大 庭 城 址 公 園


今日は久々にお嫁さんの実家にやってきました。 コロナの感染が酷いので、最近なかなか行けないんですよねぇ。 もうご両親も80歳を超えていますし、万が一うつしてしまったら大変ですもんね。  でももう何か月も帰ってないし、お義母さんの誕生日が近かったこともあって意を決して訪問することにしました。 いつもご実家に行くと、茅ヶ崎、平塚、小田原などの史跡などに遊びに行くのですが、今日は「大庭城址公園」に行ってまいりました。  以前一度来たことがあるのですが、まだ結婚する前にお嫁さんと花見に来たことがあるんですよね。 でももう25年前位の話なので、もう公園の記憶なんてあまりなかったんですよ。

今回なんでこの記事を載せようとしたかというと、100名城にはなっていませんが、管理人が好きな城関係だったこと、あともう一つは現在NHKで放送中の「鎌倉殿の13人」に登場する大庭景親ゆかりの地だったことがその理由。  鎌倉殿の13人では大庭景親を国村隼さんが演じています。 そういえば大庭景親は相模国って言ってたから、確かにここらへんに居城があってもおかしくないですよね。 管理人も今回の大河ドラマは1話目から見ているので、物語を思い出しながら公園を散策してみたいと思います。



結構階段や坂道が多いです


管理事務所に到着〜

大庭城址公園にやってきました。 公園には駐車場が完備されていますが台数はそんなに多くはありませんね〜、大体20台位でしょうか。 我々が到着したのは14:55頃でしたが、満車状態で5分位出口で待ってようやく入場することができました。  大庭城址公園は山城で、階段や坂道で少し上ったところに広い平台があります。 中には、戦国時代のからぼりや、館の礎石のレプリカもあったり、当時の姿を思わせるものもありました。


こちらが大庭景親さんです


上の絵が太田道灌、下の絵が北条早雲

一つ目の階段を上がりますと、管理事務所があります。 こちらの中には大庭城にまつわる資料が展示してありましたよ。 きっと大河ドラマが放送されていることもあるので、大庭景親のオンパレードかと思ったのですが、大庭景親はほんのちょこっと^^;  多くは太田道灌と北条早雲が占めていましたね。 ちなみに太田道灌は室町時代後期に関東地方で活躍した武将です。 江戸城を築城し、武将としても学者としても一流だった太田道灌ですが、最後は暗殺されるという非業の死を遂げた方です。  北条早雲は有名ですよね。 戦国時代に小田原に本拠を置いた北条氏の初代です。 北条氏が大庭城を使用したかについてはまだ分からないそうですが、おそらく支配下にあったこの地にも訪れているのではないかと思います。


約5分位で山頂の平台に到着します



公園内はかなり広く、テントを
張っている人もいました

大庭城は、平安時代の末期(12世紀末)、大庭荘を本拠としておこった関東平氏の雄、大庭氏の拠点であったと伝えられますが、あきらかな記憶はないそうです。  江戸時代後期に編纂された「新編相模国風土紀稿」には、平安時代後期に活躍した大庭三郎景親の居館であったとの地元伝承が紹介されていますが、「玉隠和尚語録」という室町時代の記録を見ると、大庭城と大庭景親の居館は別々の場所であると記されているそうです。 

史書によると長享2年(1488年)には在城していたことが記されているため、室町時代中頃(15世紀後半)になって、扇谷上杉定正の執事太田道灌が本格的な築城を行ったとされています。 その後、上杉朝良のときに北条早雲によって攻略さrふぇ、以後は小田原北条氏の支配下に置かれました。 天正15年(1587)に豊臣秀吉に北条氏が滅ぼされたあと、廃城となったそうです。


「からぼり」跡を示す石が所々にあります


こちらが実際のからぼりです

現在残されている土塁やからぼりなどの城址の構えには、小田原北条氏の改修があったものと考えられますが、雄大でかつ綿密に設計されていたことは、築山、裏門、二番構、駒寄などの地名からもしのばれます。 この地名はバス停などにもなっていて、現在も見ることができます。


桜の木のつぼみも大分大きくなっていました


公園には桜の木が綺麗な並木になっています

こちら大庭城址公園は桜の名所としても有名なんです。 25年前位にお嫁さんと花見をしにきたときも見事に咲き誇っていたのを今でもよく覚えています。 ソメイヨシノだけでなく他の種類の桜も合わせると300本が植栽されているんだそうですよ。  あと2週間も経つと、ここの桜も満開になりそうな感じです。


公園には桜の木が綺麗な並木になっています

こちらが大庭城の建物の跡だそうです。 礎石のようなものが置いてあります。 大庭城は台地上を東西に横断する三本の空堀によって、一の郭、二の郭、三の郭、四の郭にわかれています。  こちらの写真は最南端の郭にあたり、北緑の空堀によって、北側の郭と区画されています。 周囲には土塁の跡が部分的にみられ、東斜面には腰郭、西斜面には二段の空堀や帯状の腰郭が残っています。

写真の石は、昭和43年の発掘調査で確認された高床建築の柱穴の配列を示したものなんだそうです。 実際の柱穴は現地表下50cmに保存されています。 この他にもいくつかの遺構が発見されていますが、この郭が大庭城の中で、どのような役割を果たしたのかは、今後の全面的な発掘調査を待たなければいけなせん。


日陰にある梅の木はまだ満開状態でした


花びらだけみると桜の花とすごく似てますよね


バラの時期になると一面バラになるようです


偶然に野鳥を激写!なんて名前の鳥でしょう

公園内は桜だけではなく、梅の木も多く植栽されていました。 梅の時期としてはもう遅いかなと思っていましたが、日陰にある梅の木は満開で、これから咲きそうなつぼみも多く見られました。  あまり木々や花については詳しくないのですが、桜や梅の他にも色々な種類の木々が植栽されており、変わった花をつけていました。 また周囲は森に囲まれているということもあって、野鳥も多く観察できるようですよ。  丁度たまたま歩いているときに、管理人の横を野鳥が並走して、エサをついばんでおりました。 慣れているのか、管理人との距離3m位でも逃げる感じではなかったですね。 気の上には巣箱なども設置されているので、もしかしたらこの巣箱の住人なのかもしれませんね。

いや〜、ただの公園だとあんまり興味を示しませんが、城跡って聞くと、興味深く散歩をすることができますね。 近所の公園が実は城址だった、なんてことも結構あるようですので、100名城になっていなくても注意深く見てみたいと思います。