小 田 原 城


今日は久々に小田原城にやってきました。 以前の記録を見ますと2009年に小田原城に来ていますので、もう11年ぶりということになります。 なんでも小田原城の内部をリニューアルして史料も充実したんだとか。  またこの時期は小田原城内に紫陽花や花菖蒲も花をつけ、なかなか見どころがあるようなんですよ。 もう以前来た時の記憶は大分薄れているので、今日も新鮮な気持で小田原城を見ることができそうです。  ちなみに小田原城は新型コロナウィルスの影響でしばらく閉館・閉園していたのですが、6月1日からオープンしたんだそうです。

今日はお嫁さんの実家に行き、鵠沼海岸で高級なうな重を食した後に4人で小田原城に移動してきました。 鵠沼海岸からは国道134号線を西に進み、西湘バイパスで小田原ICまで行き、あとは国道1号線で小田原城に向かいます。  鵠沼海岸からは約1時間くらいの道のりでした。 新型コロナウィルスの緊急事態宣言が解除されてからは、ここらへんも大分自動車や人の往来が増えましたね〜。 緊急事態宣言真っ只中のときは、道も海岸もガラガラだったようですが、 今ではすっかり元に戻っているような感じです。 でもその割には134号線も西湘バイパスも渋滞することはなく、スイスイ進んでいきました。

小田原城周辺に参りますと、周囲には有料パーキングがありましたが、今回は正門から一番近い駐車場に停めていきました。 門に近い駐車場は満車のところもありましたが、そんなに混んではいないみたいですね。  今回停めたところは1時間350円の駐車場だったのですが、約2時間小田原城を見学して駐車場を出たのですが、なぜか料理金は550円でした。 なんか安くてラッキ〜。




小田原城が初めて築かれたのは、大森氏が小田原地方に進出した15世紀中ごろのことと考えられています。 1500年ごろに戦国大名小田原北条氏の居城となってから、関東支配の中心拠点として次第に拡張整備され、豊臣秀吉の来攻に備えて城下を囲む総構を完成させると城の規模は最大に達し、日本最大の中世城郭に発展しました。  江戸時代を迎えると小田原城は徳川家康の支配するところとなり、その家臣大久保氏を城主として迎え、城の規模は三の丸以内に縮小されました。 稲葉氏が城主となってから大規模な改修工事が始められ、近世城郭として生まれ変わりました。  その後、大久保氏が再び城主となり、箱根を控えた関東地方防御の要衝として、また幕藩体制を支える譜代大名の居城として、幕末まで重要な役割を担ってきました。  しかし、小田原城は明治3年に廃城となり、ほとんどの建物は解体され、残っていた石垣も大正12年(1923)の関東大震災によりことごとく崩れ落ちてしまいました。  現在の小田原城跡は、本丸・二の丸の大部分と総構の一部が、国の史跡に指定されています。 また、本丸を中心に「城址公園」として整備され、昭和35年(1960)に天守閣が復興、次いで昭和46年(1971)には常盤木門、平成9年(1997)には銅門、平成21年(2009)には馬出門が復元されました。 by 小田原城HPより




こちらが小田原城の二の丸に続く、「学橋」という橋です。 赤い欄干がお堀に映えて非常にきれいですね。 ちなみに最初、ここが正門かと思っていたのですが、後で園内の案内図を見たら、正門はとなりにあった「馬出門土橋」だったようです>_<  「学橋」の下には、錦鯉や黒い鯉が群がっていましたよ。 どこかのおっちゃんがエサをあげていた模様・・・ 観光客と思われる子供にも「エサあげてみろ〜」って言ってましたが、その横には「鯉にエサはやらないでください」の看板が・・・ ダメじゃん。








「学門」を通り抜けると、二の丸に入ります。 結構広い広場ですよ。 広場の周囲には季節によっていろいろな花が咲くそうです。 ちょうど今の時期は紫陽花や花菖蒲が開花を迎えます。 そのほかにも、1〜2月には梅が、4〜5月にはつつじやふじが、 3〜4月には桜を見ることができるそうです。

