三 笠 公 園
〜 Z 旗 を 掲 げ よ 〜


世間はお盆に入りましたね。 新型コロナウィルスが猛威を振るい、東京でも神奈川でも感染者が日に日に増えています。 これじゃぁ遠出もできやしない>_<  ということで本日は自宅から車で20分位のところにある「三笠公園」にやってきました。 この公園は管理人が子供の頃からある古い公園です。 管理人が大学生の頃に一度公園をリニューアルしているので、現在はとても綺麗な公園になっていますよ。

そして、昔も今も三笠公園のシンボルとなっているのが、「戦艦三笠」です。 皆さんも聞いたことくらいはあるのではないでしょうか。 かつて日露戦争の頃に、戦艦三笠を旗艦とする連合艦隊が、 当時最強とうたわれていたロシアのバルチック艦隊を破り、大日本帝国を勝利に導いた戦艦です。 そして連合艦隊の大将は東郷平八郎! 管理人が最も尊敬する日本人の1人です。  この「戦艦三笠」が公園内に鎮座しています。 戦艦が公園にあるなんて、日本中探してもそうはないと思いますよ。  戦艦三笠は海に浮かべているのではなく陸地に固定されており、もはや海に出ることはありませんが、その雄姿を現在も伝えています。

また戦艦三笠の艦内は、見学できるようになっておりまして、中には日露戦争時の貴重な史料の展示、日本の軍艦(日清戦争〜大東亜戦争)までの模型がズラリと展示されていたり、あるいはVRを使用して日本海戦を体験できたりと、 昔に比べると、中の楽しさも倍増しています。 是非近くにお寄りの際はお立ち寄りください。



まずは公園の紹介の前に「戦艦三笠」のご紹介をいたしましょう。 「三笠(みかさ)」は、敷島型戦艦の四番艦で敷島型戦艦の最終型です。 イギリスのヴィッカース社で建造され、1902年(明治35年)3月に竣工。  奈良県にある三笠山(春日山)にちなんで命名されました。 船籍港は京都府舞鶴市の舞鶴港。 同型艦は「敷島」「初瀬」「朝日」。  1904年(明治37年)からの日露戦争では連合艦隊旗艦を務め、連合艦隊司令長官の東郷平八郎大将らが座乗しました。  1905年(明治38年)5月末、連合艦隊旗艦として日本海海戦を戦いました。 大正時代は北方警備(シベリア出兵)にも従事しました。  1921年(大正10年)9月1日、海防艦に類別変更。 1923年(大正12年)9月1日、横須賀軍港で関東大震災に遭遇、着底。  ワシントン海軍軍縮条約により除籍され、横須賀で記念艦となりました。 現在は防衛省が所管し、神奈川県横須賀市の三笠公園に記念艦として保存され、現存しています。



こちらが三笠公園の入口です。


公園に入ると、いきなり「三笠」が鎮座しています


公園内には噴水や池があり、涼しげです


こちらが野外ステージです


先にベースの住宅地が見えますが、軍港は反対側です


公園の突端にあるモニュメント

公園内は結構広くて、徒歩で周囲を歩くと15〜20分位はかかるのではないでしょうか。 リニューアル前はもっと狭かったような記憶があるのですが、現在は噴水があったり、野外ステージがあったり、 また三笠公園のほぼ真横にはアメリカ軍の横須賀基地もあり、公園内から基地(地元民は「ベース」と呼びます)を眺めることもできます。 更にベースの奥には、海上自衛隊の横須賀地方総監部もおかれておりまして、 空母化がささやかれている護衛艦いづもや、こんごう型ミサイル護衛艦、掃海艇なども停泊しています。 やはり横須賀と言いますと、広島県呉市や長崎県と同様に軍港の街というイメージが強いですよね。  そんな横須賀はやっぱり管理人は好きですね〜。



こちらが公園入口からすぐのところにある、東郷平八郎の銅像です。 後ろに戦艦三笠が鎮座していますし、すんごく絵になると思うんですよね〜。 このアングル最高です!

東郷 平八郎は、日本の幕末から昭和時代初めの武士(薩摩藩士)、海軍軍人です。 最終階級は元帥海軍大将。 現在も各地の東郷神社に名を残しています。 位階は従一位、勲位は大勲位、功級は功一級、爵位は侯爵です。  日清戦争では「浪速」艦長として高陞号事件に対処。 日露戦争では連合艦隊司令長官として指揮を執り日本海海戦での完勝により国内外で英雄視され、「陸の大山、海の東郷」「アドミラル・トーゴー」「東洋のネルソン」と呼ばれました。  まさに日本帝国海軍の英雄中の英雄です。




さ〜それでは艦内に入りましょうか〜。 艦内に入るためには、売店の隣にある券売機で入場券を購入します。 大人1人で600円。 実は管理人は子供の頃に1回(いや2回かも)中に入ったことがあるんですよ。  ただ艦内はそのときよりも大分グレードアップしているようなんですよね〜。 久々の三笠見学が非常に楽しみです!




