石  見  銀  山

出雲大社を後にし、次の観光スポッツ「石見銀山」に向かいます。 出雲大社から石見銀山までは約45km。 所要時間は1時間強です。 ただ石見銀山を車のナビゲーションに入力すると、いくつか候補が出てくるのですが、 どれを選んだら良いのか分からない・・・ しょうがないのでコンビニエンスストアの「ポプラ石見銀山店」を入力することにしました。 でもナビゲーションで「到着しました」の声が聞こえるも近くに銀山らしきものはな〜っい!  でもラッキーなことに道に看板が出ていたので進むことができました。 そりゃそうだよね世界遺産だもんね^^;

ただ今回管理人は助手席でるるぶの地図を見ていたのですが、ど〜も「ここが石見銀山!」って場所が見つけられないんですよね〜。 例えば最初に訪れた「石見銀山世界遺産センター」とか 「石見銀山資料館」とか「石見銀山 大森地区」とかね。。。「石見銀山」という名前はついているんだけど、どこに行けばよいのでしょう・・・  管理人のイメージでは、銀を掘っていた坑道みたいなのが見れるのかな〜と思っていたのですが、 実際はもちろんそういうのもありますが、坑道に加え鉱員さんが生活していた街並みなども含めて全体を世界遺産「石見銀山」というんだそうです。 なので全部を観光しようとすると3〜4時間位かかるとのこと。  レンタル自転車を借りて廻るという手もありますが、現在ドシャ降り中・・・ しかも時間がないし・・・ ということで今回は一番短い時間で廻れる鉱員さんが生活していた「町並み地区」に行くことにしました。



〜 石 見 銀 山 世 界 遺 産 セ ン タ ー 〜

最初にやってきたのが、こちらの「石見銀山世界遺産センター」です。 お恥ずかしながら、まだ石見銀山観光の基礎知識がなかったので、この施設で説明を伺いたいと思います。 この観光センターは結構広くて、 お土産屋さんもありますし、もちろんソフトクリームもあります。 更に石見銀山に関連する資料館もありました。

中に入ると、石見銀山の観光マップなどもあり、職員の方が丁寧に説明してくれました。 また資料館には石見銀山の歴史や、銀の生成の仕方、銀の貨幣、坑道の様子など様々な展示物があり、あたかも坑道の中を 見学したような気になることができます^^; 我々も最後にこの資料館を見学していきました。



石見銀山世界遺産センターで石見銀山のマップがありましたのでご紹介しましょう。 石見銀山を見学する際は、大きく分けてマップ左上「C」の坑道、そしてマップ右下「A」の町並み地区です。 現在位置はマップの左下の 「P」の部分。 坑道のある龍源寺間歩には自動車で行くことはできず、徒歩かレンタル自転車で行く必要があるとのこと。 徒歩だと片道45分。 自転車だと20分位ということですが、この雨じゃね・・・  徒歩で行っている時間はないので、バスで近くまで行ける町並み地区に行くことにしました。


そして〜! こちらが「岡」氏がご購入したさつま芋のソフトクリームです。 これ美味そうだったな〜。 


町並み地区に行くのは、こちらのバスでいきます。 料金は行きは200円、帰りは240円。 所要時間は約10分弱です。 バスは休日は15分間隔で運行しているとのこと。  一応観光センターで時刻表を貰いましたが、15分に1本であればそんなに待たないので大丈夫でしたね。 天気はあいにくの雨でしたが、観光客は結構多かったですよ。 そういえばここではあまり外国人の方と 会わなかったような・・・ ここらへんは外国人ツアーとしてはメジャーじゃないのかな・・・ 世界遺産なのにね^^;




〜 町 並 み 地 区 〜

それでは町並み地区をご紹介する前に、石見銀山の知識をば。 wikipediaから引用しました。

石見銀山(いわみぎんざん)は、戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)である。 上述の最盛期に日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも推定されるが、 当銀山産出の銀がそのかなりの部分を占めたとされる。 大森銀山(おおもりぎんざん)とも呼ばれ、江戸時代初期は佐摩銀山(さまぎんざん)とも呼ばれた。 明治期以降は枯渇した銀に代わり、 銅などが採鉱された。

鉱脈は石見国東部、現在の島根県大田市大森の地を中心とし、同市仁摩町や温泉津町にも広がっていた。 日本を代表する鉱山遺跡として1969年(昭和44年)に国によって史跡に指定。  2007年(平成19年)6月28日にニュージーランドのクライストチャーチで開催されていた第31回世界遺産委員会でユネスコの世界遺産(文化遺産)への登録が決まり7月2日に正式登録された。  一般に銀山開発においては銀の精錬のため大量の薪炭用木材が必要とされたが、石見銀山では適切な森林の管理がなされたことにより環境への負荷の少ない開発がなされ、今日に至るまで銀山一帯には広葉樹などを含む森林が残されてきている点が特に評価されている。



