですよ。 まさに最高の撮影スポッツと言えるでしょう!  それにしてもこの展望台も混んでいますね〜。 回転もあまりよくないみたい。。。 やっぱり展望台の一番上からは自分も入れて写真撮りたいもんね^^;  





弘前城は、陸奥国鼻和郡弘前にあった日本の城です。 別名は鷹岡城、高岡城。 江戸時代に建造された天守や櫓などが現存し国の重要文化財に指定されており、城跡は国の史跡に指定されています。  江戸時代には津軽氏が居城し弘前藩の藩庁が置かれていました。

江戸時代には弘前藩津軽氏4万7千石の居城として、津軽地方の政治経済の中心地となりました。 城は津軽平野に位置し、城郭は本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭の6郭から構成された梯郭式平山城です。  創建当初の規模は東西612メートル、南北947メートル、総面積38万5200平方メートルに及びます。 現在は、堀、石垣、土塁等城郭の全容がほぼ廃城時の原形をとどめ、8棟の建築と天守1棟が現存しています。  現存建築はいずれも、国の重要文化財に指定されています。 

最初の天守は、鷹岡藩2代藩主の津軽信枚により1609年(慶長14年)頃に本丸南西隅に建てられた5重の建物で、内部6階と推定される建築は東北地方では若松城天守に次ぐものだったそうです。  しかし1627年(寛永4年)9月の落雷で出火し、天守内部に収納されていた火薬に引火して大爆発を起こして本丸御殿や諸櫓とともに焼失してしまいました。  天守は再建されることなく、今でも天守台を支えていた石垣は本丸南西隅に聳えています。 by wikipedia  



展望台からの景色を堪能したので、今度は天守の中に入ってみますか! っとその前に、なんと大きく「弘前城」と書かれた看板があるではありませんか! そうか、この看板の奥に弘前城天守があるので、これをバックに写真を撮れるようになっているのか〜。  ということで管理人も看板を入れて天守をパチリ^^ いやなかなか良いところに看板が立っていますね。 旅行のサムネイルはさっきの展望台からの写真にするか、この写真にするか非常〜に迷います!  













本丸唯一の現存建築である天守は層塔型3重3階の建物です。 現在は独立式ですが、往時は北側に多聞櫓を付属させた複合式だったそうです。 この多聞櫓は明治29年(1896年)ごろまでに破却されています。  天守の高さは約14.4メートルあり、現存する三重天守の中で最も低いものとなっています。

1627年(寛永4年)大爆発して焼失した5重天守の代用として、またロシア船の津軽海峡往来などの事態により幕府の許しを得て、本丸南東隅の辰巳櫓の改修を名目として建てられました。  1810年(文化7年)着工、1811年(文化8年)に竣工しました。 往時は幕府への配慮から天守とは見なさず、櫓(御三階櫓)として扱われていたが、「事実上の天守」としての役割を持ち現在は書籍などの多くで天守として扱われています。  昭和20年(1945年)の空襲で水戸城天守が、昭和24年(1949年)に松前城天守が焼失したため、関東以東で唯一の、そして最も北に位置する現存天守となっています。

外壁は白漆喰塗籠で、窓と狭間の上下に長押形を施し、また屋根瓦には寒冷地のため銅瓦を葺いています。 外側に面する東面と南面は1層目と2層目に大きな切妻出窓を設け、 窓には狭間窓を用いるなど小さな建物を華美で大きく見せる視覚効果が施されます。 一方で、内側である西面と北面には破風を全く付けずに連子窓を単調に並べただけになっています。  内部も通常の天守建築では最高級の木材や技術が用いられますが、弘前城の場合は普通の櫓と同等の木材が用いられ、構造的にも簡素であり、床も全て敷居を設けず畳を敷くことが想定されていないなど、 当初から倉庫として利用されることを見込んだ構造となっています。

平成の天守石垣の修理において明治・大正時代の壺の発見や天守台石垣の四隅からイカの形をした石垣が発掘されました。 イカの形をした石は市が「いかすみ石」と名付けました。  二の丸の現存櫓は3層の辰巳櫓・丑寅櫓・未申櫓の3棟です。 門は、三の丸追手門・三の丸東門・二の丸南門・二の丸東門・北の郭北門の5棟がそれぞれ築城時の姿で現存し、以上は国の重要文化財に指定されています。  このほかに、二の丸東門与力番所が移築復元されています。

現在は5棟の城門が残されていますが、築城当初は10棟の城門がありました。 この内のいくつかの門は、工期の短縮などのため、周辺の城郭より移築されています。  具体例としては北の郭北門(通称亀甲門)と三の丸北内門(通称賀田門)がそれにあたり、それぞれ大光寺城および大浦城から移築されています。 by wikipedia  


もう少しで天守の中にはいれますよ


桜がホントに綺麗!


ソメイヨシノよりもボリュームあるね!