二の丸のお堀側にはグルリと紫陽花が植わっていました。 ここの紫陽花は青紫と白が多いようですね。 紫陽花はちょうど今が見頃のようですよ。 今が満開って感じで非常に良い景色が続いていますね〜。 また二の丸をお堀側から天守側に向かったところに、花菖蒲のエリアが広がっていました。 でもどうやら花菖蒲はもう終わりのようですね。 たぶん最盛期は一面花菖蒲の花が咲き乱れていたと思うのですが、今日は1本2本がちょろちょろと咲いているだけでした。  でもまったく咲いていないよりは良いですよね^^ 管理人の想像だと、普通に地面に花菖蒲が植わっていると思ったのですが、よく見てみると、一株一株、ビニル製の植木鉢に植わってて、その植木鉢をきれいに並べているようでした。  ちゃんと地面には水が溜まるような仕組みになっており、これなら水の管理なども楽で良いかもしれません。




二の丸から天守のほうに向かっていくと、大きな立派な門が現れます。 こちらは「常盤木門」と言います。 一見しますと「非常に頑丈な門」という印象ですね〜。 扉は分厚い木造りですが、扉の板には鉄が張り巡らされ、ちょっとやちょっとの丸太特攻ではびくともしないような感じです。  また門を真下から見ると、非常に太い丸太が梁として通っていました。 この門はどの方向からの攻撃にも耐えられる強度を持っているんだな〜と実感することができます。

小田原城本丸には常盤木門、鉄門の2つの城門がありました。 このうち常盤木門は本丸の正門にあたり、重要な防御拠点であったために、他の門と比べても大きく、堅固に造られていました。  多聞櫓と渡櫓門を配し、多聞櫓は武器等の貯蔵庫として用いられていました。 本丸の正面に位置し、小田原城の城門の中でも大きく堅固に造られていました。 古絵図などの記録から、江戸時代初期から設けられていたことが分かります。  元禄16年(1703年)の大地震で崩壊した後、宝永3年(1706年)に、多聞櫓と渡櫓から構成される桝形門形式で再建されたものが、明治3年(1870年)の小田原城廃城まで姿をとどめていたといわれています。  常盤木とは常緑樹の意で、門の傍らには往時から松が植えられており、また、松の木が常に緑色をたたえて何十年も生長することになぞらえ、小田原城が永久不変に繁栄することを願って、常盤木門と名付けられたといわれています。  現在の常盤木門は、市制30周年事業として再建したもので、昭和46年(1971年)3月に完成しました。 by 小田原城HPより




常盤木門をくぐりぬけると、本丸に到着します。 昔は動物園とかもあったような記憶があるのですが、まだあるのかな〜・・・ あた〜! 本丸の右側には日本猿の檻が見えましたよ〜。 檻に近づいてみると、中には大小の日本猿がグルグルと歩き回っています。  エサを欲しがっているのでしょうかね〜。 ず〜〜〜っとグルグル周りを歩き回っていました。




本丸の猿園を過ぎて、更に歩いていくと目の前に小田原城の天守が見えてきます〜。 白くて非常に綺麗なお城なんですよね〜。 

天守閣は、昭和35年に市制20周年記念事業として総工費8千万円をかけて復興された小田原市のシンボルです。 江戸時代に造られた雛型や引き図(宝永年間の再建の際に作られた模型や設計図)を基に昭和35年に江戸時代の姿として外観復元され、内部は歴史資料の展示施設となっています。  復興に当たっては、「瓦一枚運動」が展開され、多くの市民からの寄付が寄せられました。 3重4階の天守櫓に付櫓、渡櫓を付した複合式天守閣で、地上38.7m、鉄筋コンクリート造、延床面積1822m2となっています。  なお、最上階の高欄付き廻縁は復興に際して新たに付けられたものです。 内部には、甲冑・刀剣・絵図・古文書など、小田原の歴史を伝える資料や、武家文化にかかわる資料などが展示されています。  標高約60メートルの最上階からは相模湾が一望でき、良く晴れた日には房総半島まで見ることができます。 by 小田原城HPより



