今回の旅行も最後の観光地になりました。 最後にやってきたのは「山形城」です。 到着時刻は12:50。 今回の旅行で5つ目のお城になりますよ。 一度の旅行でこんなに城をたくさん回ったのはあまり記憶がないですね。
城好きの管理人にとってはかなりテンション爆上がりの旅です。 しかも山形城って言ったら、最上義光さんが一番有名ですよね。 ここのお城は絶対に来てみたいと思っていたお城なので非常にうれしいです。
山形城の所在地は帰りの新幹線の発着駅である山形駅からほど近い場所にありまして、この近辺でレンターカーも返せるので、旅行最後の観光地としては非常に便利な場所にあります。
先ほど少しふれました最上義光さんというのは、戦国時代の武将でして、仙台の伊達政宗のお母さんのお兄さんに当たる人です。 有名なエピソードとしては、政宗の弟の小次郎を溺愛していたお母さんが最上義光の入れ知恵で政宗に毒を盛って殺そうとした話。 政宗は毒にいち早く気づき、一命をとりとめましたが、ここで政宗さんが毒殺されていたら歴史が大分変ったんではないかと思いますよ。 まぁホントの話かどうかはよく分かりませんけどね。 でも最終的に小次郎は政宗に切られているので、きっと何かはあったに違いありません。 とこのようなきな臭いエピソードもありますが、最上義光さんは戦国武将としては一代で57万石の大名になったすごい武将だったことも事実です。 豊臣秀吉からはひどい仕打ちをされながらぐっとこらえて出世したんですね〜。 是非そんな最上義光さんが居城とした山形城を堪能したいと思いますよ。 |
![]() 北門(?)付近の駐車場に古い石垣がありました |
![]() 盛土の先にはお堀が見えますね〜 |
まずは山形城跡をカーナビにセットしまして車で移動します。 山形城跡は現在は「霞城公園」という公園になっているみたい。
一応ナビゲーションには山形城跡が表示されていまして、ラーメン屋付近からは車で10分弱のところにあるようですね。 ただこの山形城跡は結構敷地が広いんですよ。 公園内には文化施設やスポーツ施設もあって東京ドーム8個分も面積があるそうですよ。
カーナビの案内で城跡の中に入ったのはよいのですが、最初に車を停めた北門(?)付近の駐車場で周囲を見渡すと、古そうな石垣があるだけで、お目当ての最上義光さんの銅像がな〜い!
一応周囲を少しだけ歩いて、石垣以外に何もないことを確認した上で、再度車に乗り込み更に先の駐車場まで行きました。 そうすると! なにやら銅像らしき物体や、櫓、門のようなものも見えてきました。
さっきの北門の駐車場から割と離れていたので、車で来てよかったです。 歩いていたら足終わってたね^^;
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![]() 山形城跡には色々な施設がありました 写真は博物館です |
山形城は、本丸(2.83ヘクタール)・二ノ丸(27.99ヘクタール)・三ノ丸(234.86ヘクタール)を三重の堀と土塁で囲まれた輪郭式の平城で、東北では最大です。
外郭である三ノ丸は、現存する日本最大の天守がある姫路城の外郭(約233ヘクタール)や内曲輪(約23ヘクタール)よりもそれぞれ広くなっています。
「北の関ヶ原合戦」と呼ばれた慶長出羽合戦においては、城郭が霞で隠れて見えなかったことから、「霞ヶ城」と呼ばれたと地元では語り継がれています。
石垣には馬見ヶ崎川で採掘された玉石(安山岩)を割った石材を用い、割り面を前面に利用しています。 本丸は御殿のみで天守はありませんでしたが、二ノ丸には江戸時代前期まで三階櫓がありました。
今も残る二ノ丸の堀や土塁・石垣は、最上氏改易後の元和8年(1622)に城主となった鳥居忠政やその後の保科正之により改修されたと伝えられています。
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![]() まずは二ノ丸東大手門櫓を見学します |
![]() 塀や大手門が合体した造りになっています |
![]() 櫓の中はこのような雰囲気です |
![]() 発掘された出土品が展示されています |
再び駐車場に車を停めて建造物がある方向に向かいますと、なななんと! 右手には最上義光さんの銅像が、そして左手には櫓が見えるではありませんか! しかも櫓の中を公開しているようですよ。
まずは櫓に入ってみましょうか! こちらの建造物は、駐車場から歩いていくと、櫓のみが見えていますが、実は大手門と一緒になった「二ノ丸東大手門櫓」と言います。
まだ建って時間が経っていないのか、外壁や櫓内もとても綺麗! 木材などは新品の感じすらしますもんね。 こちらの櫓の中には山形城の古地図、発掘調査で出土した瓦等の遺物、二ノ丸東大手門復原工事資料、山形城復原模型等を提示しています
なかなか貴重な史料を見学することができました。
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大手門櫓はなかなか良かったですね。 さ〜それでは目の前にそびえたっている最上義光さんを見学に参りましょう! やはり他の観光客の方も、これがお目当てで来ている人もいるのでしょう。 銅像の周囲には写真撮影する人が多かったですよ。
かく言う管理人も360度、全方位から写真を撮影しておきました。 また銅像を一番見栄え良く撮影できそうなスポッツに、スマートフォンやカメラを置くための台も用意されていましたよ。 ということで、ここでも3人で集合写真を撮りました。
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![]() 3人で集合写真を撮影しました |