さ〜それでは天守の中に入ってみましょう! 天守入口で待つこと約10分位でしょうか。 天守は3層になっていますが、結構小さい天守です。 なんでも3層天守の中では一番背が低いのだとか!?  以前、現存天守の宇和島城や丸亀城などにも入りましたし、外から見ただけですが犬山城なども見ましたが、いずれもかなり小さい天守でありました。 あれよりも背が低いというのだから、現存12天守最小かもしれませんね^^;

天守の入り口付近の桜も非常にきれいですよ。 目の前まで桜の花が垂れ下がっていますが、やっぱり花びらの形状を見ると、ソメイヨシノとは違うのが分かりますね。 ソメイヨシノって花びらが少な目ですが、この桜はギッシリ花びらが詰まっています。  だから桜の木自体にもボリュームがあるように見えるのですね〜。 ソメイヨシノも良いですが、管理人としては、枝垂桜もかなり好きですよ。  


1層目の窓の部分です


1そう目は意外と広々しています


多分本物のお輿だと思いますよ


屋根の感じもいいですね〜

天守が狭いこともあり、並んでいる人がいっぺんに入城することはできません。 警備員さんが人数を区切って、順序良く中に案内してくれます。 中に入ると、とてもシンプルな内装ですね。  復元天守や模擬天守などは、中に資料館などがあり、あまり「天守に来た!」って感じにならないのですが、やはり現存天守はシンプルで非常に良いですね!  むき出しの柱、むき出しの天井、そして急勾配な階段! やっぱり天守はこうじゃなくちゃね。 こちらの柱の木なども触ってみましたが、歴史を感じることができて非常に趣深いですね〜。  木の組み方とか、屋根の造りなど、当時のままと思われます。 1階をグルリと回ると、昔のお輿がありました。 こちらも江戸時代のものなのでしょうか。  


これから急な階段を登ります!


階段を横から見るとこんな感じ。


今度は降りるときの景色です

天守内の展示物は1階にあるお輿と、3階にある各地のお城の写真と場内の模型のみ! すばらしい! 天守にはゴチャゴチャいろんなものを置いてはいけません!  そして現存天守に来ると一番楽しみなのが、急勾配の階段ですよね。 こちらの階段は1つの階段を上下に分けて上り下りするようになっています。 ほかの現存天守でもほとんどがこの方式ですね。  階段には滑り止めの器具が設置されていましたが、これがないと結構キツイですよね。 若い方ならまだしも、高齢者は転倒の恐れありです! 2回ほど階段を上って最上階に到着しますが、ここの階段もワクワクするような急勾配でありました。  


桜と岩木山がナイスコラボです


3層目には弘前城の城内模型がありました


先ほどまでいた展望台が見えます

階段を2回上って最上階に到達しました。 最上階はベランダ状になっている部分はなく、中の窓から外を見るだけになっています。 窓はちょっと狭めではあり、縦に格子が通っています。  ここもちゃんと格子が菱形になっていて、鉄砲を撃つのに適した形状になっておりました。 格子と格子の間の間隔も狭めで外の写真を撮ろうとしても、なかなかカメラや手が外に出せませんでしたね^^; 

前述の通り、最上階の壁の周囲にはお約束の各地のお城の写真が飾ってありましたよ。 ここの写真は結構数が多かったですよ。 多分100名城のうち、天守または櫓が残っている城の写真と思われます。  100名城と言っても、全部に天守があるわけではないんですよね。 中には石碑だけが立っていて、城の構造物は全然ないような100名城もありますからね。 管理人も100名城や続100名城の制覇を目指してはいますが、 さすがにただの広場のような100名城はスキップしようと思っています。  


地上に降りてもう岩木山を激写しておきました


少し引いた写真でも絵になりますね

天守からは青森で一番標高の高い岩木山を見ることができました。 新青森駅から弘前に来る道中もずっと岩木山が見えていた山ですよ。 岩木山の山頂付近にはまだ雪が積もっていましたよ。 まだまだ雪解けは先のようですね。  今回の青森旅行では、どこにいても岩木山を見ることができました。 やはり青森を象徴する山でもあるのが分かります。 次の観光地である岩木山神社はその岩木山のふもとになりますので、更に雄大な岩木山を見ることができそうで、とても楽しみです。  


御滝桜(弘前市古木名木)

こちらは御滝桜と呼ばれる枝垂桜です。 残念ながらもう花は散ってしまいましたが、弘前市の古木名木となっているようです。 幹の周囲は305cm、樹高は7.4m、植栽されたのは大正3年(1914年)です。  大正3年に在弘宮城県人会の寄付により植栽された枝垂桜の1本なんだそうです。 この時の枝垂桜が生長して、今では枝垂桜の名所に数えられるまでになっています。 この樹は石垣の上から水面に向かい長く枝を垂らしており、 故棟方志功画伯が「御滝桜」と命名した名木なんだそうです。  