さ〜、ここまで来たら、天守の中の史料館を見ていきたいですよね〜。 こちらも新型コロナウィルスの影響でしばらく閉館していたそうですよ。 確か昔も中に入ったような記憶があるのですが、今日入ってみたらリニューアルされてとてもきれいになっていました。  中だけの写真を見たら、絶対城の中とは思えないですよ^^; 史料もとても充実しており、中には歴史のクイズコーナーなどもあって観光客を楽しませてくれます。

天守閣は、昭和35年に市制20周年記念事業として総工費8千万円をかけて復興された小田原市のシンボルです。 江戸時代に造られた雛型や引き図(宝永年間の再建の際に作られた模型や設計図)を基に昭和35年に江戸時代の姿として外観復元され、内部は歴史資料の展示施設となっています。  復興に当たっては、「瓦一枚運動」が展開され、多くの市民からの寄付が寄せられました。 3重4階の天守櫓に付櫓、渡櫓を付した複合式天守閣で、地上38.7m、鉄筋コンクリート造、延床面積1822m2となっています。  なお、最上階の高欄付き廻縁は復興に際して新たに付けられたものです。 内部には、甲冑・刀剣・絵図・古文書など、小田原の歴史を伝える資料や、武家文化にかかわる資料などが展示されています。  標高約60メートルの最上階からは相模湾が一望でき、良く晴れた日には房総半島まで見ることができます。 by 小田原城HPより



入口付近はこんな感じ


チケットをゲッチュー!

入口に到着しました〜。 ここでチケットを購入して入城します。 アルコール消毒もOK〜、体温検査もOKです〜^^ でも頭に当てて体温を測る機械って、どこでやっても体温が35.8℃とかになるんだけど、35℃台って合ってるの??

天守だけを見学するチケットは510円だったかな。 実は通常であれば他にもNINJA屋敷や、SAMURAI館など見学できる施設はいくつかあるようなのですが、今はコロナの影響で天守のみの見学となっているようです。 残念! 管理人はくノ一が大好きなもので。。。^^;


〜 1 階 〜


すごくおしゃれな館内です


小田原城の模型です


右から大久保氏、稲葉氏、もう一回大久保氏


小田原城の全貌です

1階は、常設展示室となっています。 こちらでは江戸時代の小田原城がテーマになっています。 江戸の西を守る城だった小田原城の役割や歴史の城主の足跡を紹介しています。


〜 2 階 〜


2階の入り口付近です

2階も常設展示室となっています。 こちらは残念ながら写真撮影は禁止だったので、入口だけの写真でご勘弁m(_ _)m

こちらは戦国時代の小田原城について紹介しています。 ここでは戦国時代にここを居城としていた北条氏について紹介しています。 やはり戦国時代で有名な北条氏といえば、北条早雲や北条氏康、北条氏政ですね〜。  戦国時代の北条氏は上杉氏や武田氏と壮絶な戦いを繰り広げており、更に北条氏政が豊臣秀吉による小田原征伐まで詳しく解説されていました。


〜 3 階 〜


クイズのパネル、全部で10枚位あったかな


3階の窓からの眺めです


出土した茶碗などの食器類です


お約束の鎧


お約束の刀


襖のようですが、豪華絢爛です

3階は企画展示室になっていました。 最初のほうは小田原城に関するクイズのパネルが。 答えの分からないパネルの前で「これなんだったっけね〜」と会話していると、掃除のおばちゃんが答えを教えてくれました^^ 掃除のおばちゃんはさすが物知りです。  クイズの次は美術工芸品や、発掘調査で出土したものなどの展示もありました。 当時のものも復元されていましたが、非常に基調な史料なのではないでしょうか。


〜 4 階 〜


小田原城廃城の写真


なんと天守跡に観覧車がっ!