こちらが三笠艦内への入り口です。 この部分は昔から変わっていないような気がしますね。 今日我々が入艦したのは12:45頃でしたが、この時間だとまだそんなにお客さんはいませんでした。  でも見学し終わって艦を後にする頃には結構なお客さんが入っていましたよ。 密になる前に見学できて良かったです。




階段を上がると、そこは三笠の甲板の上。 いきなり目の前に砲弾が鎮座していますよ。 こちらは三笠の主砲の砲弾です。 主砲は30cm砲弾で重要は400kgです。 大東亜戦争時の戦艦大和の主砲は46cmで世界最大ですが、 戦艦三笠の頃の30cm砲弾というのは当時の最大クラスになりますね。

そして右側の写真は、こちらは船の横に左右20門配置されている8cm砲台です。 こちらの砲台は4人の砲員によって操作されます。 弾丸の重量は5.4kgです。 どの砲も旋回俯仰可能になっています。 ちなみに現在のは全て模造砲ですよ。



艦内はほとんどレストアされていると思いますが、この床板は建造した明治33年当時そのままなんだそうですよ。 チーク材甲板というんだそうです。 何か当時の床を歩いていると、兵員さんが駆け回っていた頃のことを想像してしまいますね〜。 とても感慨深いです。



甲板の後ろのほうに歩いていくと、ものすごく大きな総舵輪が現れました! 直径は2m位はあったのではないでしょうか。 これは普段は使わないやつよね。。。 説明を読んでみると、こちらは「人力操舵用舵輪」というもので、 舵取機械が故障したとき、後部の舵機質において人力により直接操舵するもので、艦橋のものより大きくなっているんだそうです。 でもなぜ大きくしないといけないのかは不明です>_< 別に普通の大きさでいいと思うのですが・・・^^;




中には人形が当時の様子を再現している部屋もありましたよ。 左の部屋は通信室です。 日本海軍が使用していた無線機は「三六式無線電信機」と言います。 こちらはマルコニーが発明した無線電信に着目し、 実用化のため、無線電信調査委員会を設けて研究開発に努め、明治36年(1903)に三六式無線電信機を完成させました。 三六式無線電信機は、突貫工事により日露戦争が始まるまでに全艦艇、監視所、陸上司令部などに装備され、 連合艦隊の円滑な指揮運用、迅速な情報の収集・配布が可能になりました。 こちらの電信機の通信距離は80海里でした。 




甲板を前方に通り抜け、船首のほうにやってきましたよ。 いや〜それにしてもこの主砲はホントに大きい!! 30cmの連装砲は圧巻の迫力でしたよ。 また視線を下のほうに向けますと、錨を引き上げるためのチェーンが横たわっていました。  これもゴッツイですね〜。 当たり前ですが、釣りで使用する2馬力船のアンカーロープとはえらい違いです。 



こちらが操舵室です


艦橋の脇には60cm信号探照灯


艦橋から前方をのぞむ


こちらは救命ボートですね


振り返ると煙突が2本そびえ立ってます


ここが陣頭指揮をとった艦橋の最上部です

さ〜今度は艦橋のほうに上っていきましょう! やっぱりお城と同じで、戦艦の階段も大分急ですよ。 手すりに捕まって登らないと足を踏み違えそうです。 艦橋周辺には操舵室もありますし、60cm信号探照灯なども設置されていました。  また最後にたどり着いたのが、日本海海戦で東郷平八郎大将が立って陣頭指揮を取ったエリアにも入ることができました。 壁などもなにもなく吹きさらしの中で砲弾が飛び交う中、陣頭指揮をとったということですから、なみたいていのことではありません!!