霞城公園の東大手門広場にある最上義光の騎馬像は、長谷堂合戦の追撃戦において鉄の指揮棒を持ち陣頭指揮を執りながら勇ましく上杉軍に向かう姿を表しています。
前足を高々と上げた馬にまたがり今にも動き出しそうな躍動感のある銅像は、山形鋳物の卓越した技術力によるものです。 最上義光騎馬像のように馬の後ろ足二本だけで立っているものはとても珍しく、職人さんが奮起し伝統の技を結集して実現した、まさに山形鋳物の技術力の高さを示す象徴的な存在となっております。
過去にはインターネットサイト「歴人マガジン」の「カッコよすぎ!ご当地武将銅像ランキング」にて、ランキング第1位として紹介される等、山形城の見所のひとつとなっております。 by 山形城HP
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![]() こちらが最上義光さんの銅像です(正面から) |
![]() 斜めから撮影! |
![]() 横からの姿もなかなか良いですね |
![]() 後ろからの映像はなかなかないでしょう |
![]() ここでも集合写真を撮影です〜 |
![]() 外から見た二ノ丸東大手門です |
![]() 東大井手門の外はお堀になっています |
![]() 東大手門から正面の入口を撮影 |
![]() ここも防御のためL字に曲がっています |
記念撮影もしましたので、先ほど中に入った櫓門を抜けてみましょう。 こちらの二の丸東大手門は、山形城の正面玄関ともいうべき重要な門です。
最上氏時代の東大手門は、外枡形と呼ばれる堀に張り出す形式でした。その後、二ノ丸を拡張する改修工事によって、現在の内枡形という形式になりました。
徳川の世になり、時代は戦乱から太平へと移り変わるなか、城や門の持つ役割も大きく変化しました。
本丸と二ノ丸が城郭の中心だった山形城にとって、枡形(広場)を中心に櫓門、続櫓、高麗門、土塀で構成されたこの東大手門は、藩主の威厳を民衆に広く示す役割も担っていったそうです。
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![]() 入口から城の外を撮影しました |
![]() こちらが先程見学した東大井手門櫓です |
![]() 東大手門の造りも見事です |
![]() お堀の脇で鉄道を激写しました! |
銅像を見終わった後は、道路を挟んだ反対側にあった城壁、空堀のあるエリアへと歩いていきました。 先ほど最初に車を停めたところからは、水を張った堀が見えましたが、こちらの堀は最初から空堀だったのでしょうかね。
かなり堀の深さがあるので、この堀に入ってしまったら上から狙い撃ちされて全滅しかねない規模ですよ。 また堀の脇には立派な石垣がありますね〜。 かなり綺麗に石を積んでいるので、野面積みではなさそうですかね!?
空堀や石垣、門に向かう道のわきには、石を割って成形する手順などが実際の石を使って展示されていました。
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![]() これは大きくて立派な空堀ですね〜 |
![]() 空堀と本丸一文字門に続く橋とのコラボ |
![]() 石材の成形の課程が順を追って展示されていました |
空堀に沿って歩くと、綺麗な橋と門が見えますね〜。 こちらは本丸一文字門と言います。 二の丸から本丸に入る際の橋と門ですね。 橋の橋脚などは綺麗な格子状です。 きっと昔もこんな感じの門だったのでしょうね。
山形城は基本は土塁で囲まれた城郭なのですが、城門のみ石垣が用いられているんだそうです。 そういえば先ほどの東大手門もそうでしたよ。 石垣が残っている部分が少ないのかと思ったら、元々石垣はそんなに多くはなかったのですね。
こちらの一文字門もそうですが、二ノ丸や三ノ丸の出入り口はかぎ形に折れ曲がり、城内外を繋ぐ道路は丁字路ていじろやかぎ形、食い違いに造られるなど、防御のための構造が至る所に見られます。
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![]() 本丸一文字門に突入いたします〜 |
![]() これから本丸一文字門にかかる橋を渡ります |
![]() こちらが本丸一文字門の裏側の姿 |
![]() 門をくぐるとこちらもL字になってますね |
![]() 城門も見事に復元されています |
本丸一文字門を通り抜けますと、広場が見えてきます。 どうやらここでは本丸御殿の発掘調査をしているようですね。 土を掘り起こしてみると、昔の礎石が見つかったり、石垣が見つかったりすることが多くあります。
以前駿府城を見学したときも、丁度発掘最中で様々な遺跡を見ることができました。 残念ながら現在は発掘調査が終わってしまったのか、地面を掘ってあって、所々にブルーシートがかぶせてあるだけでしたよ。
こちらにあった御殿は、天守閣が無かった山形城本丸の最重要施設です。 しかしながら建物の間取り図はありますが、建物の形を確認できる立面図等の史料は確認されていません。 山形市では、平成24年度から「本丸御殿跡」の整備を目的とした発掘調査を行い、地下遺構や出土品などから御殿の位置や規模を推定するとともに、研究者の監修の下、CGやVRなどの最新デジタル技術を活用した復原事業を進めているそうです。 |
![]() こちらが発掘調査中の本丸御殿跡 |
![]() 本丸にある石垣 珍しい形をしています |
![]() こちらにも空堀があります |
![]() 本丸を通り過ぎると西不明門に到着します |
![]() ここにも水堀がありました いい景色です |