4階も企画展示室です。 4階は明治時代から現代までの小田原城の歴史を紹介しています。 小田原城は明治3年に暴風雨や藩の財政難を理由に時の知藩事の大久保忠良が廃城を願い出て天守が解体されたんだそうです。  その後、天守跡には藩祖大久保忠世をまつる大久保神社が建てられたそうです。 その後も小田原城は御用邸として利用されたり、ときには天守台に観覧車が建設された時期などもあったそうです。  これらの写真は非常に貴重なものですね。 しかし観覧車ってのは初めて聞きました^^;


〜 5 階 〜


伊豆方面の景色、ちょっとモヤがかかってる


天守の瓦屋根


望遠鏡はコロナで使用禁止です


ありがたい摩利支天様です


おまけ 北条氏康さんもマスク姿でした^^

ついに最上階の5階まで到達しました〜。 我々はまだ大丈夫ですが80歳を超えたご両親は階段での登城はちょっときつかったみたいです。 昔は城にエレベータがあるなんて雰囲気ぶち壊しじゃ〜って思っていましたが、エレベータがないと高齢者は厳しいですね。  これからはさらに高齢化社会が進んでいきますので、ちょっと考えを改めなければいけないなと感じました。 管理人も更に年を取ったら城見学できなくなっちゃうもんね。

さて5階のほうは周囲に回廊がめぐらされ、周囲の景色を見ることができるようになっていました。 熱海や真鶴といった伊豆方面、丹沢などの山脈、湘南海岸の長い海岸など様々な景色を楽しむことができます。  また最上階には江戸時代に祀られていたという摩利支天像が安置されていました。 ちなみに摩利支天は陽炎を神格化したものなんだそうですよ。





いや〜久々に顔出しやりましたよ

いや〜天守は見どころ満載でしたね。 結局天守の史料館は約1時間滞在していましたよ。 なかなか見どころ満載の史料館でした。 さ〜それでは帰路につきますか! 

帰りは、行きに行けなかった「銅門」を見てから帰ることにしたのですが、その途中に・・・「なになに、小田原城歴史見聞館」!? あれあれ、隣にあるのは、必殺の顔出しのやつではないですか〜! これはやっとかなければいけません!!  今日はお嫁さんと管理人でいっときました。 撮影はお義母さんです。






こちらが「銅門(あかがねもん)」と言います。 行きに見た「常盤木門」も非常に立派な門でしたが、こちらも相当に頑強な門ですね〜。 難攻不落の小田原城の門にふさわしい威厳があるようです。  馬屋曲輪から二の丸に通じる位置にあり、二の丸の正門にあたります。渡櫓門、内仕切門と土塀で周囲を囲む枡形門の構造を持っています。






「銅門」から更に歩きますと、「馬出門(うまだしもん)」に到着します。 馬出門は二の丸正面に位置する門で、馬出門、内冠木門と土塀で周囲を囲む枡形門の構造を持ちます。  馬屋曲輪へ通ずることからこの名が付いたとみられます。 きっと出陣のときはここから武将が出立したのですね〜。










「馬出門」から馬出門土橋を渡り、道路に出ました。 小田原城のお堀も結構良いと思うのですよね〜。 角度によっては赤い「学橋」が綺麗に写ったり、櫓と天守が重なって写ったり、様々な表情を見せてくれます。  確か以前、テレビ東京の「池の水を抜く」番組で、小田原城も堀の水を抜いたような気がしますね。 なので結構綺麗なのかな〜と思ったら、緑色が濃くて汚れているような気も・・・ きっと鯉にエサをやってたおじさんおせいだね。。。