東郷平八郎大将と同じところに立てたということで管理人は感無量でありました。 さ〜それではお次は艦の下部に潜っていきますよ〜。 下部は展示室になっており、色々な貴重は史料が展示されていました。



これ見てくださいよ。 実際に日本海海戦のときの三笠の動きなどを忠実に再現したシミュレーションのようですよ。 実際にハンドルで艦を操作して日本海海戦を体験することができます。 さすが最近はこういうのがあるんですね〜。  ここには子供たちが沢山いましたよ。 きっと子供らはこういうのはゲーム感覚なんでしょうね〜。 更に写真はありませんが、VR(バーチャルリアリティ)で日本海海戦を体験できるコーナーもありました。  VRの装置を頭に装着しますと、自身が三笠の指揮所にいて、バルチック艦隊との砲撃戦を体験できるんですよ! 管理人はこういうVRって初めて経験したのですが、すごいもんですね〜。 かなり楽しかったですよ。  これはついつい「Z旗を掲げよ〜!」って叫んじゃいそうでした^^

ちなみに「Z旗を掲げよ!」ってのは、サブタイトルにも書いていますが、このZ旗というのは、船同士の意思疎通のために使用する国際信号旗の1つなんです。 このZ旗というのは海戦史においては、単なる信号としての役割だけでなく、 特別な意味を持つ旗としても使用されていたんです。 日露戦争の際には東郷平八郎連合艦隊司令長官の座乗する旗艦「三笠」のマストにZ旗を掲揚し、 「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」という意味を持たせて掲揚したのです。 この文案は名文家として有名な連合艦隊参謀の秋山真之であるとされています。



艦中央部の資料展示室はとても広いです


広瀬中佐の書簡です


秋山真之の写真です


戦艦三笠の模型、結構大きいですよ


三笠の艦首飾りです、本物ですね!


東郷平八郎の軍服、これも本物ですね!


日本海海戦のときの指揮所の様子を描いた絵画です。臨場感ありますね〜

それでは艦中央部にある資料展示室に移動してみます。 中はとても広く、非常に興味深い史料が並んでいます。 登場人物などを見ていますと、以前NHKで放送していた司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」を思い出しますね〜。  このドラマは2009年〜2011年にかけて全13回のドラマとして放送されていました。 主人公は連合艦隊の作戦主任参謀を務めた秋山真之で、本木雅弘さんが演じていました。 ちなみに秋山好古の兄で陸軍の騎兵第一旅団長として活躍した秋山好古を阿部寛さんが、 そして東郷平八郎を渡哲也さんが演じていました。 渡哲也さんの東郷平八郎は本当〜〜〜にかっこよかった。 また「軍神広瀬武夫」は藤本隆宏さんが演じていたのですが、これもかっこよかった。 もう近年見たドラマの中で一番好きなドラマです。  ちなみに「広瀬武夫」は「旅順口閉塞作成」という、湾の入口に船を沈めてロシア艦船を湾に閉じ込めようという作戦に参加した方で、沈める船から離艦する際に、部下がいないことから爆破する艦に戻り探し回り、結局見つけられず、脱出用のボートに乗り込んだのですが、その際に被弾して戦士した方なんです。 この方も日露戦争の英雄ですね。






艦中央の展示室から船尾の方に向かいますと、おそらく位の高い方が使用していた部屋などを見ることができます。 風呂付きトイレ付きの部屋だったり、作戦会議を行う部屋、長官の寝室なども見ることができます。 

いや〜しかし非常に見ごたえがありましたね! 大昔に中を見学したときは、あっという間に終わってしまったような記憶があるのですが、今日は1時間タプ〜リと堪能することができました。 やっぱりこういうのは大人になってから来ないと分からないものですね〜。



こちらが新しくできた三笠ターミナルです


猿島行きの船はここから出船します


ターミナルの売店で購入した「猿島ソフト」です^^

久々の三笠公園を堪能したので、それでは帰りますか! と公園を出ると、すぐ左側に綺麗な建物が見えました。 なんとここは2020年7月15日にオープンしたばかりの「三笠ターミナル」なんだそうですよ。 1階は売店や待合室になっているようですね。  2階は猿島ビジターセンターというそうです。 ここには猿島の歴史や史跡について紹介しています。 また東京湾に今でもある第一〜三海堡についても紹介しているようです。 なんで、ここに海堡の紹介が!?と思ったのですが、 よく見てみると、ここ「三笠ターミナル」は猿島に行く船だけでなく、第二海堡上陸見学ツアーの拠点にもなっているんですって。

今日は最高気温は35℃くらいあったのではないでしょうか。 もう三笠を見学している最中から汗ダクダクでした。 なので、売店で恒例のソフトクリームタ〜イムッ! 普通のソフトクリームもあったのですが、 一番のおすすめは「猿島ソフト」のようでしたので、これをいっときました。 こちらは普通のソフトクリームの上から抹茶の粉を降りかけ、更に横須賀の和菓子屋さんの「さかくら」製の最中の外側が添えられていました。  この最中のやつはなんでも伝説の角なしサザエなんだそうですよ。 なんだそれ!?