天守のすぐそばにいきなり井戸がありました

これは井戸そのものではなく、井戸枠になっています。 この井戸枠は天守から約65m北側の石垣沿いにありましたが、本丸石垣修理に伴い、こお場所に移設されたんだそうです。 昭和初年に撮影された写真にはこの井戸枠が写っていますが、造られた時期については不明なんだそうです。  この井戸枠は巨石を加工してつくられており、1辺136cmの正方形で角が面取りされ、高さは71cm、穴の直径は95cmを測ります。 重量は約2.4tと推測されます。 石質はデイサイトかデイサイト質の凝灰岩で、岩木山産出の輝石安山岩を用いた本丸の石垣の石材とは異なるそうです。  


ここは花見には最適な場所ですね


桜の木の下で皆さん宴会中です

天守を見終わり、そろそろ弘前公園を後にしたいと思います。 天守に向かっている途中で色々なグループが花見をしている広場がありました。  この広場の周囲には枝垂桜と思われる桜の木が点在してお りまして、どの桜の木も天守の周囲と同様に満開の状態でした。 天守付近に引き続き、こちらの広場でも桜を愛でて参りました。  最初はソメイヨシノがほぼ全滅でショックに打ちひしがれておりましたが、枝垂桜のおかげで心が満たされましたよ。   



先ほども土師から眺めたお濠ですが、帰りに見てみると、舟で堀をめぐっていましたよ。 お城のお濠では割と舟で巡るやつが多くありますが、ソメイヨシノが満開だったらさぞや素晴らしい景色なんだろうなと思いますね。  弘前公園中濠観光舟さんのホームページを見ますと、トップ画面が花筏の中を優雅に流す舟の写真でした。 こりゃたまらんね。 ちなみに乗船料は中学生以上は1,500円、周遊の時間は約20分位だそうです。   


〜 旧 第 五 十 九 銀 行 本 店 本 館 〜





弘前公園は周囲を見渡すと、市役所などもあって少しだけ都会ですね。 各都道府県を旅行すると、城があるところには県庁や市役所など官庁が建っているところが多いですが、こちらもそうみたいですね〜。  その中でもひと際目を引いたのがこの建物です。 弘前公園に向かうときも気になったけど、やっぱり建物がすばらしいので帰りも気になって写真撮っちゃいました。  写真は公園のすぐそばに建っていた旧第五十九銀行本店本館の跡地みたいですよ。 中は資料館になっており見学できるようですが、入館料が必要だったこと、時間があまりなかったこと、そしてあまり興味がなかったことから、今回はスルーさせて頂きました^^;  でも外観はなんだか明治とか昭和初期の感じが漂っていて結構好きです。

こちらは青森銀行の母体となった旧第五十九銀行本店の本店として明治37年に建築されたものなんだそうです。  昭和18年10月に他の数行と合併して青森銀行が創立された後は弘前支店に転用されましたが、昭和40年5月に支店新築にあたり、この場所に移転し、貴重な記念物として、また東北地方における明治期の文化財として保存することにしたのだそうです。  設計施工は、当時名匠と言われた棟梁堀江佐吉氏で、構造は木造ルネッサンス様式の洋風建築として極めて貴重なものとされています。  


〜 旭 松 堂 の バ ナ ナ 最 中 〜


旭松堂さんの店構えです


バナナ最中3個入りセット

弘前公園から車を停めたコインパーキングに戻る途中で、とても趣深い和菓子屋さんを発見しました。 なぜこちらの和菓子屋さんで足を止めたかと言いますと、店先に出ていた看板に「バナナ最中」と書いてあったからです!  ご存じの通り「岡」氏は無類のバナナ好き! 「西」氏も「増」氏もバナナ最中って初めて聞いたので、興味津々ですよ。 早速「岡」氏がお店に突入〜〜。 バナナ最中3本入りをご購入しました〜。  バナナ最中も美味そうですが、他の昔ながらの和菓子もとても美味そうでしたよ。

車に戻りましたら、「岡」氏が3本のバナナ最中を「西」氏「増」氏に1本づつくれました。 いや〜バナナ最中、非常に楽しみです。 白い包みから中身を取り出すと、モンキーバナナサイズの最中が出てきましたよ。  外側は最中の薄皮です。 バナナに形づくられており、中に餡が挟んであります。   


包装をはがしますと、まぁかわゆい


こりゃホントにまいう〜だね^^

さ〜頂きます〜。。。。。 おお〜、まいう〜! これは初めての味ですよ。 白餡が中に入っているのですが、その白餡がバナナ風味! これは新感覚ですね。 和風の餡とバナナが合うのかと疑う人もいらっしゃるかもしれませんが、ちゃんと合います!  餡の部分は少し水気の少ない餡になっておりまして、口の中の水分を全部持って行ってくださいます。 これはお茶が必要でしたね。 全部食し終わるころには体の半分くらいの水分を持っていかれてしまいましたが、お味は冗談抜きでホントにまいう〜です。  これは是非ともお土産にっ!とも思いましたが、日持ちがしないですって。。。残念! また弘前城に来たら是非お茶を持参してもう一度頂きたいと思います。