バスはこちらの石見銀山公園のそばで下車します。 ここから町並みの見学がスタートします。 ここ町並み地区は、「武家・町屋ゾーン」と「代官所ゾーン」に分かれていますが、明確な区切りはありません。  町並みの中には江戸時代の武家屋敷や代官所跡、石見銀山で栄えた豪商・熊谷家住宅など、歴史的な建造物や文化財が当時の面影を今も残しており、タイムスリップしたような感覚になります。 でもビックリしたのは これらの家に住んでいる人がいるってことですね。 こういう遺産に人が住んでるって珍しいと思いますよ^^




こちらは「町並み地区」でも撮影スポッツに指定されていた「旧河島家」です。 河島さんは旧代官所地役人だったそうですよ。 河島家は地役人の総括約である組頭まで昇進した武士です。 1800年初頭に 建てられた屋敷は間取りなど武家屋敷の特徴をよく残しており、武士の暮らしぶりが伺えるそうです。 ちなみに200円かかるみたいなので中には入りませんでしたm(_ _)m




こちらは「熊谷家住宅」です。 銀山業、酒造業、代官所の御用商人などを務めた町並み最大の商家です。 屋敷は部屋数が約30。 母屋の他に5棟の蔵が建ち並び、国の重要文化財に指定されています。  更に町並みの中で最も規模が大きく質のすぐれた民家建築で、有力商人の身分や生活の変遷をよく示した建物として高い価値が認められる。 ちなみにこっちは500円支払う必要があるみたいなので入りませんでしたm(_ _)m




道の途中には色々な変わったものを見ることができました。 景観を保護するために自動販売機まで昔風になっていたのには驚きました。 また昔よく見たポストだったり、タバコ屋の風景だったり、 管理人が小さいころにはまだあった景色かもしれませんね。


昔風にカモフラージュ


このポスト懐かしい〜^^


こちらは裁判所跡


三宅家の住居


少し町並みを進みますと、小高い場所に「観世音寺」がありました。 この高台からは町並み地区を一望することができます。 なかなかこういう町並みを上から見るってなかなか経験できないですね。

「観世音寺」は岩山の上にあり、江戸時代には大森代官所が銀山隆盛を祈願するための祈願寺でした。 本堂のほか山門と鐘楼が残されています。 町並みの大半が焼失した「寛政の大火」(1800年)により 観世音寺も全ての建物が焼失しました。 そのためもとの創建年は不詳ですが、現在の本堂や山門は万延元年(1860)に再建されたものです。by 太田市観光サイトより


この石段を登って行きます。


こちらが本堂です。


町並み地区を一望できますよ。


赤い瓦の家と黒い瓦の家って何か違いがあるのかな!?


こちらが最終地点の「大森代官所跡」です。 現在は「石見銀山資料館」として運用しているそうです。 ここも500円かかるのでやめときました^^;

門番の詰め所や仮牢などを見ることができるほか、現在資料館となっている建物は、明治35年に建てられた旧邇摩郡役所を利用したもので、銀山に伝来する文化財や美術品、各地鉱山の鉱物標本などが展示されており、石見銀山の歴史を追体験できます。  また、枯山水の様式で造られた代官所の庭は、春は梅や桜。 初夏は藤やツツジ。 秋は紅葉と四季折々の表情が観られるだけでなく、当時、百姓一揆などが起こった時の代官の逃げ道に使われたのではと伝えられる「抜け穴」が2つあります。  1つは隣の城上神社、もう1つは裏手の勝源寺に通じているといわれています。 by 島根県西部公式観光サイト






〜 石見銀山世界遺産センター 再び〜

いやいや石見銀山の町並み地区はなかなかの見応えだったですね。 でもやっぱり坑道を見たかった・・・ 坑道に行った気になるために、石見銀山世界遺産センターの資料館に参りました。  ほんの少しだけ写真を撮りましたのでご紹介します。 あと恒例の顔出しのやつもありましたので激写しときました。


資料館内にある坑道の模型。
う〜ん、坑道に行った気に・・・ならない>_<


本物の銀30kgですって!
重たくて全然持ち上がりませんでしたよ。


石見銀山記念写真バージョン


石見銀山の人達バージョン